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追放された関税令嬢は、辺境に「税のいらない街」をつくります 〜王都の通行手形はぜんぶ私が捌いていたのですが、止めても構いませんよね?〜  作者: 花守いとは


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第33話 レーヴェの誘い

 交易監レーヴェがロウフェルトに入ったのは、雨の朝だった。


 供は少なく、馬車も派手ではなかった。関所の前で自ら降り、濡れた外套を丁寧に畳んで従者に渡した。四十ほどの、痩せた男だった。


「セレーナ・ヴァロワ様。お初にお目にかかります」


 彼は深く頭を下げた。


「交易監のレーヴェと申します。以後、お見知りおきを」


「ご用件を伺います」


「商いのお話です。それ以外に、私が持って参るものはございません」


 彼は微笑んだ。目だけが笑っていなかった。


 ***


 その日、レーヴェは市を歩いた。


 私は止めなかった。市は誰にでも開いている。それが決まりだった。


 彼の回り方には、順序があった。まず天幕の外から荷を見て、次に商人の顔を見て、それから初めて声をかける。荷を褒めるときは品の名を正しく言い、産地を外さなかった。毛織物の商人には織りの目を、陶器の商人には焼きの締まりを訊いている。訊き方が素人のそれではなかった。


 商人は、荷を正しく見てくれた相手を覚える。半年前に私がこの町でやったのも、それだった。


 夕方には、町中の商人が彼の名を知っていた。


 夜、リタが帳場へ駆け込んできた。


「姐さん。まずいことになってる」


「何を言われました」


「よく分かるな」


「あの方は、脅しには来ていません。だとすれば、誘いに来たはずです」


 リタは舌打ちして、腰を下ろした。


「陶器の隊商頭のとこだ。トラスの市へ移らねえかと持ちかけられてる。荷の運び賃は同盟持ち。最初の一年は場代なし。売れ残りは同盟が引き取る。……破格だ」


 同じ話は、毛織物の三人組にも、鍛冶の親方にも持ちかけられていた。リタが数え上げた名は、市の中でも荷の大きい者ばかりだった。そして断った者には、レーヴェは一様に、返事は急がないと笑って引き下がったという。


 私は帳面を閉じた。


 急がせないのは、余裕があるからではない。断った者が、隣の誰かが移って儲けるのを見る時間を、与えているのだ。ひと月もすれば、断った者のほうが焦り出す。


 うまい、と思った。


 条件の中身も、よく練られていた。運び賃を持つのは、商人がいちばん減らしたい掛かりだからだ。売れ残りを引き取るという約束にいたっては、断りにくさが群を抜いていた。商いで本当に怖いのは、売れないことではなく、売れ残った荷を抱えたまま次の仕入れができなくなることだからだ。


 この男は、商人が夜に何を数えて眠れなくなるかを知っている。


「姐さん。追い出すか。あいつを」


「できません」


「なんでだ。町を荒らしてるんだぞ」


「荒らしていないからです」


 私は言った。


「あの方は、脅していません。誰の荷も止めていない。ただ、良い条件を出して回っただけです。それを理由に追い出せば――この市は『気に入らない商人を追い出す市』になります」


 リタが黙った。


「そうなれば、私たちは物差しを曲げたことになります。曲げた市に、人は来ません」


 ***


 翌日、レーヴェが帳場を訪ねてきた。


「よい市ですね」


 彼は本心らしく言った。


「升が正しい。率が朝に出ている。裁きが速い。……失礼ながら、半年でここまで作られたのは、驚くべきことです」


「お褒めいただき恐縮です」


「ですから、惜しいのです」


 彼は椅子に浅く腰かけ、膝の上で指を組んだ。爪が短く切り揃えられていた。帳面を扱う者の手だが、机の上だけで生きてきた手ではなかった。


「セレーナ様。あなたの市は、よくできています。ですが小さい。荷が細れば、干上がります。同盟へ入れば、荷は十倍になる。あなたの物差しは、十倍の荷を裁くことになります。……嬉しくはありませんか」


「私の物差しは、同盟のものになります」


「なりません。あなたが使い続ければよいのです」


「規は誰が決めます」


 レーヴェの指が、わずかに止まった。


「……盟主です」


「では、私のものではありません」


 私は言った。声を荒らげたつもりはなかった。


「使わせていただく物差しは、いつでも取り上げられます。取り上げられる物差しを、商人は信じません。信じられない物差しで裁いても、それは裁きではなく、ただの言い渡しです」


 彼はしばらく私を見ていた。


 それから、ふと笑った。


「――なるほど。噂どおりの方だ」


 立ち上がり、外套を取る。戸口で足を止めて、彼は言った。


「ときに、こちらの町には、リタという女がおいでですね」


 息が、一つ止まった。


「道案内をなさるとか。……街道のことをよくご存じの方は、貴重です」


「彼女が何か」


「いえ。昔、南の街道で似た名を聞いたことがあると、それだけです。人違いでしたら、忘れてください」


 彼は丁寧に礼をして、出ていった。


 ***


 戸が閉まったあと、私はしばらく動けなかった。


 彼は何も言っていない。名を出しただけだ。


 だからこそ、はっきり分かった。


 あの方は、リタの何かを握っている。そして、それを今日は使わなかった。


 使わなかった、ということを、私に見せるために来たのだ。


 帳場の外で、雨が強くなっていた。

今回の敵は、一度も脅していません。

良い条件を出し、断られたら笑って帰り、最後に名前を一つ置いていっただけです。それでも、これは間違いなく攻撃でした。


「追い出せない」というのが、この市の弱さであり、同時に強さでもあります。物差しを曲げた瞬間に、この市は市でなくなるからです。


次話、レーヴェが置いていった名前――リタの過去が、町の弱点として表に出ます。

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