第20話 紙切れになる手形
フェルマー商会の手形が、市場で値崩れを起こし始めたのは、自由市の成功から、三月後のことだった。
フェルマー商会は、長年、自家の手形を発行してきた。「フェルマー手形」――商会が値を保証する信用状。王国一の大商会の信用は厚く、その手形は、銀貨と同じように、市場で通用していた。
だが、その信用が、崩れ始めていた。
「フェルマー手形が、額面の八割でしか、引き取られないだと?」
当主ロドリゲス・フェルマーは、報告を聞いて、机を叩いた。
「なぜだ。うちの手形は、王国一、信用されてきたはずだ」
番頭が、青ざめて答える。
「南の交易が、ロウフェルトに奪われて……商会の儲けが、落ちております。儲けが落ちれば、手形の裏付けが薄くなる。商人たちは、それを嗅ぎつけて、フェルマー手形を、早めに銀貨に換えようとしている。換える者が増えれば、ますます、手形の値が落ちる……」
悪循環だった。
信用が落ちる→手形が値崩れする→さらに信用が落ちる。ちょうど、ヴィントがロウフェルトに仕掛けようとして、失敗した「取り付け」が――今、フェルマー商会自身を、襲っていた。
そして、決定的だったのは。
「旦那様。商人たちが、こう言っております。『フェルマー手形より、ロウフェルトの自由市手形の方が、信用できる』と」
ロドリゲスの顔が、歪んだ。
「あんな、辺境の手形が……王国一のフェルマー手形より……?」
「自由市手形は、いつでも、ぴたりと銀貨に換わります。査定が、決して間違わない。刷りすぎもしない。――対して、フェルマー手形は、この有様です」
ロドリゲスは、言葉を失った。
彼は、ようやく、理解し始めていた。
フェルマー商会の繁栄が、何の上に乗っていたのかを。
***
それは、三年前に、遡る。
ロドリゲスは、王都に金を積み、南街道の関所の通行料を吊り上げさせた。小商人を締め出し、南の交易を独占するために。王太子アルベリクの後ろ盾を得て、王家とフェルマー商会は、互いに利を融通し合ってきた。
フェルマー商会が栄えたのは、商いの才ではなかった。
王家との癒着で、競合を締め出し、市場を独占していたからだ。そして――その独占した市場で、セレーナの定めた「正しい料率」に、ただ乗りしていたからだ。
正しい料率を作る目は、セレーナのものだった。
市場を独占する力は、王家との癒着によるものだった。
フェルマー商会自身には――何もなかった。
そのセレーナが、辺境で「誰もが安心して取引できる、正しい市」を作った瞬間。
商人たちは、気づいてしまった。
締め出されていた自分たちにも、行ける場所があると。癒着のない、公正な市が、あると。
そして、雪崩を打って、そちらへ流れた。
独占が崩れれば、フェルマー商会には、何も残らない。才も、信用も、もとから、借り物だったのだから。
「旦那様……いかが, いたしましょう」
番頭の、震える声。
ロドリゲスは、長いこと、黙っていた。
それから、低く、絞り出すように言った。
「……ロウフェルトへ、行く」
「えっ」
「私が、直接、あの市へ乗り込む。あの女の市を、潰す。そうしなければ――フェルマー商会は、終わりだ」
彼の目には、もはや、王国一の大商会当主の余裕は、なかった。
あるのは、追い詰められた者の、危うい光だけだった。
フェルマー商会の繁栄は、商いの才ではなく、「癒着」と「ただ乗り」の上に乗っていた――その正体が、ここから剥がれ始めます。
借り物の信用は、本物の信用の前に、崩れていきます。
次話、追い詰められたロドリゲスが、ついにロウフェルトへ。最後の悪あがきが、始まります。
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