第7話 フェルマー商会の、焦り
フェルマー商会の当主、ロドリゲス・フェルマーは、不機嫌だった。
机の上には、三月分の取引帳簿が広げられている。数字は、右肩下がりに落ちていた。
「南の取り分が、減っている」
番頭が、額に汗を浮かべて答える。
「は……南街道の商隊が、王都へ来なくなっておりまして。どうも、別の関所に流れているようで」
「別の関所だと? 南にまともな関所など、うちが押さえた王都ルートしか――」
ロドリゲスは、言葉を止めた。
一つ、心当たりがあった。
「……ロウフェルト、か」
「ご存知でしたか。あの寂れた関所町が、通行料をゼロにしたとかで、商隊が集まり始めていると」
ロドリゲスの指が、机を叩いた。
三年前。彼は王都に金を積み、南街道の関所の通行料を吊り上げさせた。小商人を締め出し、南の交易を自家で独占するためだ。ロウフェルトのような中途半端な関所には、わざと高い料率を割り当てた。誰も通らなければ、競合は育たない。
その仕掛けが、今、裏返っている。
「誰だ。誰が、あんな町の料率をいじった」
番頭が、言いにくそうに答えた。
「それが……王都帰りの査定官だと。女で、名は――セレーナ・ヴァロワ」
ロドリゲスの顔が、強張った。
セレーナ・ヴァロワ。
通商評議会の査定官。彼が王都に手を回すたび、ただ一人、料率の不正だけは決して見逃さなかった女。職務に忠実すぎて、いっそ厄介だった女。
その女が、フェルマーの後ろ盾――王太子アルベリクによって、追放された。
「あの娘を、王太子が捨てたと聞いて、私は喜んだ。目障りな査定官が消えた、とな」
ロドリゲスは、低く呻いた。
「だが――捨てた先で、あの女は牙を剥いた。よりによって、私の南ルートの喉元、ロウフェルトで」
「い、いかがいたしましょう」
「決まっている。商隊を、ロウフェルトへ行かせるな。うちの息のかかった隊には、南ルートを使わせろ。あの町に荷が集まらなければ、市は枯れる」
そのとき、扉が開いた。
娘のミレーユが、青い顔で入ってきた。手には、分厚い書類の束。
「お父様……これ、どうしても読めませんの」
「何の書類だ」
「通商評議会から引き継いだ、査定の記録ですわ。料率の決め方が、書いてあるはずですのに……数字ばかりで、どれをどう使えばいいのか、さっぱり」
ロドリゲスは、娘を見た。
「商いの天才」と、社交界で持て囃されている娘。だが――その評判が、何に支えられていたかを、彼は知っていた。
ミレーユが査定した荷の値は、いつも正確だった。だがそれは、彼女がセレーナの定めた料率表を、そのまま写していたからだ。基準があれば、誰でも数字は出せる。
基準を作る目こそが、本物だった。
そして、その目は――今、ロウフェルトにある。
「お父様。前任の方は、こんな難しいこと、どうやって……」
ロドリゲスは、答えなかった。
答えれば、娘の「天才」が虚像だと認めることになる。そして、その虚像の上に、フェルマー商会の繁栄が乗っていることも。
「……案ずるな。基準など、なくともいい」
彼は、自分に言い聞かせるように呟いた。
「数字を作る目がなくとも、流れさえ握っていれば、商いは回る。あの町に、荷を行かせなければいいのだ」
だが、その声には――かつてないほどの、焦りが滲んでいた。
窓の外で、王都の市場のざわめきが、また少し、細った気がした。
ミレーユの「天才」が、何に支えられていたのか。
種を、ここで蒔いておきました。崩れるのは、もう少し先で。
次話、フェルマーの妨害が始まります。そして、リタの裏道が火を噴きます。
ブックマーク、ありがとうございます。




