第21話 当主、辺境に立つ
ロドリゲス・フェルマーが、ロウフェルトの市に現れたのは、よく晴れた市の日だった。
彼は、大勢の手代を引き連れ、荷馬車を連ねてやってきた。山のような銀貨を積んで。
「私が、フェルマー商会の当主、ロドリゲスだ」
市の中央で、彼は、声を張り上げた。
「今日、この市の品を、すべて買い占める。相場の、倍の値で買おう。さあ、売れ。誰でもいい。フェルマー商会が、言い値で買ってやる」
市が、ざわついた。
相場の倍。商人にとっては、夢のような申し出だ。何人かが、目の色を変えて、ロドリゲスのもとへ駆け寄ろうとした。
私は、彼の狙いを、すぐに見抜いた。
買い占めだ。
市の品を、相場の倍ですべて買い占めれば、市から品が消える。品がなくなれば、市は立たなくなる。次の市には、売る物も買う物もなくなり、商人は離れる。金の力で、市を、枯らすつもりだ。
そして――倍の値で買えば、相場が、めちゃくちゃに乱れる。「ロウフェルトの相場は、当てにならない」という印象を植え付けられる。私が積み上げてきた「正しい相場」への信用を、金で、壊しに来た。
「お待ちください」
私は、査定台から、静かに声を上げた。
市の喧騒が、止まる。
「フェルマー商会のご当主が、相場の倍で買ってくださる。それは、確かに、ありがたいお話です」
私は、ロドリゲスを、まっすぐ見た。
「ですが、皆さん。一つだけ、考えてください。なぜ、ご当主は、倍もの値を出すのでしょう。商人が、損をする取引を、するでしょうか」
商人たちの足が、止まった。
「答えは、簡単です。これは、買い物ではありません。――この市を、潰すための、攻撃です」
ロドリゲスの顔が、強張った。
「な……何を、根も葉もないことを」
「根も葉も、あります」
私は、淡々と続けた。
「ご当主が品を買い占めれば、次の市には、品がなくなる。皆さんは、売る物がなくなり、この市に来なくなる。一度、相場の倍という、ありえない値がつけば、『ロウフェルトの相場は狂っている』と評判が立つ。――今日、皆さんが倍の値で得をするのは、たった一度。その代わりに、皆さんは、これから何年も通えるはずだった市を、失うのです」
市が、しんと静まり返った。
商人たちが、顔を見合わせる。目先の倍の儲けと、これから何年も続く市。どちらが大きいか。算盤を弾く目が、市中に、走った。
「だが」と、一人の商人が言った。「倍の値ってのは、魅力だぜ。一度きりでも――」
「では」
私は、彼を遮った。
「皆さんに、一つ、提案します。今日、ご当主に売りたい方は、売って構いません。私は、止めません。ただし――その方は、次の市から、この市の『公正な相場』の保証を、受けられなくなります」
「な……どういうことだ」
「市の相場を乱す取引に加担した方を、私は、もう査定しません。あなたの荷の値は、私が保証しない。揉め事が起きても、裁かない。――この市の信用は、それを守る人にだけ、与えられます」
商人たちが、息を呑んだ。
倍の儲けと引き換えに、市の信用を失う。それは――この市で商いを続ける限り、致命的だった。
「……おれは、売らねえ」
最初に、一人が言った。
「一度の倍より、これから何年もの安心だ。おれは、この市に、残る」
「おれもだ」
「おれも、売らねえ」
声が、次々と、上がった。
誰も、ロドリゲスのもとへ、行かなかった。
山のような銀貨を積んだロドリゲスの前に――誰も、品を持って、現れなかった。
ロドリゲスは、立ち尽くした。
倍の値を出しても、誰も売らない。金の力が、初めて、通用しなかった。
「ばかな……金を、積んでいるのだぞ……!」
私は、彼を、静かに見た。
「ご当主。あなたは、金で人を動かすことに、慣れすぎました。王都に金を積んで、料率を吊り上げたように。けれど――ここの人々を動かすのは、金ではありません。信用です。そして、信用は、金では、買えないのです」
金の力が、初めて通用しない。
「信用は、金では買えない」――ロドリゲスが、最も認めたくなかった事実を、市の人々が突きつけます。
次話、買い占めようとして買えなかったロドリゲス。その失敗が、かえって彼自身の首を絞めます。
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