深紅の災厄
ネレズの手に宿った光は、なおも輝きを増していく。
初めてエイドロンを顕現させようとしていた候補者たちまで、何事かとネレズへ顔を向けた。とはいえ、見ていられたのも束の間。光はたちまち、まともに目を開けていられないほど強烈になった。
「『聖なる闇』とかいう話はどこへ行ったんだよ!? 眩しくて何も見えない!」
「エイドロンとは、いわば諸君自身の写し身だ。ゆえに、いずれ諸君が得るかもしれない神性を知る手がかりにもなる」
広がる騒ぎにも動じず、ゾロヴァンは淡々と説明を続けた。
輝きが薄れ始めると、ネレズの手の中で、ずしりと重い何かが形を成していく。
「本……?」
ヴィルキーがようやく目元から手を下ろすと、隣のアレンも頷いた。
「ああ、本だな」
ネレズは両手に載った黒革の本を見下ろした。表紙の中央には銀色の髑髏が彫り込まれ、その上から金の鎖が幾重にも巻きついている。
「エイドロンは、定命者が生み出すいかなるアーティファクトよりも価値がある」
ゾロヴァンは群衆へ向けて両腕を広げた。
「だが、先ほど述べたように、エイドロンは諸君自身の写し身。その力を育むには、持ち主とともに成長していくことを要する。その真価を引き出せるようになれば、何物にも代えがたい力となるだろう」
老神の言葉に耳を傾ける群衆の中から、拳がひとつ、勝ち誇るように突き上がった。
「どうしたの、ネレズ? そんなにエイドロンが気に入ったの?」
ネレズは腕を下ろしたが、得意げな表情は崩れない。
「見ればわかるだろ? 俺は図書館の神になるんだ! 平穏と静寂を支配する主に!」
アレンとヴィルキーは、揃って返事に詰まった。
「その……言いにくいんだが、ネレズ……」
アレンはゴッドスクリプトへ視線を落とした。
「俺たちに割り当てられた試練は、平穏とはほど遠いらしい……」
ネレズも自分のゴッドスクリプトを確認した。新たな表示を告げる巨大な文字の下に、割り当てられた試練の名が太字で浮かんでいる。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
[試練:バトルロイヤル]
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「…………」
「…………」
「…………」
「君らが俺をグループに引きずり込んだせいだ! 俺のエイドロンは本だって! 本!」
ネレズはそう叫ぶなり、がくりと膝をついた。
「『ペンは剣よりも強し』とは言うけどな、ペンならまだ尖った先がある! 本でどうしろっていうんだよ!?」
「うーん……角で誰かの頭を殴るとか?」
ヴィルキーが小首をかしげる。
「可愛い顔をして、ずいぶん物騒なことを言うな……」
ネレズは膝をついたままぼやいた。
「今の、褒め言葉?」
「違う。彼氏持ちの女の子を、わざわざ褒めたりしない。それに、今のどこが褒め言葉に聞こえたんだ?」
「ふん!」
ヴィルキーは頬を膨らませ、そっぽを向いた。
「もう毎回否定するのも疲れたし、好きに思ってれば?」
「それ、もう認めてるようなもんじゃないか?」
「ほんと、どうしようもないんだから!」
「まあいい。いつまで俺の前で惚気る気だ? ヴィルキー、そろそろ君のエイドロンも見せてくれ」
「アレンはもう知ってるんだけど……ここじゃ、誰かを蹴飛ばしちゃうかもしれないんだよね」
ヴィルキーは腰に手をやった。
「蹴飛ばす……?」
「ヴィルキー、ネレズ」
ゴッドスクリプトを見ていたアレンが二人を呼んだ。
「バトルロイヤルに割り当てられた候補者がかなり多い。荒れそうだな」
「勘弁してくれ。エイドロンの交換窓口はどこだ?」
「はは、落ち着いて。勘違いしてるみたいだけど、派閥や同盟を組んだからって、全員が同じ試練に回されるわけじゃないよ。君がバトルロイヤルなのは俺たちのせいじゃない。そこで問われる資質を君が備えているんだ。その本もきっと役に立つ」
ネレズはうんざりしたように息を吐く。戦なら嫌というほど経験してきた。目立たずにいたい今となっては、願い下げもいいところだ。
「さっき、ゴッドスクリプトで候補者を見てたよな。紫の髪で薄紫の瞳をした奴、バトルロイヤルにいなかったか?」
