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戦国時代の化学者(ケミスト)〜弱小大名の三男に転生した元・研究員が、現代化学で乱世を塗り替える〜  作者: 姉小路信綱


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第8話 純白の石鹸と、奇跡の緑


黒木厳兵衛との約束から、三日が経過した。


約束の刻限。神崎城下の東端にある化学工房へやってきた黒木は、不審そうに太い首をひねっていた。


(……おかしい。臭いも煙も、まったくない)


三日前まで街道にまで漂っていた不快な油臭さや刺激臭が、嘘のように消え失せている。


工房の屋根からは太い竹筒が空へ伸びており、その内部には慶三郎が作らせた「竹炭」と「湿った多孔質の土」がぎっしりと詰められていた。

有機ガスや微小粒子を炭の微細孔で吸着する、現代の『活性炭フィルター(簡易排煙脱臭装置)』である。


「黒木殿、時間通りのお越し、感謝いたします」


工房の中から出てきた慶三郎は、晴れやかな笑みを浮かべていた。着物には煤ひとつついておらず、その手には木箱が抱えられている。


「むう……煙と臭いを抑えたことは認めよう。だが慶三郎様、大事なのは『成果』にございます! このような大掛かりな仕掛けを作ってまで得たものが、ただの道楽であっては困りますぞ!」


黒木が腕ぐみをし、鋭い眼光で迫る。


「ええ、分かっております。まず一つ目はこちらです」


慶三郎は木箱の蓋を開け、中に収められた『それ』を黒木に差し出した。


「な……なんですか、これは……?」


黒木が思わず目を見張る。

そこに載っていたのは、滑らかな手触りをした、雪のように純白な四角い固形物だった。


「これは『石鹸(せっけん)』――脂肪酸ナトリウムです。動物の脂と木灰から抽出した強いアルカリを適温で反応させ、不純物を極限まで取り除いて固めました」


「せっけん……? 噂に聞く南蛮の『シャボン』のようなものですか?」


「似ていますが、南蛮から輸入される粗悪なものとは純度が違います。黒木殿、こちらへ」


慶三郎は水甕の前に黒木を促すと、タライに汲んだ水で黒木のゴツゴツとした大きな手を濡らし、純白の石鹸を擦り付けた。


慶三郎が手揉みを指示すると、瞬く間にキメの細かい白い泡が立ち上り、ふわりと柑橘のような清涼な香りが広がる。


「うおっ!? 泡が……! 手の汚れが、綺麗に落ちていく!?」


「武士は戦や鍛錬で汗をかき、傷を負うことも多いでしょう。だが、その傷口から入る『目に見えぬ病の毒(細菌)』で命を落とす者が後を絶たない。この石鹸で手を洗い、傷口を清潔に保てば、破傷風や感染症による死者を激減させることができます」


慶三郎は静かに、しかし力強く続けた。


「すでに母上と鶴にも使ってもらいましたが、手の荒れが消え、病の予防になると大層喜んでおられます。これは単なる贅沢品ではありません。我が神崎家の兵士と領民の『命を守る防具』なのです」


「命を守る……防具……!」


黒木は自分の両手を見つめた。長年の鍛錬で擦り切れ、汚れがこびりついていた掌が、見たこともないほど白く清潔に洗い上がっている。


「そして、もう一つがこちらです」


慶三郎は黒木を工房の裏手にある小さな試作農地へと案内した。


そこには、二つの畝(うね)が並んでいた。

片方はひょろひょろと背の低い貧弱な野菜が並んでいるのに対し、もう片方は同じ日に種を撒いたとは思えぬほど青々と葉を茂らせ、圧倒的な生命力を放つ極上の作物が実っていた。


「な、なんだこれは……! 同じ土で、なぜこれほど育ちが違う!?」


「肥溜めの窒素と、骨粉や鉱物を酸処理して作った『過リン酸石灰(合成肥料)』を施したからです。これがあれば、痩せた我が領地の作物の収穫量を、来年には二倍……ううん、三倍以上に跳ね上げることができます」


「三倍……!? 収穫が、三倍だと……!?」


黒木の大口がぽっかりと開いた。


戦国時代において、作物の収穫量はそのまま「国力」と「養える兵の数」に直結する。

刀を一本振るうより、槍を一手教えるより、この小さじ数杯の『白い粉』の方が、遥かに神崎家を強く、豊かにするのだと思い知らされた。


「……黒木殿。私は武士の誇りを否定するつもりはありません。ですが、腹を空かせたまま、病で倒れながら戦うのが武士の誉れでしょうか? 私は化学の力で兵の腹を満たし、病を防ぎ、万全の状態で刀を振るえる国を作りたいのです」


慶三郎の言葉には、十四歳の少年とは思えぬ圧倒的な説得力と、領民を想う温かい情熱が宿っていた。


静寂が支配する農地で、黒木は深く、深く息を吐き出した。

やがて――巨漢の武将が、ドスンと地面に両膝をついた。


「……参り申した」


黒木は地につくほど深く頭を下げた。


「某の目が狂っておりました! 慶三郎様のおやりになっていることは、妖術などではない……神崎家を、天下を救う『真の道』にございます! 侮った非礼、この首を跳ねていただいても構いませぬ!」


「頭を上げてください、黒木殿」


慶三郎は苦笑しながら、黒木の大きな肩を叩いた。


「首など要りません。約束通り、あなたにはこの工房の『安全検分役(保安責任者)』になっていただきたいのです。武芸に秀でた黒木殿が厳しく目を光らせてくれれば、職人たちも安全に作業できます」


「け、検分役……! ははっ! この黒木厳兵衛、命に代えてもこの工房と慶三郎様をお守りいたしますぞっ!」


黒木の目には、涙が滲んでいるように見えた。


煙と悪臭を克服し、頑固な古参家臣の心をも完全に掴んだ慶三郎。

神崎家の内政改革は、ここから爆発的な加速を見せようとしていた。


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― 新着の感想 ―
石鹸が病の予防になるかどうかは二人が3日使ったくらいじゃ分からんだろうに。 そもそも木灰じゃ固形にならない。 3日で育ちに目に見えて違いが出るかなあ? それに疑えば「育ちの良かった方に肥料入れたぜっ…
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