エイドロン
「なんで俺が君ら二人に挟まれてるんだ?」
「だって、アタシがアレンの隣に座ったら、どうせまた俺は邪魔者か~って騒ぐでしょ」
左隣のヴィルキーは悪びれもせず、銀のフォークを口へ運びながら答えた。
「今だって邪魔者なのは変わらないだろ! 前より気まずくなっただけじゃないか!」
「そんなこと言うなよ、ネレズ。俺たちのことは、きょうだいだと思えばいい。派閥の仲間って、そういうものだろ」
右隣のアレンも、宝石をちりばめた杯を傾けながら口を挟んだ。
「だいたい、なんで二人ともこんなに近いんだ? このテーブル、百人は座れるだろ!」
三人がいるのは、寮の一室にある居間だった。その豪華さは寮の域をとうに超えており、神話の住人の私室だと言われたほうが、よほどしっくりくる。
食卓に並ぶ銀食器も、ひと口にそう呼ぶにはあまりに絢爛だった。巨大なベッドを覆うシーツは、まるで雲を織って仕立てたかのよう。壁からは水晶のように澄んだ水が滝となって流れ落ち、そこから枝分かれした細い水路が部屋中を巡っている。
「夜中に目を覚まして、うっかりあの水路に足を突っ込む自分が、もう目に浮かぶ……」
室内を改めて見回し、ネレズはぼやいた。
「心配ない。暗くなると、水が淡く光るんだ」
アレンは笑って答えた。
「ところで、寮まで案内してくれたのはありがたいけどさ、いつまでここにいるつもりだ? 二人とも自分の部屋があるだろ?」
「ニンフたちが皿を下げに戻ってくるまでに、アタシたちを追い出したいんでしょ? あれだけ見入ってたもんね」
ヴィルキーはいたずらっぽく笑った。
「一応、言い訳させてもらうが、彼女たちが着てたトーガは、向こうが透けて見えるほど薄かったんだ。誰だって目が行くだろ……君がアレンの目を両手で塞がなかったら、あいつだって見てたさ……」
「ネレズの本当の狙いは、銀食器を盗んで試練が始まる前に逃げることだろ」
アレンも料理を口へ運びながら口を挟む。
「まあ、どこにいても同じだ。どうせ全員、試練の場所へ転送されるんだから」
「クソッ……俺の壮大な計画が台無しだ」
「俺たちを追い出したいなら、魔法の言葉を言えばいい」
空になったフォークを弄ぶアレンを横目に、ネレズは疲れたように息を吐き、しばらく考えた。
「分かったよ。どれだけ役に立てるかは知らないが、その『試練』とやらでは俺のそばにいていい」
「よし、同盟成立だ!」
アレンは声を弾ませ、勢いよく立ち上がった。
「今はそれで十分だ。でも、そのうち必ず君を俺の派閥に迎えてみせる。一緒に、歴史に名を残す神々の一門を築こう」
差し出された手をネレズが渋々握り返すと、アレンは満足げに笑って部屋を出ていった。
「で、君は?」
左隣では、ヴィルキーが口いっぱいに料理を頬張り、まだ飲み込んでもいなかった。
「まだ食べ終わってないのに……」
「飯なら自分の部屋にもあるだろ!」
* * *
やっと一人になれた。二人が去って静けさを取り戻すと、ネレズはバルコニーの肘掛け椅子へ深く身を沈めた。
「……まあ、危ない賭けだったけど、こうして抜け出せたんだからよしとするか。あのときは転生から逃げることしか頭になかったから、光の障壁までたどり着いた勢いで飛び込んじゃったんだよな……」
そのあと何が起きたのか。どれだけの時が流れたのかさえ、ネレズには分からない。確かなのは、気づけばどこなのか見当もつかない場所で目を覚ましていたということだけだ。
遠くには、今いる峰とともに神々の都を形作る、残る四つの峰が見えた。どの峰にも豪奢な宮殿や空中庭園が並び、いくつもの川が雲上から滝となって流れ落ちている。