「どっちも珍しくない特徴だよ。片方だけなら、探さなくても見つかるくらい」
「……」
「どうした、ネレズ? 知り合いでもいたのか?」
「いや、何でもない……」
ネレズは、暁の殿堂を出る途中ですれ違った男を思い浮かべながら答えた。
「それより、本当にマフラー編みの腕を競う試練とかに替えられないのか?」
「無理だよ」
アレンは笑いながら即答し、ネレズの肩に手を置いた。
ネレズは立ち上がり、アレンの剣へ目をやった。
「その剣があれば、アレンの方は問題なさそうだけど……ヴィルキー、君は乱戦のど真ん中に放り込まれるのが怖くないのか?」
「予想はしてたよ。これでもアレンと一緒に、一族のためにいくつもの戦場を渡り歩いてきたからね。それに、何かあっても二人がアタシを守ってくれるでしょ?」
「タダ働きするのは俺だけみたいに聞こえるんだが?」
ネレズは腕を組んだ。
「まあ、ほかに選択肢もなさそうだけど……」
「うん、ないね」
ヴィルキーが満面の笑みを見せる。
そのとき、少し離れたところで、切迫した声が立て続けに上がった。
「うわっ!」
「危ない!」
「下がれ!」
声を聞いたヴィルキーは、アレンのそばへ寄った。
「何が起きてるの?」
「分からない。 バトルロイヤルが始まったら、こういうときはヴィルキーとエイドロンが頼りになる」
ヴィルキーが短く頷く。
「けど今は、自分の目で確かめに行こう」
アレンが二人についてくるよう促した。
アレンとヴィルキーが騒ぎの方角へ駆け出す中、ネレズだけはその場に残って空を仰いだ。
「好奇心は猫を殺す、か……どの世界にも、似たようなことわざがあるんだよな……」
もう一度ため息をつき、結局二人のあとを追った。
* * *
ネレズは人垣をかき分け、ようやくアレンとヴィルキーのもとへたどり着いた。
見物人の輪の中心には、短い争いの跡が残っている。
そこへ血まみれの首が転がってきて、ネレズの足元で止まる。何があったのかは、それだけで明白だった。
「オドリアン……」
見間違えるはずもない。昨日、ネレズに詰め寄ってきた半神だ。
「この試練の結末って、神に昇るか、元いた場所へ戻されるかだけじゃなかったのか……」
「ディヴァイン・オーダー(神の秩序)が決定を下す場合は、その二つだ」
アレンは死者に黙祷を捧げるように目を閉じた。
「けど、俺たちが参加するようなバトルロイヤルじゃ、これが一番ありふれた結末だ」
「ケリス――『深紅の災厄』か。その異名は伊達ではないようだな」
ゾロヴァンの声が再び広場中に響き渡り、争いに気づいていなかった者まで一斉に口を閉ざした。
「『深紅』ね……アレン、君の剣、あの異名に食われてるんじゃないか?」
ネレズが耳打ちしても、アレンは口元だけで笑い、血を思わせる赤いツインテールの少女から視線を外さなかった。
「はっきりさせておくけど、決闘を挑んできたのはあいつのほうよ」
ケリスと呼ばれた少女は、ネレズの足元まで転がってきた首を槍の穂先で示した。
熾火めいた橙色の瞳がネレズを射抜くなり、ケリスは地を蹴り――
「ケリス」
ゾロヴァンのひと言が、その足を縫い止めた。
「神々の祭典は、もう始まっているはずよね? なら、何が問題だっていうの、神々を束ねるお偉い神サマ?」
「最低限の礼節は守らねばならない。君も彼もバトルロイヤルの参加者だ。今回は見逃すが、その殺気は皆の準備が整うまでしまっておくように」
「チッ、準備が整ったところで何が変わるのよ」
ケリスは吐き捨て、槍を鋭くひと振りして血を払い飛ばす。
最後にネレズを一瞥すると、ケリスは身を翻して人混みへ消えていった。候補者たちは怯え、慌てて左右へ退いて道を空ける。
「何なんだ、あの子。俺に何か恨みでもあるのか? ん? なんだか前にも、同じようなことがあった気が……」
「あの子の槍、穂の付け根に髑髏がついてたでしょ? ネレズの本にも同じのがあるじゃん」
「何だ、たったそれだけで? それを言うなら、真っ赤なアレンの剣のほうがよっぽど――」
「アレンの剣は《”誓約”の刃》で……」
「そういう話じゃないよ、ネレズ。たぶん、君と彼女は同じ領域を争ってるんだ」
「……あの子も図書館の女神になりたいのか?」




