第53話 物差しは、誰のものか
三日目、卓に着いた。
場所は議事堂ではなく、盟主の館の小さな部屋だった。立会いは、盟主の背後に立っていた年配の交易監が三人。
オルブレヒトは、前置きをしなかった。
「単刀直入に申し上げる。ロウフェルトの市を、同盟に迎え入れたい」
***
条件は、驚くほど良かった。升と秤はそのままでよく、査定も板も今の形のままでよい。掛かりは同盟が持つが、断るなら持たなくてもよいという。
同盟の値の定めはロウフェルトにも及ぶのか、と私は訊いた。及ばぬようにする、と彼は答えた。
「二十三人の議で、そう決まりましたか」
立会いのいちばん年かさの男が、わずかに姿勢を変えた。
「……まだだ。これから通す」
オルブレヒトは正直に答えた。
通らなかったらどうなるのか、と私は訊いた。通す、と彼は言った。
「盟主様。昨日あなたは、干魚の村を助ける議が通らないとおっしゃいました。誰の荷も増やさないからだと」
私は、卓の上で指を組み直した。
「私の市を規の外に置く話は、誰かの荷を増やしますか」
答えは、返ってこなかった。
***
「あなたは、私の物差しが欲しいのだとお見受けします」
四十年前、この人は自分の物差しをはじかれた。安く売ったからだ。それから四十年かけてこの都市を整え、升も秤も率も揃えて、けれど値の定めだけは外せなかった。外せば同盟が同盟でなくなる。
そこまで言うと、オルブレヒトの目が動いた。名簿を見たのだと、今、悟ったのだろう。
だからこの人は、外にあるものを欲しがった。同盟の中では作れないものを、外から連れてくれば置けるかもしれないと思って。
「……その通りだ」
彼は、否定しなかった。
「置けると思うか」
「置けません」
置いた瞬間に、それは二十三人の議にかかる。議にかかったものは、いつか変えられる。変えられる物差しは、もう物差しではない。
***
「では、あなたの物差しは、変えられぬのか」
オルブレヒトが訊いた。声が、初めて鋭くなった。
「あなたが決めているのだろう。あなたが変えると言えば変わる。……それは、二十三人が決めるより危うくないか」
的確だった。私は少し考えてから、答えた。
「危ういです」
「認めるか」
「認めます。ですから、発つ前に、町に紙を書かせました」
私は懐から紙を出して、卓に置いた。
升は渡さない。掛かりは自分で払う。誰も追い出さない。三行の紙だった。
「これは、私を縛る紙です」
三人の交易監が、紙を覗き込んだ。
卓で折れそうになったときに開く紙だった。この三つを渡せと言われたら、私に決める権はない。町へ持ち帰るしかない。
オルブレヒトは、その三行を何度も読み返していた。
***
「……これを、町が書いたのか。あなたが書かせたのではなく」
「三つ目は、私が思いつきませんでした」
誰も追い出さない、という一行である。あれは町が私に持たせたものだった。私が、頼まれたら折れるかもしれないと思われたからだ。
彼は紙を置き、それから、ゆっくりと言った。
「羨ましい、と言ったら、笑うかね」
笑いません、と私は答えた。
「二十三人は、私にこういう紙を書かん」
彼は自分の手を見た。
「私に白紙を渡す。好きにやれ、責は取れ、とな。……白紙を渡された者は、いくらでも折れられる」
***
「盟主様。一つ、伺わせてください」
私は言った。
「物差しは、誰のものだと思われますか」
彼は顔を上げた。
「……定めた者のものだ。同盟が定めれば同盟の、あなたが定めればあなたのものだ」
「私は、違うと思います。物差しは、使う人のものです」
立会いの三人が、初めて顔を見合わせた。
「マリカさんが干魚を量る升は、同盟のものではありません。あの方が毎朝それで量って、買い手がそれを信じている。……定めた人が誰であっても、使っている人のところにしか、物差しはありません」
「では、私が定めた値は」
「あれは、物差しではないと思います。値は、量った結果です。目盛りの上に出た数にすぎません。……あなたは四十年、目盛りのほうを押さえてきた。押さえられるのは、それが人の決めごとだからです。升の目盛りは、押さえようがありません」
オルブレヒトも立会いの三人も、長いこと動かなかった。
やがて彼は椅子の背にもたれ、天井を見上げて、それから低く言った。
「……四十年、私は間違ったものを整えてきたことになる」
そうは申しません、と私は言った。言ったも同然だ、と彼が返した。認めるほかなかった。
この三日で見た升と秤は、本物だった。間違っていたのはそこに値の定めを乗せたことだけだと思う、と私は言った。
「乗せねば、小さい者が死ぬ」
はい、と私は頷いた。
「ですから、乗せる以外の道を作る話を、私はしたいのです」
彼がこちらを見た。長いあいだ、何も言わなかった。
その目を、私は覚えている。半年前この人が、面白い、と笑ったときと同じ目だった。
「――明日、議事堂で話してもらえるか。二十三人の前で。あなたが今言ったことを、そのまま」
「物差しは、使う人のもの」――この作品がずっと言おうとしてきたことを、セレーナがようやく盟主本人に向けて言いました。
「値は物差しではなく、目盛りの上に出た数だ」。この切り分けが、オルブレヒトの四十年を根元から揺らします。
もう一つ。「あなたが変えると言えば変わる」という指摘に、彼女は「危ういです」と答えます。認めます。だから町に紙を書かせた。第50話の三行が、ここで効きました。
そして盟主は、議事堂で話せと言います。……そこには二十三人がいます。うち五人しか、彼の後ろに立っていません。
盟主の長い沈黙にざわりとした方は、評価の星をひとつ。議事堂の灯の、蝋燭代に。
次話、議事堂の前夜。剣は一本も抜かれませんが、事は起きます。




