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神々の祭典

ネレズは両手を後ろで組み、半開きの門から数歩離れた。まるで犯行現場から距離を置こうとでもするかのように。とはいえ、そんなことをしても手遅れだ。すでに一同の視線はネレズに集まっていた。


「これは一体……」


 遠くの演壇にいるはずだった長髭の老人の声がすぐ背後から聞こえ、ネレズはぎくりと身を強張らせた。


 振り返ると、老人はわずか数メートル先に立ち、巨大な両開きの門を上から下まで調べていた。


 その隣には、自ら光を放っているような少女まで、いつの間にか立っている。ネレズは危うく仰け反って倒れそうになった。


 少女は、魂の奥まで見透かすような目でネレズを正面から見据えていた。


「エフェリオンの門が開くのは、神々の祭典が始まる時のみ。このような事態は前例がない……」


 そう告げて振り返った老人の鮮やかな翠色の瞳もまた、ネレズを捉えた。


 二人の視線を受け、ネレズは老人と少女が同じ翠色の瞳をしていることに気づいた。どちらも春そのものを映し込んだような鮮やかな色だ。ただ、共通しているのはそこだけで、老人の髪と長い髭は白く、少女の髪は桜色だった。


 少女からあれほど真剣な目を向けられるだけでも居心地が悪い。そこへ老人は目を閉じ、呆れたように首を振った。


「偶然か否かはともかく、説明が終わるまでは、誰一人として暁の殿堂から出ることを許さない。いい加減に落ち着きなさい、ネレジエル」


「ネレジエルだと? ずいぶん大それた名を……」

「まだ神ですらないくせに。なんと不遜な」

「どうせ自分でつけた名だろう。失格になったら見ものだな……」

「失格になったら、だと? 最初から問題ばかり起こしている。もう失格でいいだろう」


 なぜ老人が自分の名を知っているのか、ネレズはあえて尋ねなかった。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

[ゾロヴァン]


神格:生命の神

位階:至高神

称号:フェレンディルの世界主神、原初神評議会第一席

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 ゴッドスクリプトにはほかにもさまざまな情報が並んでいたが、称号を見るだけで十分だった。目の前の相手には、間違っても無礼を働けない。


「失礼ですが、その……閣下、でよろしいでしょうか?」


 周囲の陰口にわずかな望みを見いだし、ネレズは切り出した。


「これだけ騒ぎを起こしたんですし、俺は失格にしておいたほうがよくありませんか? その決定には従います。あとは自分なりに生きていきますので。どこか辺境で、しがない農夫にでもなって……」

「君を失格に?」


 ゾロヴァンは長い髭を撫でた。


「誰が神に昇格し、誰が元いた場所へ戻るのか。それを決められるのはディヴァイン・オーダー(神の秩序)だけだ。道はその二つしかない」


 ネレズは背筋が冷えた。元いた場所へ戻る――つまり、魂の海へ送り返されるということか? 結局、自分は逃げ切れていなかったのか? あの障壁は確かに越えたはずだ。それとも、その先に果てしなく広がる虚空をさまよい続けることになるのだろうか。


「いずれにせよ、どうやら君には並々ならぬ期待を寄せている者がいる。理由もなくその名を与えられたわけではない。期待を裏切らぬことだ」

「はい……?」


 その言葉を快く思わない者も多いようだが、ゾロヴァンは気にも留めない。笑って少女とともに姿を消したかと思えば、次にはもう、二人そろって遠くの演壇に立っていた。


「さて、諸君もそろそろ、ゴッドスクリプトに慣れてきた頃だろう」


 ゾロヴァンは改めて殿堂全体へ語りかけた。


「先ほど述べたとおり、新生世界エリンディアに用意された神の座の行方は、ディヴァイン・オーダーが決める。ただし、諸君もそれぞれ己の価値を示さねばならない」

「エリンディア?」


 ネレズは老人の話を半分も聞いていなかった。自分に「ネレジエル」と名づけ、期待を寄せている何者かがいる。そんな話を聞かされても、まだ頭が追いつかない。それ以上に恐ろしいのは、ディヴァイン・オーダーとやらに魂の海へ送り返される可能性だった。そうなれば、記憶を抱えたまま死と転生を繰り返す永遠の循環――「運命の女神の祝福」へ逆戻りだ。


 ネレズは背後の半開きの門へちらりと目をやったが、今は放っておくことにした。これ以上目立つのは御免だ。


「ディヴァイン・オーダーは、ゴッドスクリプトを通じて諸君一人ひとりに試練を課す。その内容は、それぞれがどのような神になり得るかによって決まる」


 ゾロヴァンの視線が広大な殿堂を巡ると、あちこちでごくりと喉が鳴った。


 栗色の髪の青年と、その傍らにいる金髪を長い三つ編みにした少女は揃って頷く。少し離れた場所では、血のように赤いツインテールの少女が、片手で口元を隠してあくびを噛み殺していた。


