第29話 盟主の、来訪
王都との決着から、半月後。
南から、長い、長い、隊列が、ロウフェルトへ近づいてきた。
絹の天幕を張った、豪奢な馬車。護衛の騎兵。各地の珍品を積んだ、荷馬車の列。それは、一介の使者の、規模では、なかった。
「姐さん」リタの声が、緊張していた。「来たぜ。トラスの、盟主だ。オルブレヒト、本人だ」
トラス商業同盟、盟主オルブレヒト。
南の交易圏のすべてを束ねる男が、自ら、この辺境の関所町へ、やってきた。
***
オルブレヒトは、想像と、違っていた。
もっと、傲慢な男を、想像していた。だが、馬車から降りてきたのは、穏やかな笑みを浮かべた、初老の紳士だった。物腰は、柔らかく、声は、温かい。
「あなたが、セレーナ殿か」
彼は、私を見て、目を細めた。
「噂以上だ。この市を、半年で、一から作り上げたとはね。王都を相手に、信用の戦で勝ち、フェルマー商会を退場させ、王都の刺客すら、退けた。――いやはや、たいしたものだ」
「お褒めに、あずかり、光栄です」
「褒めているのだよ、心から」
オルブレヒトは、市を、見渡した。賑わう、自由市を。その目に、まぎれもない――欲望が、宿っていた。
「セレーナ殿。単刀直入に、言おう。この市を、トラス商業同盟に、加えてほしい。同盟に入れば、あなたの市は、トラス全域の交易路と、繋がる。今の、十倍――いや、百倍の、規模になる」
「以前、レーヴェ殿からも、同じお話を、伺いました」
「彼は、断られたと、嘆いていたよ」オルブレヒトは、笑った。「だから、今度は、私が、自ら来た。あなたほどの人物には、私が、直接、話すのが、筋だろう」
彼は、一歩、近づいた。
「セレーナ殿。あなたの、才能は、この辺境には、大きすぎる。王国という、狭い枠にも、収まらない。私の、同盟に来れば、あなたは、南の交易圏すべてを、動かせる。あなたの『正しい物差し』を、何百万の、商人に、広められる。――これ以上の、舞台が、あるかね」
甘い、言葉だった。
そして――その甘さの、中に、私は、はっきりと、聞き取った。
「あなたの物差しを、私の同盟のために、使え」という、響きを。
「盟主、オルブレヒト様」
私は、静かに、問うた。
「一つ、お尋ねします。同盟に入れば、この市の物差しは――誰のもの、になりますか」
オルブレヒトの、笑みが、わずかに、揺れた。
「……それは、もちろん、同盟の、物差しに、なる。大きな組織には、統一された、物差しが、要る」
「では、この市の人々は、同盟にとって、何になりますか」
「何、とは」
「道具、ですか。それとも、仲間ですか」
オルブレヒトは、答えなかった。
その沈黙に、私は、すべてを、悟った。
***
その夜。
リタが、険しい顔で、私のもとへ来た。
「姐さん。あいつの、護衛の中に――レーヴェがいた。それと、トラスから来た商人連中、こっそり、市の蓄えや、手形の仕組みを、嗅ぎ回ってる。あいつら、市を、欲しがってる。中身ごと、根こそぎ」
「やはり、ですか」
「断れるのか? 相手は、トラス全土を束ねる、盟主だぜ。王都とは、わけが違う。本気で、敵に回したら――この町なんて、ひとひねりだ」
私は、南の空を、見上げた。
ヴィントの、予言が、蘇る。
――トラス同盟は、信用すら、金で、買い叩こうとする。あの方の『曲げない物差し』が、初めて、通用しない相手かもしれない。
王都は、私の物差しを、必要としていた。
だが、トラス同盟は、私の物差しを、奪おうとしている。曲げさせ、塗り替え、同盟のものに、しようとしている。
これは、王都との戦いとは、まるで、違う、戦いだ。
「リタ」
私は、静かに、言った。
「私は、この町を、誰の道具にも、させません。王都にも――トラスにも」
私の声は、震えていなかった。
「曲げない物差しが、通用しない相手だと、ヴィントは言いました。なら――通用させてみせます。どんな、大きな相手でも。流れは、低い方へ、流れる。それは、相手が、王だろうと、盟主だろうと、変わらない、ただの、理です」
南の空の下、トラス同盟の、巨大な影が、ロウフェルトに、伸びていた。
最も大きな、卓が――今、目の前に、据えられようとしていた。
南の盟主オルブレヒト、登場。第2部の、最大の敵です。
彼は王都とは違い、セレーナの「物差し」を必要とするのではなく、奪おうとする。「道具にされる」――それは、セレーナが最も恐れ、最も嫌う形です。
次話、いよいよ第1部、完結。そして、第2部「同盟と関所」への、扉が開きます。
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