第23話 フェルマー商会の、黄昏
フェルマー商会の破綻は、静かに、訪れた。
倍の値で買い占めた在庫は、売れなかった。商会の手形は、ついに、誰も受け取らなくなった。蓄えは尽き、王家との癒着も――王家自身が傾いた今となっては、何の助けにもならなかった。
債権者が、商会に押し寄せた。
ロドリゲスは、商会の屋敷を、手放した。蔵を、手放した。最後には、フェルマーの名さえ、手放さざるを得なかった。
王国一の大商会は、一年も経たぬうちに、消えた。
それは、剣で滅ぼされたのではなかった。
ただ――借り物だった信用が、本物の信用の前で、自然に、剥がれ落ちただけだった。
***
ある日。
ロウフェルトの市に、一人の若い女が、ひっそりと現れた。
質素な旅装。化粧気のない顔。けれど、その面影に、私は、見覚えがあった。
「……ミレーユ・フェルマー」
「セレーナ……様」
ミレーユは、青ざめた顔で、私の前に立っていた。かつて、王太子の隣で、華やかに微笑んでいた令嬢の面影は、もう、なかった。
「商会は、潰れましたわ」彼女は、力なく言った。「お父様は、債権者から逃げて、行方知れず。わたくしは……行く当てもなく、こんなところまで」
「私を、恨みに来たのですか」
「いいえ」
ミレーユは、首を振った。
「恨むつもりで、来ました。あなたのせいで、すべてを失ったと。でも――道中、ずっと、考えていました。本当に、あなたのせい、なのかと」
彼女の声が、震えた。
「わたくしは、『商いの天才』と、呼ばれていました。でも、本当は――あなたの作った料率表を、写していただけ。基準がなければ、何一つ、査定できなかった。あの、評議会での会議で、それが、皆の前で、ばれてしまった」
ミレーユは、唇を噛んだ。
「わたくしの才能は、最初から、借り物だった。あなたが追放されて、初めて、それが、わかった。――フェルマー商会も、同じ。王家との癒着と、あなたの料率に、ただ乗りしていただけ。本物は、何も、なかった」
彼女は、深く、頭を下げた。
「あなたを、地味だと、笑いました。査定の仕事を、誰にでもできる雑用だと、見下しました。……間違っていたのは、わたくしでした」
私は、しばらく、彼女を見ていた。
恨み言を言うことも、勝ち誇ることも、できた。三年間、私を「道具」として扱った側の人間が、今、目の前で、頭を下げている。
けれど――私の中に、そういう気持ちは、湧かなかった。
「ミレーユ様」
私は、静かに言った。
「顔を、上げてください」
彼女が、おそるおそる、顔を上げる。
「あなたに、一つ、仕事を、紹介します」
「……仕事?」
「この市の、両替台で、人手が要ります。各地の貨幣を、毎日、数える仕事です。地味で、根気の要る、誰にでもできる、雑用です」
ミレーユの目が、揺れた。
「あなたは、料率を作る目は、ありませんでした。でも、数字を、丁寧に扱うことは、できるはずです。基準がある仕事なら、あなたは、きっと、こなせる。――やってみますか」
「わたくしに……できる、でしょうか」
「できるかどうかは、やってみなければ、わかりません」
私は、わずかに、目を細めた。
「ただ、一つだけ。これからは――『地味な仕事ほど、抜けると音もなく崩れる』ということを、覚えておいてください。私が、身をもって、証明したように」
ミレーユは、しばらく、立ち尽くしていた。
それから――小さく、頷いた。
その目に、初めて、借り物でない、自分自身の何かが、灯ったように見えた。
***
その夜。
リタが、呆れたように言った。
「お人好しだな、姐さん。自分を散々こき下ろした女を、雇うなんて」
「使い道を、間違えていただけです」
私は、答えた。あなたを、戦力にしたときと、同じように。
「彼女は、基準を作る目はない。でも、基準を守る根気は、ある。適材適所、というだけのことです」
リタが、肩をすくめた。
「敵を、減らすのが、上手いよ、あんたは」
「敵を、減らしているのでは、ありません」
私は、市の灯を、見渡した。
「味方に、変えているんです。憎しみで作った市は、いつか、憎しみで壊れます。――私は、壊れない市を、作りたい。だから、できる限り、誰も、敵のままには、しておきたくない」
フェルマー商会は、消えた。
最初の敵は、こうして、退場した。
だが――王都には、まだ、もう一人。
最も狡猾な敵、ヴィントが、残っていた。
フェルマー商会、退場。そしてミレーユは、敵ではなく、市の一員に。
「敵を減らすのではなく、味方に変える」――セレーナのざまぁは、相手を踏みにじって終わりません。だからこそ、市は壊れない。
次話、舞台は再び王都へ。ヴィントの封鎖が、今度は王都自身の首を絞め始めます。
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