第13話 新しい査定長官
フェルマー商会が査定に失敗し、ミレーユの評判が地に落ちた後。
王都は、新しい査定長官を立てた。
名を、ヴィント。
もとは、通商評議会の下級書記だった男だ。セレーナの下で、長年、彼女の仕事を間近で見てきた。目立たず、口数も少なく、誰の記憶にも残らない男。
だが――彼は、見ていた。
セレーナがどう料率を組み立て、どう荷の値を見定めるのか。その手順を、盗み見て、書き写し、自分の帳面に溜め込んでいた。
「セレーナ様の査定は、すべて、ここに」
ヴィントは、宰相セルウィンの前で、分厚い帳面を広げた。
「産出と相場と輸送を、どう組み合わせるか。あの方の手順を、私はすべて記録しております。私であれば、あの方の査定を――再現できます」
宰相は、半信半疑だった。
「再現……できるのか」
「できます。あの方ほどの『目』はありません。ですが、手順さえあれば、九割は近づける。残りの一割は、誰にも分かりません。九割で、十分でしょう」
ヴィントの目が、冷たく光った。
「そして、私には、あの方にないものがあります」
「何だ」
「割り切り、です」
彼は、薄く笑った。
「セレーナ様は、潔癖でした。誰に対しても、同じ物差しで査定した。だから、フェルマー商会のような大商会にも、容赦なく正しい料率を突きつけ、敵を作った。――ですが、私は違います。誰を儲けさせ、誰を締め出すか。物差しを、使い分けます」
「それは……不正ではないか」
「政です」
ヴィントは、言い切った。
「ロウフェルトに流れた商隊を、王都に取り戻すには、二つ。一つは、王都の料率を、ロウフェルト以上に下げること。ですが、それでは関税収入が立ち行かない。ならば――もう一つ」
彼は、地図の上の、ロウフェルトを指でなぞった。
「ロウフェルトを、潰すのです」
「潰す、だと」
「あの町は、王都とトラスを結ぶ、南街道の途中にあります。その南街道の、王都側の数か所の関所――そこを、私が握ります。そして、ロウフェルトへ向かう商隊にだけ、法外な料率を課す。手形を出し渋る。難癖をつけて足止めする」
「ロウフェルトは通行料ゼロだぞ。途中で締め出せるのか」
「ええ。ロウフェルトに着く前に、王都側の関所で潰すのです。蛇口を、川上で締める。いくら川下の町が水を求めても、川上で水を止めれば、町は干上がる。――通行封鎖です」
宰相は、その冷酷な計画に、わずかに身震いした。
だが、関税収入の穴を、放っておくこともできない。
「……やれ。だが、目立つな。あの女に、気づかれぬように」
「ご心配なく」
ヴィントは、深く頭を下げた。
「私は、人の記憶に残らない男です。あの方も、私の顔など、覚えていないでしょう。――気づいたときには、もう、町が干上がっている。それが、私のやり方です」
***
その報は、数日のうちに、ロウフェルトのリタの耳に入った。
「姐さん、まずい知らせだ」
リタが、緊張した面持ちで、私のもとへ来た。
「王都が、新しい査定長官を立てた。ヴィントって男だ。そいつが、南街道の王都側の関所を握って、こっちに来る商隊を、川上で締め出すつもりらしい。通行封鎖だ」
「ヴィント……」
私は、その名を、口の中で転がした。
覚えが、あった。評議会の、下級書記。いつも隅で、静かに帳面をつけていた男。私は、彼にほとんど話しかけたことがなかった。彼が何を考えていたのか、知らなかった。
だが――今、思い出す。
彼の帳面は、いつも、私の手の動きを追うように、開かれていた。
「……あの人は、私の査定を、ずっと見ていたのですね」
「知り合いか?」
「いいえ。ただ、見られていただけです」
私は、静かに目を閉じた。
力で来る敵なら、流せばいい。だが、ヴィントは違う。彼は、私のやり方を知っている。私の手順を、九割、再現できる。そして――私にはない「割り切り」を持っている。
最も厄介な敵だ。
「リタ」
私は、目を開けた。
「満月の市は、予定通り開きます。むしろ――急ぎましょう」
「川上を締められるのに、市を開くのか?」
「川上を締められる前に、川下に、海を作るんです」
私は、町を見渡した。職人が升を鋳造し、両替商が店を構え、宿に灯がともる町を。
「一つの川が止められても、困らないほど、たくさんの流れを、この町に集める。それが――自由市です」
新たな敵・ヴィント、登場です。
彼は力でも魔法でもなく「制度」で、しかも「割り切り」でセレーナに挑みます。最も手強い相手の予感を、感じていただけたら。
次話、いよいよ自由市・開市の前夜。商隊が、続々とロウフェルトを目指します。
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