第28話 戻ってこい、という声
王都からの使者が、ロウフェルトを訪れたのは、よく晴れた日のことだった。
使者は、宰相セルウィン自身だった。王国の宰相が、辺境の関所町まで、自ら足を運んだ。それが、何を意味するかは、明らかだった。
「セレーナ・ヴァロワ殿」
宰相は、深く、頭を下げた。
「王国を、代表して、お詫び申し上げる。あなたを、追放したのは、王家の、過ちでした」
私は、静かに、彼を、迎えた。
「頭を、お上げください、宰相閣下」
「いや」宰相は、頭を下げたまま、続けた。「言わせてほしい。我々は、国の血流を握っていた者を、『地味な事務員』と侮り、切り捨てた。その代償は、あまりに、大きかった。関税収入は、半分以下に落ち、王都の市場は、寂れ、王国一の商会は、消えた」
彼は、ようやく、顔を上げた。
「セレーナ殿。どうか――王都に、戻ってきてはくれまいか。査定長官として。いや、それ以上の地位を、用意する。あなたの望むものは、何でも。だから、王都の交易を、もう一度、立て直してほしい」
それは、三年前、誰一人、口にしなかった言葉だった。
「あなたが、必要だ」と。
***
そして、宰相の後ろから、もう一人が、進み出た。
王太子、アルベリク。
かつて、華やかな広間で、私を「地味でつまらない」と切り捨てた男。彼は、げっそりと、やつれていた。あの夜の、自信に満ちた姿は、もう、なかった。
「セレーナ」
彼の声は、震えていた。
「すまなかった。私は……お前を、見ていなかった。お前が、何をしていたのか、何を支えていたのか、何も、分かっていなかった。華やかさに、目が眩んで、本物を、捨てた」
彼は、頭を下げた。王太子が、追放した元婚約者に、頭を下げた。
「戻ってきてくれ。婚約を、もう一度。お前を、王太子妃に。今度こそ、お前を、大切にする。だから――」
「殿下」
私は、静かに、彼を、遮った。
「一つ、お尋ねしても、よろしいですか」
「……ああ」
「殿下は、私に、戻ってほしいのですか。それとも――私の、査定眼が、戻ってほしいのですか」
アルベリクが、言葉に、詰まった。
答えられなかった。
私は、静かに、続けた。
「三年前、殿下は、私を、『地味でつまらない』と、おっしゃいました。あの言葉は、嘘では、なかったはずです。殿下にとって、私は、つまらない女だった。それは、今も、変わらないでしょう」
「いや、それは――」
「変わったのは、私の、価値ではありません。私が、抜けたあとに、王都が、傾いたこと。それで、初めて、私の仕事の、重さに、気づいた。――つまり、殿下が、欲しいのは、私ではなく、私の、査定眼です。違いますか」
アルベリクは、何も、言えなかった。
その沈黙が、答えだった。
***
「宰相閣下。殿下」
私は、二人に、向き直った。
「お申し出は、ありがたく。ですが――王都には、戻りません」
「なぜだ」アルベリクが、縋るように言った。「望むものは、何でも、与えると――」
「私が、欲しかったものは」
私は、静かに、言った。
「地位でも、宝石でも、王太子妃の座でも、ありませんでした。私が、ずっと、欲しかったのは――『あなたが、必要だ』と、言ってもらえること。道具としてではなく、私自身を、見て、必要としてもらうこと。それだけでした」
私は、ロウフェルトの市を、見渡した。
賑わう市。私を「頼りたい」と言ってくれた人々。私を「道具」と呼ばない、町。
「それは、王都では、一度も、得られませんでした。けれど、この町で、得ました。ここの人々は、私を、必要としてくれる。私自身を。――だから、私の居場所は、もう、ここなのです」
「では」宰相が、静かに、問うた。「王都の交易は、どうなる。あなたなしでは、もう――」
「王都の信用は、戻りません」
私は、はっきりと、言った。
「なぜなら、信用とは、地位や、制度が、生むものでは、ないからです。信用は――人が、約束を、守り続けることで、初めて、生まれます。私が、王都の手形に、信用を与えていたのは、私が、決して、間違えなかったから。決して、物差しを、曲げなかったから」
私は、二人を、まっすぐ見た。
「王都が、信用を、取り戻したいなら。誰かを切り捨てて、その穴を、別の誰かで、埋めようとするのを、やめることです。一人ひとりの仕事を、見て、その重さを、認めること。――それができれば、信用は、ゆっくりと、戻ります。私が、いなくても」
それは、突き放しでは、なかった。
最後の、助言だった。私を、道具として、使い潰そうとした、王都への。
***
宰相は、長いこと、私を、見つめていた。
それから、深く、頷いた。
「……承知、いたしました。あなたの言葉、王に、伝えます。そして――王都は、これから、自らの力で、信用を、立て直します。あなたを、頼らずに」
彼は、もう一度、深く、頭を下げた。今度は、詫びでも、懇願でもなく――敬意の、礼だった。
「セレーナ・ヴァロワ殿。あなたは、王国が、失った、最大の損失であり、辺境が、得た、最大の宝です。どうか、この町を、守ってください」
王都の使者は、去っていった。
手形の束を、机に残して、私が、去ったあの夜から。
長い、長い、戦いの、決着だった。
「あなたが必要だ、と言ってもらえること」――セレーナがずっと欲しかったもの。
そして「信用は、人が約束を守り続けることで生まれる」――第1話から続いてきた問いへの、答えです。
王都への、ざまぁの最終形は、復讐ではなく「あなたたちは、自分の力で立ち直りなさい」という、静かな突き放しと、助言でした。
次話、いよいよ南の盟主オルブレヒトが、ロウフェルトへ。そして第1部、完結へ。
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