「何百年も生きてるくせに、若者みたいに元気だな……神ってのは、揃いも揃ってああなのか?」
二人の半神を思い浮かべながら、ネレズはひとりごちた。
「俺の勘が正しければ、あの二人はいずれ大物になる。そうなれば、目立たず静かに最後の人生を送る計画も危うくなるな」
ネレズは立ち上がり、大理石の手すりへ歩み寄った。
「でも、運命神がもういないなら……いや、油断はできない。あの天使の顔をした悪魔は、ゴキブリ並みにしぶといし、そう簡単に消えてくれるとは思えない」
「今度は私をゴキブリ扱いするのね?」
ネレズの背筋が凍りついた。声が本当に聞こえたわけではない。あのデートで耳にした一言が、前触れもなく記憶から蘇ったのだ。
「気のせいだ……やっぱり、脚の生えたキノコなんて食べるんじゃなかった」
* * *
よほど疲れていたのか、ネレズは着替えもせずベッドへ倒れ込むなり眠りに落ちた。眠っている最中に突然召喚されたことを思えば、服を着たままだったのは不幸中の幸いだ。
地面に叩きつけられた衝撃で、ネレズは目を覚ました。
「大丈夫か?」
アレンの差し出した手を借り、身体を起こす。
「……平気だ。背中は痛いけど」
物珍しそうなヴィルキーの視線と、あちこちから上がる笑い声を浴びながら服を整えているうちに、ネレズは自分が地球にいた頃と同じ黒いジャケットを着ていることに気づいた。
最初の人生で、ネレズは身寄りのない孤児だった。おそらく、この服のまま火葬されたのだろう。
「ディヴァイン・オーダー(神の秩序)はずいぶん仕事が早いな」
アレンが肩をすくめた。
「同盟を組んだおかげで、俺たち三人は近くに転送されたんだ」
「それで、ここはどこなんだ?」
「まだエンピリアン・ピークス(神々の都)だよ」
気づけば数千の候補者が、都の主要な建物の一つ、その足元に広がる広場らしき場所へ集められていた。建物の基壇は高くせり上がり、まるで巨大な城壁の上に建てられているかのようだ。
左右から延びる二本の階段が合流し、そこから正面の大階段が始まっている。その踊り場に、ゾロヴァンが姿を見せた。今回は孫娘を連れていない。
「さて、候補者諸君。神々の祭典も、いよいよ本番だ。準備はできているだろう。その前に、一つだけ明言しておこう。エイドロンを顕現できぬ者に、参加資格はない」
「エイドロン? なんだそれ、食えるのか?」
ネレズが小声で呟くと、間を置かずゾロヴァンの説明が続いた。
「諸君も承知のとおり、エイドロンとは魂が形を得て現れたものだ。己の魂を具現化できぬ者は、その力を十全に引き出すこともできぬ」
「君ら、今ので分かったのか?」
ネレズには、説明がさっぱり呑み込めなかった。
「要するに、自分の内にあるものを形にするんだよ」
アレンはそう説明しながら、片手を差し出した。
「俺の中にある感覚? うーん……腹が減った、とか? 朝飯もまだだし」
「ははは、もっと深いところだよ」
そう言うアレンの手が輝き始め、光は輪郭を結んで鋭い長剣へと変わった。
赤い刀身から漂うオーラは穏やかさとはほど遠く、普段のアレンとはまるで正反対だった。
「その剣を見る限り、何か色々こじらせてそうだな、友よ。カウンセラーに相談したほうがいいんじゃないか」
「カウンセラー? ……って、今『友』って言ったか? ついに俺を友達だと認めてくれたのか?」
「いや、今のはただの言葉の綾で……ん? 待てよ。これ、俺にとってはチャンスじゃないか?」
ネレズも片手を差し出した。
「ここで具現化できなかったら、辺獄送りになって合法的に逃げ出せそうだ。そうしたら、この山の麓で農場でも始めて……」
言っているそばから、ネレズの手も光を帯び始めた。




