第52話 トラスの、内側
二日目、私は議事堂へ通された。
階段状に席の並んだ円形の広間で、低くなった中央に卓が一つ置かれている。二十三人の交易監のうち、席にいたのは十四人だった。今日は査問があるという。
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卓の前に立たされたのは、四十ほどの女だった。
名をマリカといった。海沿いの村で干魚を扱っている。同盟の名簿に載って十二年になるという。
罪状が読み上げられた。
――同盟の定めた値を下回る額で、干魚を売り渡したること、三度。
「売りました」
彼女は言った。声は落ち着いていた。
「不漁の年でした。うちの村は、魚が獲れなければ何も売るものがありません。定めの値では、買い手がつきませんでした」
「値がつかぬなら、売らねばよい」
交易監の一人が言った。年配の男だった。
「売らなければ、村が越冬できません」
「それは、村の事情です」
「はい。村の事情です」
マリカは、それだけ言って口を閉じた。
言い返せなかったのではなく、この場では言い返す言葉が通らないと知っている顔だった。
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処分は罰金と戒告で、次に同じことがあれば除名、と付け加えられた。名簿から外されれば関所を通れず、干魚は運べなくなる。
女は礼をして出ていった。背筋は伸びていたし、泣いてもいなかった。ただ、扉のところで一度だけ立ち止まって、それから出ていった。
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その日の夕方、盟主の館でオルブレヒトと向かい合った。
私は先に訊いた。
「なぜ、安く売ってはいけないのですか」
「そう訊かれるだろうと思って、あの日を選んだ」
彼は驚きもせず、卓の上で指を組んだ。
「値が崩れると、いちばん先に潰れるのは、小さい商人だからだ」
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私は、すぐには言葉が出なかった。
「大きな商会は、値が半分になっても持ちこたえる。蓄えがあるからだ。半年、赤字で売り続けて、周りが潰れたところで値を戻せばいい。……小さい商人には、その半年がない」
彼は続けた。
「四十年前、南の塩がそうなった。大きいのが三軒残って、小さいのが百軒消えた。残った三軒が値を決めるようになって、塩は倍になった。……そのあとで、同盟ができた」
「値を、定めるために」
「守るためにだ。誰も定めた値より安く売れなければ、蓄えのある者が安売りで小さい者を殺すことができなくなる。……この仕組みで、南の商人の数は四十年で三倍に増えた。数字がある。見せてもよい」
私は頷くしかなかった。嘘ではないと思った。整った升も、揃った秤も、朝に貼り出される率も、この仕組みが生んだものだ。
「よく、分かりました」
そう言ってから、私は続けた。
「一つだけ、伺います。……今日、卓の前に立っていたのは、大きい商人でしたか」
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オルブレヒトの指が、止まった。
「マリカという方でした。海沿いの村で、干魚を扱っておられる。名簿に載って十二年。不漁の年に、定めの値では買い手がつかず、安く売った。……あの方は、小さい商人だと思います」
「……そうだ」
「小さい商人を守る仕組みが、小さい商人を裁いていました」
彼は、答えなかった。
「私は、仕組みが悪いと申し上げているのではありません。四十年で商人が三倍になったのなら、それは良い仕組みです。……ただ、どんな仕組みにも、こぼれる人が出ます。こぼれた人をどう扱うかで、その仕組みが何を守っているのかが分かります」
「規を曲げれば、規でなくなる」
「はい。ですから、曲げよとは申しません。あの方に必要だったのは、値を下げる許しではありません。不漁の年に、干魚以外のもので越冬する道です。それは、値の規では作れません。……そちらを誰も作らなかったのは、なぜですか」
しばらく、誰も何も言わなかった。窓の外で、荷の入れ替わる時刻を知らせる港の鐘が鳴った。
「……作らなかったのではない」
オルブレヒトは、低く言った。
「作れなかった。二十三人の議が通らん」
「なぜ通らないのですか」
「小さい村を一つ助ける話は、誰の得にもならんからだ」
彼は自分の手を見た。大きな、節の太い手だった。
「議を通すには、七人を説かねばならん。七人が動くのは、自分の受け持ちの荷が増えるときだ。……不漁の村の越冬は、誰の荷も増やさん」
「では、あなたが決めれば」
「私が決めれば、次の議で私が浮く」
それが答えだった。この都市でいちばん大きな権を持っている人が、干魚の村を一つ助けられずにいる。
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その夜、私は宿の窓辺で長いこと座っていた。
十九のときに安く売って同盟からはじかれた人が、今、安く売った女を裁く場所に座っている。仕組みを憎んで、頂まで登って、登ってみたら、その仕組みを止められなかった。四十年かけて。
――だから、外を欲しがるのだ。
自分が動かせなかったものを、外から来た誰かが動かしてくれるのなら。
私は紙を開いた。町の書かせた、三つの紙である。
この人は明日、この紙を欲しがるだろう。私の物差しを、この都市に入れたがるだろう。
そして入れた瞬間に、それは二十三人の議にかかる。
オルブレヒトの理屈は正しい。値を定めるのは小さい商人を守るため――四十年で商人が三倍になった、という数字まであります。嘘ではありません。
そのうえでセレーナが突くのは一点だけ。「今日、卓の前に立っていたのは、大きい商人でしたか」。
そして、この章でいちばん重い事実。この都市でいちばん大きな権を持つ人が、干魚の村ひとつを助けられずにいます。「私が決めれば、次の議で私が浮く」。
次話、二人が正面から向き合います。値と物差しは、同じものでしょうか。




