第57話 対等の、協定
議は、翌日の昼に通った。
賛成十六、反対五、棄権二。反対の五人は、ギルベルトの側だった。ギルベルト本人は、議場に来なかった。
私は卓の前で、票が読み上げられるのを聞いていた。数を数えているあいだ、議場は静かだった。
通ったのは、四つのことだけである。
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一つ。互いの規には手を出さない。同盟の中は同盟の規で、自由市同盟の中はこちらの決まりで。
二つ。境を越える荷は、双方が認める同じ物差しで量る。等級の付け方、割れの見方、升と秤の寸法を揃える。
三つ。境の関所では、荷改めは一度きりとする。片側で等級のついた荷は、もう片側では開けない。
四つ。双方の市の値を、月に一度、互いに写して渡す。
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四つ目を書き加えたのは、私だった。
議のあと、盟主の館で条文を詰めているときに、そう申し出た。
「値を、渡すのですか」
書記を務めていた年配の交易監が、眉を寄せた。
「こちらの相場を、そちらへ渡すことになりますが」
「はい。そちらの相場も、こちらへいただきます」
「……それは、商いの手の内では」
「手の内です」
私は認めた。
「ですから、両方が出します。片方だけが持っていると、それは武器になります」
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私は、三年前の書付の写しを卓に置いた。
王都の通商評議会に南街道の料率引き上げを進言した、あの一枚である。オルブレヒトが、自分が数字を渡したと認めた紙だった。
書記の交易監が、それを読んだ。読み終えて、顔を上げた。
「これは」
「三年前、私の町が死にかけた理由です」
私は言った。
「この書付には、王国の相場と、こちらの相場が並べて書いてあります。並べられる人が、当時は一人しかいませんでした。片方の相場だけを持っている人だけが、こういう紙を作れます」
部屋が静まった。
オルブレヒトは、何も言わなかった。彼は自分が何をしたかを既に認めている。私も、それをここで責めるつもりはなかった。
「月に一度、互いに値を写し合えば」
私は続けた。
「両方の相場は、両方の市の板に載ります。誰でも見られます。……そうなれば、こういう書付は作れません。作っても、意味がありません。誰でも知っている数字で、誰を驚かせることもできませんから」
書記の交易監は、しばらく黙っていた。
それから、彼は羽根ペンを取り、四つ目の条文を書き入れた。
「……なるほど。罰では、ないのですな」
「はい」
「三年前のことを、罰することもできたでしょうに」
「できません」
私は言った。
「罰すれば、それは私とあなた方の話になります。……もう一度同じことが起きるかどうかは、罰では決まりません。同じことが起きない形にしておくほうが、確かです」
オルブレヒトが、初めて口を開いた。
「――上書きされたな。私の三年前が」
彼の声には、恨みも皮肉もなかった。
「消してはおりません」
私は言った。
「消せません。三年前、ロウフェルトの通行料は四割になり、隊商は関所の前で立ち往生しました。それは起きたことです。……ただ、これから同じ紙が作れないようにはできます」
***
調印は、三日後だった。
議事堂ではなく、港の市の広場で行われた。場所を選んだのは、オルブレヒトである。
「屋根の下でやると、密約だと言う者が出る」
彼はそう言った。
広場には、市の商人が集まっていた。荷を担いだまま立ち止まった者、天幕から出てきた者、両替台の男。誰も静かにしろとは言われず、荷車の音も呼び売りの声も止まなかった。
条文が読み上げられた。四つだけなので、短かった。
私は、ロウフェルトの査定官として署名した。辺境伯ボルガーの委任状を添えた。オルブレヒトは、トラス商業同盟の盟主として署名した。
拍手は、まばらだった。
商人たちの多くは、これが何を意味するのかを、まだ測りかねていたのだと思う。それでいい。制度は、拍手されるより、翌月の帳面で分かるほうがいい。
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署名を終えたあと、オルブレヒトが小さく言った。
「セレーナ殿。四つ目の条文だが」
「はい」
「あれは、私を縛る条文でもある」
彼は書面を見ていた。
「私が二度と、三年前と同じことをできないようにしてある。……そして、私がそれを望んだのだと、後から誰も言えないようにしてある」
「望まれましたか」
「望んだ」
彼は言った。
「四十年、誰も私を縛らなかった。白紙ばかり渡された。……縛られてみると、案外、楽なものだな」
私は、町の書かせた三行の紙のことを思った。
あれも、私を縛る紙だった。縛られていたから、この三日で一度も迷わずに済んだ。
***
その日の夕方、リタが広場の端で待っていた。
「終わったか」
「終わりました」
「じゃ、帰るか」
彼女はそれだけ言って、荷を担ぎ直した。
帰る、という言葉が、やけにはっきり聞こえた。
私は北の空を見た。六日の道の先に、あの町がある。
――帰る場所がある。
半年前には、無かったものだった。
四つ目――互いの値を月に一度写し合う――が、この作品の答えです。
三年前の書付は「片方の相場だけを持っている人」にしか作れませんでした。両方が公開すれば、その紙は二度と作れません。罰ではなく、成立しない形にする。三年前の糸は、ここで完全に片づきました。
「四十年、誰も私を縛らなかった。縛られてみると、案外、楽なものだな」。第50話の三行の紙と、ここで繋がります。
そして、六日の道の先に「帰る場所がある」。半年前には無かったものです。
「案外、楽なものだな」に笑って泣きそうになった方は、ブックマークをひとつ。四つ目の条文の、写し代に。
次話、ギルベルト。倒すのはセレーナではありません。彼の側の算盤です。




