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戦国時代の化学者(ケミスト)〜弱小大名の三男に転生した元・研究員が、現代化学で乱世を塗り替える〜  作者: 姉小路信綱


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第6話 勝利の祝杯と、忍び寄るコストの壁

「勝利だ! 我ら神崎家の勝利ぞ――っ!」


夜の闇を切り裂くような勝どきが、神崎城の敷地全体を震わせていた。

大野軍三千を相手に、わずか数百の兵で完勝。しかも自軍の損害は、足軽数名がかすり傷を負った程度という、戦国時代の常識では考えられぬ大圧勝である。


城の大広間では、父・景次を筆頭に家臣たちが酒杯を交わし、歓喜の声を上げていた。


「慶三郎! 見事だ、実に見事ぞ!」


長男の一馬が、酒で頬を赤くしながら慶三郎の肩を叩く。


「あの『発煙地雷』と『黒色火薬』の連瓶投げ……敵の足軽ども、腰を抜かして蜘蛛の子を散らすように逃げていったわ! まるで雷神の如き威光であった!」


「ええ、兄上。ですが、兵士たちが指示通り冷静に配置についてくれたおかげです」


慶三郎は笑みを返しつつも、杯につけた口元をわずかに引き締めた。


(……見た目の爽快感は完璧だった。だが、問題は『その次』だ)


宴の喧騒からこっそりと抜け出した慶三郎は、城の奥にある自らの小さな執務部屋へと向かった。

行灯の仄暗い光の下、文机の上に広げたのは、神崎家の財政を預かる勘定方の台帳と、自身が書き記した『化学薬品在庫表』である。


慶三郎は羽ペン代わりに削った竹筆を走らせ、算盤(そろばん)を弾いた。


「……やはりか」


溜め息が口から漏れる。

今夜の防衛戦で消費した黒色火薬は、およそ三十斤(約十八キログラム)。


肥溜めから抽出した硝酸カリウム(硝石)を中心に、木炭と硫黄を最適比率で配合した「現代基準の高純度火薬」だ。中世の粗悪な火薬とは威力が桁違いだが、その分、原材料の消費も劇的だった。


硝石の在庫は、今回の戦でほぼ底をついた。

肥溜めからの土壌精製(細菌による硝化作用)は、完成までに最低でも数ヶ月から一年の熟成期間が必要。

これ以上の連続使用は物理的に不可能だ。


それ以上に深刻なのが、「硫黄」と「酸」の不足だった。


火薬の燃焼速度を上げる硫黄は、日本国内では火山地帯や特定鉱山でしか採掘されない。神崎家の小さな領地内では採れず、これまでは堺の商人から薬種(薬品)として高値で買い叩いたごく僅かな在庫を使っていた。


さらに、今後の内政展開――高純度ガラスの製造や、金属加工、さらには強力な医薬品や肥料の精製に必要な「濃硫酸」や「硝酸」を化学合成するための触媒・試薬が、完全にゼロになってしまったのだ。


戦には勝った。

だが、経済的・資源的コストの壁が目の前に立ちはだかっている……


慶三郎は前世、化学メーカーの研究員だった頃の記憶を思い返していた。

どんなに実験室で画期的な新物質や高分子材料を開発しても、製造コストが合わなければ商品化はできない。「コスト削減」と「原材料の安定調達」こそが、技術を社会に定着させるための最大の課題だったのだ。それは戦国時代であっても、何一つ変わらない。


硝石を買い付けるにしても、硫黄を仕入れるにしても、今の神崎家には圧倒的に資金が足りない。

米の年貢だけに頼る従来の農業経営では、化学の量産化など夢のまた夢だ……。


「兄上、ここにいたんだ」


ふと静かな声がして、妹の鶴姫が小さな盆に温かいお茶を載せて入ってきた。


「兄上たちはお酒で大騒ぎしているのに、一人で難しそうな顔をしているから……」


「鶴か。ありがとう」


湯気の立つ茶碗を受け取り、慶三郎はほっと一口息をついた。


「……怖くはなかったかい? 今日の戦」


鶴姫は少し考えたあと、首を振った。


「大きな音がして最初は怖かったけれど……兄上が『大丈夫だ』と言ってくれたから。それに、肥溜めのお世話をしていた手が、すごく冷たくなって苦労していたの、知っているもの。兄上が作ったものなら、私や神崎家を守ってくれるって信じてた」


十二歳の妹の真っ直ぐな瞳に、慶三郎の胸が温かくなる。

そうだ。自分はただこの世界で無双したいから化学を使っているのではない。


この理不尽な乱世で、愛する家族と領民の命を守り、飢えや病のない豊かな時代を作るために前世の知識を使っているのだ。


「ありがとう、鶴。……よし、やるべきことが見えてきたぞ」


慶三郎の瞳に、再び鋭い知性の光が灯る。


(原料がないなら、原料を買えるだけの『超高付加価値商品』を化学で作ればいい。武力で威圧するだけでなく、衛生とガラスと肥料で戦国時代の経済そのものを支配するんだ)


慶三郎は新しい紙を広げ、墨をすった。

そこに書き走らせた文字は、――『脂肪酸ナトリウム(純白の石鹸)』と『過リン酸石灰(合成肥料)』。


肥溜めの窒素と、灰汁(アルカリ)、そして動物性油脂。身近にある廃棄物と天然資源を組み合わせて生み出す、戦国時代の常識を根底から覆す「第二の化学革命」の計画が、今ここに動き出そうとしていた。


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