運命の影 (II)
アレンとヴィルキーは、またも困惑した様子で互いを見た。ヴィルキーがポケットから彫刻の施された小さな鏡を取り出し、ネレズに差し出す。
「嘘だろ……俺、じいさんになってる!」
「……」
「……」
「いや、でも……艶もあるし、絹みたいにさらさらで……案外悪くないかも……ん?」
よく見ると、変わっていたのは髪だけではなかった。瞳は深い金色に染まり、虹彩には不可思議な紋様が刻まれているように見える。
その輝きには見覚えがある。魂の海――アレンとヴィルキーが銀の海と呼ぶ場所の遥かな果てに浮かんでいた、あの光とそっくりだった。
ネレズはずっと、あの光へ辿り着くことを恐れていた。転生の循環からは逃れたい。そう願い続けてきたのに、なぜか、あの光を通り抜けるという道だけは選択肢に入れなかった。
代わりに、銀の海を取り囲む神秘的な緑光の障壁を抜けようとした。
とはいえ、一度に泳げるのは数百キロがせいぜい。そこまで行けば海に引きずり込まれ、また別の世界へ転生させられる。再び挑むには、その人生を最後まで生きなければならなかった。
今になって考えてみれば、あの光は、ゾロヴァンの孫娘にして生命の女神でもあるリリエンが放っていた輝きにもよく似ている。
「ネレズ?」
「何でもない……俺もすっかり人外じみた見た目になったな、と思ってさ」
ネレズはアレンへそう答え、あの恐ろしい光そのものを映すような自分の瞳から、無理やり目をそらした。
「見た目のこと? 神秘的で、けっこう格好いいと思うよ」
「ありがとう。でも、彼氏持ちの子に褒められてもな……」
「まだそれ引っ張るの? しつこいなぁ。大人げないんだから!」
「はは……ともかく、それだけ転生を重ねてきたなら、君のオーラがあれほど濃いのも納得だ」
アレンはヴィルキーをなだめるように、その肩へ手を置いた。
「普通なら、霊力は転生するときか銀の海へ旅立つときに世界へ還る。でも君は、今までの人生と渡り歩いた世界、その全部から霊力を蓄えてきたわけだ。いったいどれほどあるのか……想像もしたくないな」
俺も、できれば口にしたくない……。
「でも、ネレズ。霊力だって結局はエネルギーだ。どう使うかは、これから覚えなきゃならない……そう、俺たちと一緒にな!」
「しつこさなら、君も大概だな……」
「アタシたちの派閥の秘密を話すのも、いったんこのくらいにしない? ここ、エフェリオンの門を通る人でごった返してるし、そろそろ寮に行こうよ」
「アタシたちの派閥? 俺、入るなんて言った覚えはないけど……」
「そう言うなよ、ネレズ。もうネレズって呼ばせてくれてるじゃないか」
アレンはネレズの背に手を添え、先へ促した。
「俺たち、もう友達みたいなものだろ」
「勝手に友達扱いしないでくれ。まあ、いい加減その寮とやらには着きたいけど……」
ネレズは大した抵抗もせず、背を押されるまま歩きだした。
「夕食くらいは出るんだろ? 神って、何を食べるんだ?」
「酒の神とか豊穣の神って、聞いたことないか? 神だって、定命者と同じものを食べられるよ」
「中には魂を好んで食べる神もいるけどね」
ヴィルキーはわざと怖い顔をしてみせた。
「もちろん、霊力を吸収するために。神に捧げる生贄って、聞いたことない?」
「冗談だろ!?」
ネレズはぎょっとして辺りを見回した。
「まさかあの女神、いつか俺を喰うために太らせてたんじゃないだろうな!?」
「はは、ヴィルキーの冗談だよ。今どき、人を生贄にするなんてさすがに許されない」
アレンがそう言う横で、ヴィルキーは舌を出した。
「それに、俺の知る限り、その方法で吸収できる霊力はほんの一部だけだ。定命者は元々それほど霊力を持っていないし、効率が悪すぎる」
「霊力が世界に吸収されても、神に吸収されても、行き着く先は同じだよ。どっちにしても、魂は空っぽになって、純粋な状態で銀の海へ還るんだから」
「うーん……」
「ネレズ、もし俺たちが神になって、君とも友達になれたら、あの運命の女神がなぜ君を呪ったのか教えてくれないか?」
アレンの声からは、先ほどまでの軽さが消えていた。
「俺だって知りたい。実は、記憶もところどころ曖昧でさ。地球って世界で生きてた頃――俺の最初の人生の話だからな……」
「かなり立ち入った話なのは分かってる。でも、その『呪い』がどうにも気になるんだ」
「そうそう。神だって、銀の海やその法則には干渉できないはずだもん。その『呪い』って、実はまったく別のものって可能性も高いよ」
「分かった、分かった! でも、運命の女神の話はひとまずやめないか? このままじゃ、本当に呼び寄せそうだ」
* * *
ゾロヴァンが足を踏み入れたのは、壁が一つもない部屋だった。眼前には漆黒の深淵が広がっている。
だが、その闇にも光はあった。幾つもの太陽と、その光を映す惑星が深淵を照らしている。
ゾロヴァンは、幻のような階段を上り始めた。踏み段は自在に幅を変え、ときには見えなくなる。それでも、その足取りは揺るがなかった。
遥か彼方の太陽は脈打つ光点となり、星座や星団を織り成していた。その周りを、色とりどりの星雲が縁取っている。
ときおり、行く手を阻むように彗星が横切ったが、ゾロヴァンは目もくれず、階段を上り続けた。
「おめでとう、ゾロヴァン。どうやら君の孫娘には、輝かしい未来が待っているようだ」
「三代続けて至高神が生まれるまで、あと一歩だな」
「とはいえ、こちらも目を光らせている。孫娘だからと、好き放題に肩入れできると思うなよ。ははは」
階段を上りきった先には、星々のただ中に浮かぶ卓があり、神々がそれを囲んでいた。
「孫娘なら自力でやれる。私の助けなど必要ない」
ゾロヴァンはそう答え、卓に着いた。
「私が手を貸したところで、容易にはいかないだろうがな」
「ほかに目を引く候補者は?」
「何人かいる」
ゾロヴァンの表情が引き締まる。
「とりわけ二人だ」
「リリエンは紛れもない天才だ。あの世界を手中に収めるのに苦労するとは思えんが……」
「エリンディアに時間の神が誕生するかもしれない、と言ったら?」
神々は口を閉ざした。互いに目をやる者もいれば、視線を落として考え込む者もいる。
「それは……確かに、一大事だな」
しばしの沈黙のあと、そのうちの一柱が口を開いた。
「しかも、それだけではない……」
「まさか……運命の神まで現れると?」
その一言で、場に不穏な緊張が広がった。
「どうか、そうならぬことを願おう……この私にさえ、名のほかは何ひとつ示されなかった。言えるのはそれだけだ」




