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戦国時代の化学者(ケミスト)〜弱小大名の三男に転生した元・研究員が、現代化学で乱世を塗り替える〜  作者: 姉小路信綱


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第19話 鶴姫の縁談と、兄の誓い


神崎城の大広間には、何とも言えぬ重苦しい不快感が満ちていた。


上座に座る当主・景次と、その脇を固める一馬、兵衛、慶三郎の三兄弟。


その正面で横柄に腰掛け、立派な髭を撫で回しているのは、南近江の強力な国人領主・大野木国重(おおのぎ くにしげ)の使者であった。


「――というわけだ、神崎殿。我が大野木家は代々の名門。そなたらの作る『透明ガラス』や『新式火薬』、そして何やら恐ろしい『火の術』には興味がある。そこでだ」


使者はニヤニヤと品のない笑みを浮かべ、脇に控えていた十二歳の少女――鶴姫を舐め回すように見つめた。


「そちらの鶴姫様を、我が当主・国重様の側室として差し出されるがよい。さすれば神崎家は大野木家の後ろ楯を得て、安泰となる。もちろん、試作工房の技術と職人もすべて結納品として引き渡していただくがな」


実質的な「技術の強奪」と「鶴姫の接収」の要求であった。


戦国時代において、姫が政略結婚の道具とされるのは世の常である。しかし、当主の側室という名目の実質的な人質要求に対し、景次の表情が苦痛に歪んだ。


「……鶴はまだ十二歳。それに、我が神崎家は浅井様、織田様と対等な交易関係を結んでおります。大野木様のご提案には――」


「黙れ! 浅井や織田はお遠くの威光! 我ら大野木軍三千が本気を出せば、この小さな城など一揉みだぞ! 娘一人と引き換えに領地が守れるのだ、有難く思え!」


使者が刀の柄を叩き、強圧的に一歩踏み出した。


鶴姫が怯えて慶三郎の着物の裾をギュッと握りしめる。その手が小さく震えているのを、慶三郎ははっきりと感じ取った。


その瞬間――大広間の温度が、急速に氷点下まで冷え切った。


「……おい、そこの下道(げどう)」


静かに口を開いたのは、長男の一馬であった。


腕ぐみをしたまま立ち上がった一馬の瞳には、猛烈な殺気が宿っていた。


「俺の可愛い妹を……『結納品』扱いしたな? その汚い口を二度と開けないように叩き折ってやろうか」


「な、なに……!? 武者風情が控えよ!」


使者が怯んだ隙に、今度は次男の兵衛が冷ややかな手帳を叩いた。


「大野木家の財政と兵力を計算しましたが、三千の兵などハッタリですね。実際の稼働可能兵力はおよそ八百。さらに肥料不足で領内の年貢収入は年々減少傾向にあります。我が神崎家の過リン酸石灰の供給を止め、今井宗久様経由で経済封鎖を行えば、大野木家は三ヶ月で破産しますよ」


「な、なにをぬかすか、このガキどもめ……っ!」


完璧な数理と圧倒的な武の圧力。


使者が顔を真っ赤にして狼狽する中、慶三郎が鶴姫の前に静かに躍り出た。


「使者殿。当家から貴方方へ差し上げるものは、何一つありません」


慶三郎は冷徹な眼差しで使者を見下ろした。


「化学とは、人を豊かにし、大切な家族を守るために私が創り出した学問です。それを奪うために妹を要求するなど、愚の骨頂。……どうしても鶴を奪いたいというのなら、我が神崎家の『新技術』の実験台になっていただきましょうか」


慶三郎が軽く合図を送ると、黒木厳兵衛がずっしりと重い木箱を運んできた。


箱の中から慶三郎が取り出したのは、先日研磨を終えた『三倍率望遠鏡(遠見の筒)』と、それに装着された『精密照準式・無煙大筒』であった。


「な……なんだ、その妙な筒は!?」


「これは、数キロ先の目標を針の穴を通す精度で撃ち抜く遠距離光学兵器です。……兵衛兄さん、大野木家の本陣までの距離と風向は?」


「距離、十二町。風速一メートル。すでに試算済みだ」


「ありがとうございます。――今、大野木国重様がご自身の館の庭で茶を飲んでおられる時間ですね。こちらの弾丸を、国重様の『お茶碗』だけを粉砕するように着弾させましょう」


慶三郎が窓枠に大筒を固定し、望遠鏡のレンズを覗き込んで照準を合わせる。


「……発射準備完了。使者殿、よろしければレンズを覗いてご覧になりますか? 貴方様の主君の茶碗が砕け散る瞬間を」


「ひ……っっ!?!????」


使者は絶句した。


距離十数町(約一・五キロ)離れた館の、主君の茶碗だけを狙撃する――それがハッタリではないことを、一馬の凄まじい威圧感と、兵衛の完璧な計算、そして先日の朝倉・六角軍撃退の噂が証明していた。


もし断れば、自分たちが城へ帰る前に、主君の首が吹き飛んでいるかもしれないのだ。


「お、覚えておれぇぇっ! 大野木家を敵に回したこと、後悔させてやるぞぉっ!」


使者は半狂乱になって叫び、尻餅をつきながら脱兎のごとく神崎城から逃げ出していった。


静まり返った大広間。


「ふん、腰抜けめ」


一馬が吐き捨て、兵衛が冷笑を浮かべる。


「慶三郎兄様……兄上……」


鶴姫の大きな瞳から、ぽろぽろと涙が溢れ落ちた。自分のために、三人の兄たちが命がけで怒り、守ってくれたのだ。


慶三郎は膝をつき、鶴姫の目線に合わせると、優しくその頭を撫でた。


「心配いらないよ、鶴。時代がどうであれ、俺たちがいる限り、鶴を政略結婚の道具になんて絶対にさせない。鶴の未来は、鶴自身が好きなように選ぶんだ」


「慶三郎の言う通りだ!」


一馬が豪快に笑い、鶴姫の肩を抱きよせる。


「俺が武力で敵を叩き潰す!」


「私が数理と経済で相手を破滅させます」


「そして、私が化学で絶対に誰も届かない理想郷を作ります」


三兄弟の力強い言葉に、鶴姫は涙を拭い、満開のひまわりのような笑顔を咲かせた。


「はいっ! 私、兄様たちの妹で……世界一幸せですっ!」


武力の一馬、数理の兵衛、そして現代化学の慶三郎。


妹を守るためにひとつとなった三兄弟の絆は、神崎家をどのような強大な大名をも退ける「無敵の絆」へと変えていた。


しかし、この直後――神崎家の噂を聞きつけた「天下の英傑」に関する、更なる大波乱の報が届くのであった。


ここまでお読みいただきありがとうございました!

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明日も20:00に更新いたします!

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