雲上の白き都
ネレズは、気疲れしたようにため息をひとつついた。先ほどまでとは打って変わり、今はすっかり真剣な顔つきだ。
最初こそ取り乱しもしたが、あれだけの目に遭わされてきたのだ。誰だってそうなるだろう。
ようやく自由になれた――そう思って喜んだ矢先、どう見ても人間ではない連中の大群に囲まれていたのだから……。
「まずは、何に巻き込まれたのか確かめないとな……神格候補者? あの巨大な門の先が新世界? じゃあ、今いるのはどこなんだ?」
辺りでは、数千もの神格候補者とおぼしき者たちが、次々と殿堂をあとにしていた。彼らがくぐる門は、その先がまるで見えないほど眩く輝いている。それでも、誰も気にする様子はない。
突然こんな状況に放り込まれれば、面食らって当然だろう。けれど、ネレズはあまりにも長く生きすぎていた。神が実在することも知っている。遥か昔、その一柱と出会ったことさえある……それ以来、そう簡単には驚かなくなっていた。
「今は情報を集めながら、この『神々の祭典』でなるべく目立たずにいよう。あの天使面の悪魔に、逃げたと気づかれるかもしれないし……待てよ、もし本当に神に選ばれたら……運命の女神にも対抗できるのか?」
ネレズは改めて辺りを見渡した。ちょうど近くを、ひときわ目を引く美男美女が通りかかる。
行き交う者たちの視線を一身に集める二人のうち、男は燃えるような髪をした長身の美丈夫で、気負いのない自信を漂わせていた。その瞳には、空そのものが映り込んでいるように見える。リリエンと同じく、彼も自ら光を放っているかのようだった。ただ、彼女の輝きが神秘的だったのに対し、男のそれはもっと激しい。
隣を歩く少女の瞳は、鮮やかな銀色に輝いていた。光を受けた金髪は、歩みに合わせ、深い黄金色から白に近い淡黄色へと色合いを変えていく。
視線に気づいたのか、少女はちらりとこちらを振り返り、ネレズに小さく微笑みかけてそのまま歩き去った。
その微笑みに、ネレズが驚くことはない。すれ違う者の多くが、こちらを指さしては声を抑えて含み笑いを漏らしていたからだ。
ネレズは頭を掻き、ばつの悪い苦笑いを返すしかなかった。
「いや……神に選ばれたところで……」
ネレズは一度目を閉じ、また開く。
「あの爺さんの称号には『至高神』まであった。それでも、運命の女神には勝てないはずだ……ん?」
顎に手をやり、しばし考え込む。
「あの爺さんも孫娘も、生命の神だったよな……ってことは、運命の神もほかにいるのか?」
ぞくりと背筋に寒気が走り、両腕をさすった。
「そんな可能性、考えたくもないな……」
考え込んでいるところへ、背後から声がかかった。
「私のゴッドスクリプトにも、貴様の名は確かにネレジエルと表示されている……恥を知れ。そのような名を名乗る資格があるのは――」
近づいてくる割れ顎の男には見覚えがあった。先ほど、霊力が二万を超えていると得意げに語っていた男だ。
そんな痛い名前、誰が何のためにつけたのかこっちが知りたい。ネレズがそう言い返す前に、男は勝手に黙り込み、考え込むようにこちらを見た。
「いや、それより……なぜ私のゴッドスクリプトには、貴様の名しか表示されんのだ? まさか、貴様の霊力が私を上回るとでもいうのか? あり得ん……待て。そうだ、情報を隠す術はいくらでもあると聞く……」
「そのまま独り言を続けるなら、俺は失礼してもいいかな? この『会話』、俺がいる意味なさそうだし」
「私はオドリアン。フェレンディルの火の神を父に、カレンナの偉大なる光の女神を祖母に持つ者だ。この私が直々に声をかけているのだ。光栄に思え」
「うーん。やっぱり俺、いなくてもよさそうだな……」
「まずは血筋を名乗れ。血縁者に名のある者がいなければ、氏族でも構わん」
「名のある者? 身内に神がいるかって意味なら、いないよ……覚えているかぎり、俺はずっと人間だった」
「本気で言っているのか!? ならば説明してみろ、定命者。なぜ人間が神格候補者に選ばれた? 半神でさえ、霊力をこの域まで高めるには二百年を要する。自然精霊をはじめとする下位の存在なら、千年かかることすらあるのだぞ」
「そう言われてみれば、俺も千はかかったな……」
「千年だと? 私を馬鹿だと思っているのか? 人間など、百年を越えられれば幸運な方ではないか」
「いや、千年じゃなくて……生を千回」
「生を千回だと!? よくもそんな嘘を……私を侮辱するつもりか!?」
オドリアンは凄むように一歩踏み込み、ネレズの顔からわずか数センチのところで足を止めた。ところが、目が合うなり青ざめ、体勢を立て直そうと数歩よろめきながら後ずさった。
「し、試練では……いずれ貴様と相まみえる。逃げようなどと思うな!」
そう吐き捨てると、半神は門へ向かう人波に紛れていった。
「神々なら、転生の話も普通に通じると思ってたんだけどな。あそこまで怒らなくても……」
訳がわからないまま、ネレズは首筋を掻いた。
「そもそも、俺に呪いをかけたのは運命の女神なのに」
自分が何度生きたかも、軽々しく明かさない方がよさそうだ――そう頭の中の注意事項に書き加えていると、紫の髪と薄紫の瞳を持つ青年と目が合った。
二人は言葉を交わさなかった。すれ違いざま、青年はネレズに一礼すると、そのまま人混みの中へ消えていく。
「経験上、ああいう奴はただ者じゃない。例の試練とやらで会いたくない相手のリスト入りだな。それにしても……紫の髪に薄紫の目? ここで普通なのは俺だけか?」
自身がどんな姿になっているかも知らないまま、ネレズはエフェリオンの門へ向かって歩き出した。
* * *
目も眩むような光の中を数歩進み、ようやく視界が戻る。飛び込んできた光景が信じられず、ネレズは目をこすった。
そこには、大理石さながらの白い都が広がっていた。街並みは五つの山頂にまたがり、峰と峰をいくつもの巨大な橋が結んでいた。その橋脚はいずれも、雲の中へ消えている。
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[エンピリアン・ピークス(神々の都)]
原初神評議会によって築かれた、エリンディアそのものよりも古い都。
エリンディアの神都として造られた。
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どうやら、ゴッドスクリプトはただのホログラムではないらしい。ここはどこなのかと考えただけで、説明の書かれた小さなウィンドウが目の前に現れた。
「ここで暮らすことになるのか?」
「神々はそれぞれの領域を治めながら、ここにも宮殿を持つんだ。俺たちはまだ候補者だから、共同の寮暮らしだけどね」
独り言のつもりだった。ゴッドスクリプトが答えてくれれば、くらいには思っていたのかもしれない。予想に反し、返事は背後から聞こえてきた。
振り返ると、そこには栗色の髪をした逞しい青年と、金髪を三つ編みにした少女が立っていた。
「すまない、まだ名乗っていなかったな。俺たちは半神だ。俺はアレン、こっちはヴィルキー」
アレンは握手を求めて片手を差し出した。
「ネレジエル、俺と組んでくれ。俺たちなら、きっと神々の祭典を乗り切れる」




