第11話 近江の鷹と、臣下の要求
刺客の夜襲から三日後。
神崎城の大広間には、これまで以上の重苦しい圧迫感が漂っていた。
部屋には当主・景次と長男の一馬に次男の兵衛、そして慶三郎がいた。
その正面に座すのは、洗練された威風を纏う一人の武将であった。
浅井家執政――赤尾清綱。
「浅井三代」に仕え、北近江の覇者・浅井長政の右腕として知られる重臣である。
「神崎殿。単刀直入に申し上げよう」
清綱は鋭い眼光で景次を見据え、朗々と声を響かせた。
「我が主・浅井備前守長政様は、貴殿らの目覚ましい働きを高く評価しておられる。城下の繁栄、見事な石鹸やガラス、そして何より……夜襲を仕掛けた刺客を一瞬で生捕りにしたという奇妙な『術』。まことに目を見張るものがある」
清綱は一旦言葉を区切り、懐から一通の誓紙を取り出した。
「つきましては、神崎家には浅井家の直属の臣として参入していただきたい。その『術』の秘伝をすべて長政様へ献上し、小谷城へ仕えるのだ。さすれば神崎の所領は永久に保障しよう」
事実上の「技術接収」と「臣従の要求」であった。
断れば、北近江全土を統べる浅井の大軍が押し寄せる。景次と一馬の背中に嫌な汗が流れた。
しかし、慶三郎は表情一つ変えず、静かに口を開いた。
「赤尾様。浅井長政様の御威光、まことに恐れ入ります。ですが……一つお聞きしたいことがございます」
「なに……? そなたが噂の慶三郎か」
清綱が胡散臭そうに眉をひそめる。
「浅井家が求めておられるのは、我が神崎家が持つ『秘伝』でしょうか。それとも……他国を圧倒する『絶対的な武力』でしょうか?」
「なにを当たり前のことを。秘伝を得ることこそが、即ち我が家の武力となるのだ」
「いいえ、違います」
慶三郎はまっすぐに清綱の目を見返した。
「化学とは、単なる伝授で扱えるような『忍びの秘術』ではございません。原理を理解せぬ者が扱えば、自らを吹き飛ばして自滅するのがオチです。――百聞は一見に如かず。赤尾様、中庭へお越しいただけますか」
「……ほぅ。いいだろう、見せてもらおうではないか」
清綱は面白そうに不敵な笑みを浮かべ、立ち上がった。
◇
神崎城の中庭には、慶三郎が用意した二つの小さな大筒(鉄砲の試作品)が設置されていた。
一つには、戦国時代で一般的な「黒色火薬(木炭・硫黄・硝石を粗く混ぜたもの)」が詰められている。
そしてもう一つには、今井宗久から仕入れた純度の高い硫黄と硝石を厳密な分子量比で再結晶化させ、微量の油脂で造粒した『高比重・精製黒色火薬』が詰められていた。
「赤尾様、まずは従来の火薬をご覧ください」
足軽が一つ目の大筒に火をつける。
ドォン!!
激しい爆音と共に、大量の黒煙が庭中に立ち込め、弾丸が数十歩先の的に当たって砕けた。戦国時代としては十分な威力だ。
「ふむ、見慣れた鉄砲の威力的だな」
清綱が頷く。次に慶三郎が言った。
「では、こちらをお試しください。配合と精製度を極限まで高めた、我が工房の火薬です」
慶三郎の合図で、二つ目の大筒に火が放たれた。
――カァァァン!!!!
先ほどとは明らかに違う、鼓膜を突き破るような甲高い高周波の破裂音が響き渡った!
黒煙はほとんど発生せず、放たれた弾丸は的に命中するどころか、その背後にある厚さ一尺の防具と木造の壁を一瞬で貫通・粉砕してみせたのだ。
「な……なにぃ!???」
清綱が思わず腰を抜かしそうになり、目を剥いた。
「煙が……ほとんど出ぬ!? そしてこの貫通力……! 従来の火薬の、三倍以上の威力があるというのか!?」
「ええ。硝石の純度を上げ、粒子を均一にし、燃焼速度を化学的に最適化した結果です。これならば、雨天や連射時の煙幕に悩まされることもなく、城壁すら撃ち抜くことができます」
慶三郎は静かに、しかし圧倒的な存在感を放ちながら言い放った。
「赤尾様。この火薬を製造できるのは、世界中でこの神崎慶三郎ただ一人です。秘伝書だけを奪っても、温度管理や酸の取り扱いを知らぬ者が作れば即座に大爆発を起こします。……私をただの臣下として小谷城に囲い込むのと、神崎家を『独立した対等な同盟相手』として扱い、この火薬と兵器の優先供給を受けるの……浅井長政様にとって、どちらが得策でしょうか?」
「っ…………!!」
清綱の額から、ダラダラと冷汗が吹き出していた。
目の前にいる十四歳の少年は、単なる職人でも妖術師でもない。
「国一つを容易に焦土と化す力を握った、危険極まりない賢者」なのだと知ったからだ。
「……見事だ、神崎慶三郎」
清綱は荒い息を整えると、膝を正し、少年へ深く頭を下げた。
「我が主・浅井長政様は、道理のわかるお方。……よし、この赤尾清綱、持ち帰りて長政様に直々に奏上しよう。『神崎家とは臣従にあらず、対等なる極秘の同盟を結ぶべし』とな!」
「ご理解いただき、感謝いたします」
慶三郎はふっと笑みをこぼした。
使者である赤尾清綱は、畏怖と驚嘆の表情を浮かべたまま神崎城を去っていった。
戦国屈指の英主・浅井長政との「対等な外交関係」を、慶三郎は自らの科学の力で見事に勝ち取ってみせたのだった。
だが――事態はそれだけで終わらなかった。
「慶三郎様!」
そこへ、息を切らせた黒木厳兵衛が駆け込んできた。
「堺の今井宗久様から、緊急の早馬にございます! 岐阜の『織田信長』様が、神崎家の作る『透明ガラス』と『新式火薬』の噂をお聞きになり……近々、自ら神崎城へお越しになるとのこと!!」
「……織田信長が、直接……!?」
一馬と景次が息を呑む。
近江の浅井を抑えた直後、ついに戦国最高の天才・織田信長が動き出したのだ。
「ふっ……面白い」
慶三郎の瞳に、興奮の火が灯る。
「中世の価値観を破壊しようとする覇王・織田信長……。現代化学の力を前に、あの男がどんな顔をするか……楽しみですね」
科学者と覇王。時代を超越した二人の頭脳が、ついに激突しようとしていた。
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次回は遂に織田信長が登場します。
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