 遠くでは、巨大な柱にもたれた燃えるような髪の長身の男が、銀の瞳の少女に自信ありげに笑いかけている。対する少女は、すっと目をそらした。



「ある神の座にもっともふさわしい候補者だと証明した時……あるいは、ほかの候補者がすべて姿を消した時――そのいずれかで初めてディヴァイン・オーダーは諸君へ神としての称号を授ける」


 ネレズには、その間がたまらなく嫌だった。何を意味するかは、考えるまでもない。


 聞き違いでなければ、彼らはエリンディアに用意されたいくつかの「神の座」をめぐって競うことになるらしい。


「椅子の神みたいな地味な称号を取れないか? それなら目立たずに済むし、転生の循環へ戻されるのも避けられるかもしれない……」


ネレズは拳を握り締めた。


「試練の間ずっと座ってればいい! 俺以上に椅子の神に向いてる奴はいないって証明してやる!」

「ぷっ!」


 銀の瞳の少女がこらえきれずに吹き出した。隣にいた燃えるような髪の男は、何がおかしいのか分からない様子で彼女を見た。


「ただし、一人だけ例外がいる」


 小声で話し始めていた候補者たちも、その一言で一斉にゾロヴァンへ向き直った。


 ゾロヴァンが手で示すと、数歩後ろに控えていた少女が演壇の前方へ歩み出る。


「リリエンと申します。こうして皆様とこの場に立てたことを嬉しく思います。そして、エリンディアでこれほど重要な使命を担う者に選ばれたことを、心より光栄に存じます」


 リリエンは一同へ向け、挨拶代わりに軽く頭を下げた。


「彼女は私の孫娘であり、ディヴァイン・オーダーがエリンディアの女神として最初に選んだ者でもある」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

[リリエン]


神格:生命の女神

位階:絶対神

血統:ゾロヴァンの血統

称号:エリンディア最初の選定神

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 ゾロヴァンの時と同じく、ゴッドスクリプトには称号をはじめ、さまざまな情報が浮かび上がったが、今のネレズにはその大半がどうでもよかった。


「いかにも身内びいきって感じだな……まあ、俺には関係ないか」


ネレズは肩をすくめ、小声でぼやいた。


「生命の神だけは常に例外だ。我々なくして新たな世界が生まれることは極めて難しい。ゆえに、ディヴァイン・オーダーは適性だけを見て我々を選ぶ」


 ゾロヴァンは説明を続けた。


「ですが、その例外もここまでです」


今度はリリエンが言葉を継いだ。


「エリンディアへ入れば、選ばれた神はそれぞれ自らの力で立たねばなりません。その点では、私たちは皆、平等です」


ゾロヴァンは長い髭を撫でながら口元に笑みを浮かべた。


「ただ、一人の祖父としては、どうかこの子に優しくしてやってほしい」


 笑い声と拍手が湧き上がった。少しでも好印象を残そうと気を揉む者もいれば、早くも対抗心をのぞかせる者もいる。リリエンはもう一度軽く一礼し、祖父の後ろへ戻った。


「よろしい。本日の説明はこれまでだ。長旅の疲れを癒すといい。なかには長旅どころか、突然この場へ現れた者もいるようだがな」


 老神の皺深い目元に、茶目っ気がのぞいた。


「諸君それぞれの試練が決まるのは明日だ。それまでは休んでもらって構わない。だが――神々の祭典そのものは、今この瞬間から始まる!」


 その宣言と同時に、殿堂の巨大な門が轟音とともにひとりでに開き始め、場内が大きくどよめいた。


「今まさに、エフェリオンの門は原初神評議会の監督下にある新生世界エリンディアとつながったのだ」


 ネレズの周りでは、期待が一気に膨れ上がった。両手を組んで待ちきれない様子の者もいれば、余裕ありげに笑う者もいる。ゾロヴァンの孫娘がいつの間にか姿を消していたことには、ほとんど誰も気づかなかった。


「天空の神が風の神を従えることが多いように、諸君も試練が始まる前から自由に派閥を結成してよい。仲間や指導者の昇格が、諸君自身を神の座へ近づけることもあるだろう」

「派閥……?」

「ひとまず以上だ、選ばれし魂たちよ。各々の試練が始まる前に、エリンディアでまた会おう!」


 ネレズが見回すと、祭典が始まる前から仲間を決めていた者も多かったのか、すでに二人組や集団で連れ立って暁の殿堂を出ていくところだった。笑い声が飛び交い、皆、憧れと興奮を隠しきれない様子だ。


「いや……椅子の神になるのに、机の神なんて必要ない! まあ一応、四つん這いが似合いそうな奴がいないかくらいは見ておこうか……」

「チッ。誰の許可で私より目立ってるのよ?」


 耳元で、誰かが苛立たしげに囁いた。ネレズが振り向いた時には、殿堂を出ていく人波に赤いツインテールが紛れるのが見えただけだった。

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