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追放された関税令嬢は、辺境に「税のいらない街」をつくります 〜王都の通行手形はぜんぶ私が捌いていたのですが、止めても構いませんよね?〜  作者: 花守いとは


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第34話 リタの、昔の名前

 三日後、市に一枚の触れが回った。


 トラス商業同盟の名で出されたものだった。南街道での密輸に関わった者の名を挙げ、身柄を引き渡すか、同盟の裁きに応じるよう求めている。街道を持つ勢力は、どこもこうした触れを出す。


 名は五つ。そのうちの一つが、リタだった。


 正しくは、リタという名ではない。書かれていたのは、私の知らない名だった。ただし但し書きに、現在ロウフェルトにて道案内を業とする者、とある。


 誰が読んでも、彼女のことだった。


 ***


 リタは、町外れの厩にいた。


 馬に鞍を置いていた。荷は既にまとめられ、括られている。彼女は私を見ても、手を止めなかった。


「聞いたか」


「はい」


「なら話は早い」


 腹帯を締める手つきは、いつもどおり無駄がなかった。彼女は馬の腹に膝を当てて息を吐かせ、たるみの分だけもう一度締め直した。急いでいる人間の手ではなかった。もう決めた人間の手だった。


「本当なのですか」


「本当だ」


「十年前、おれは南の街道で荷を運んでた。関所を通さねえ荷をな。通さねえほうが安いからだ。頼まれりゃ、案内した。何を運んでるかは、訊かなかった」


「……訊かなかった」


「訊かなきゃ、知らねえで済む。そう思ってた」


 彼女の語り口は淡々としていた。裏道を行く者の仕事は、私が思っていたよりもずっと細かい手間の積み重ねらしかった。月の出ない夜を選び、蹄に布を巻き、川を渡る場所を水嵩で決める。荷を軽く見せるために積み方を変え、関所の見回りが替わる刻限を覚えておく。


 どれも、荷を無事に届けるための技術だった。運ぶ物が何であれ、技術そのものは変わらない。


 変わらないからこそ、訊かずに済ませられたのだろうと思った。


「相棒がいた。おれより二つ下の男でな。あるとき、荷の中身がひどいもんだと気づいて、抜けるって言い出した。おれは止めた。抜けるなら黙って抜けろ、騒ぐなって」


 彼女は初めて手を止めた。


「あいつは騒いだ。役人に持っていった。……その三日後に捕まったよ。密告されてな」


 密告したのは役人ではなかった、とリタは言った。荷を頼んでいた買い手のほうだった。運び手の名を先に役人へ渡し、自分は荷主の側から手を引いた。名前を売られた五人のうち、捕まったのは相棒だけで、残りは逃げた。逃げられた者と逃げられなかった者を分けたのは、運の善し悪しでしかなかったという。


 厩の外で、風が鳴っていた。


「その買い手が」


「レーヴェだ」


 名前を口にするとき、彼女の声は平らだった。感情を抜いた声だ。抜かなければ、しゃべれないのだと分かった。


 ***


「だから出ていく」


 彼女は鞍に手をかけた。


「おれがいる限り、あいつは同じ手を使う。市の触れに『匿っている』と書かれりゃ、それだけで商人は逃げる。荷を持って関所を通るのに、罪人の町を通りたがる馬鹿はいねえ」


 私が名を呼ぶと、彼女は初めてこちらを見た。


「姐さんは正しいことをやってる。おれのせいで、それを汚させたくねえんだよ」


 私は動かなかった。動けば、彼女が楽になると分かっていたからだ。


 彼女の言っていることは、商いの理として正しかった。私はそれをよく知っていた。信用は積むのに半年かかり、崩れるのは三日でいい。


 正しい。正しいから、腹が立った。


「一つだけ、伺います」


 私は言った。彼女の手は、まだ鞍から離れていなかった。


「あなたは、十年前に何をしたのですか」


 リタが眉を寄せた。


「言ったろ。荷を運んだ」


「はい。そして、抜けようとした相棒を止めた。訊かずに運んだ。……それは、罪です」


 彼女の顔が強張った。


「でしたら、なぜ逃げるのですか」


 リタが息を呑んだ。


「罪があるなら、裁かれるべきです。裁かれるべきなのは、あなたと――名前を売った買い手の両方です。あなたが出ていけば、裁かれるのはあなた一人になります」


 風の音が、やけに大きく聞こえた。


「あの方は、あなたを裁きたいのではありません。この町から、あなたを消したいだけです。だから触れに但し書きを付けた。名前ではなく、居場所を書いたのです」


 リタは何も言わなかった。ただ、鞍にかけたままの手が、わずかに強張っていた。


「あなたが今夜出ていけば、それで終わりです。誰も裁かれず、誰も償わず、町は弱点を一つ失って、あの方は望みどおりのものを手に入れます」


「……姐さん」


「私は、あなたに残れとは言いません」


 私は言った。


「決めるのは、あなたです。ただ、決める前に、これだけは知っておいてください。――あなたが出ていっても、この町は強くなりません」


 ***


 その夜、リタは町を出なかった。


 けれど厩の馬には、鞍が置かれたままだった。


 翌朝、私が帳場を開けると、市の様子が変わっていた。人が少ない。天幕がいくつか畳まれている。


 毛織物の三人組が、南へ発ったという。触れが回った、翌朝のことだった。


 それでも、誰一人としてリタの名前を口に出さなかった。責める声が上がらないことが、いちばん応えた。

過去が、町の弱点になる回でした。

リタの罪は本物です。ごまかしません。けれどセレーナは「罪があるなら裁かれるべきだ、あなたと、名前を売った男の両方が」と言います。


そして、いちばんつらいのは、誰もリタを責めないことでした。責められれば、まだ言い返せます。


次話、隣の関所町ハーフェンが、トラス側に落ちます。第1部から通して、初めての明確な敗北です。

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