第5話 ボートレース江戸川(前編)
土曜日の朝。会社が休みの日。俺は電車に揺られて江戸川区に向かっていた。
ボートレース江戸川。競艇を楽しむためのギャンブル施設が目的だ。
ここの圧倒的な強みは、場外舟券場が朝から開いているため、モーニングから楽しめることにあった。
他の場外舟券場だと、開店時間が遅めに設定されているパターンが多いため、モーニングレースの前半戦だけはネット投票するしかない。
そう考えると、ボートレース江戸川には、かなりの価値がある。
マークシートと現金で買いたい派にとっては極楽であった。
ただし弱点もあって、現場にたどりつくためのルートであった。
最寄り駅は都営新宿線の船堀駅なのだが、この都営新宿線が俺と相性が悪かった。
板橋区役所前駅から出発すると、駅から駅への徒歩移動を含んだ乗り換えが発生するため、仕事で疲れた体には厳しいのだ。
だから二番目に近い駅を利用することになる。
総武線の平井駅だ。ここなら水道橋駅から一本で通えるため、平井駅についたら、無料バス、都営バス、タクシーのどれかを使うことになる。
無料バスがベストだと思われがちだが、始発便が朝の10時――つまりモーニング開催の1レース目に間に合わないため、都営バスを利用することになる。
タクシーに関しては、よっぽどのことがないかぎり利用しない。割高だしな。そんな金があったら、舟券買うのに使ったほうがいい。
さっそく早朝の平井駅に降り立って、バス停の前で出走表を眺めていると、朗らかな男がスキップしながら近づいてきた。
「井上せんぱーい! 都営バス待ってる時間なんてムダですから、タクシーでいきましょうよ!」
こいつの名前は渡来だ。大学時代の後輩で三歳年下。中肉中背で、カンガルーみたいな顔をしている。職業はスポーツジムの運営スタッフ。大学時代のアルバイト先にそのまま就職したのである。
彼は無類の競艇好きであり、仕事中はスマートフォンで賭けまくっていて、土日はこうやってボートレース場に通っている。
「なにがタクシーだ。そんなムダ金使うつもりはない」
「相変わらずですねぇ先輩は。大丈夫っすよ、僕がおごりますから、一緒にいきましょう!」
「おごりなら話は別だ。タクシーでいこう」
というわけでタクシーを拾うと、相乗りしてボートレース江戸川に向かった。
おごりのタクシーはいいな。おごりの酒とおなじぐらいうまい。
「先輩、最近の収支どうっすか?」
「普通に賭けてる分には黒字なんだが、その利益をすべてwin5とdokanto7に入れてしまうから、赤字だ」
「相変わらず一攫千金にこだわってますねぇ。もしかしてwin5とdokanto7に手を出してなかったら、いまごろちょっとした財産だったんじゃないっすか?」
実を言うと一度計算したことがある。もし俺が一攫千金を夢見ないで、大学時代から累計29年間こつこつ平場のレースだけで稼いでいたら、どれだけプラスだったのか。
なんと現在の年収10年分だった。
こんなにやらかしているのだ、俺は……実際の数字を思い浮かべると、胃がキリキリしてくるな。
だが逆に考えれば、たった年収10年分でしかない。
会社員を辞められるほどの大金ではないのだ。
「たとえ一攫千金を夢見てなくても、ちょっとした財産でしかない。それじゃあ会社員やめられないからな」
「そうっすねぇ。win5最大額で当てられたら、6億ですもんねぇ。夢があるなぁ」
「なぁにが夢があるなだよ。金持ちの家に生まれたおぼっちゃまのくせに」
「はっはっは、実家が太いとギャンブル負けてもまったくダメージないっすからねー」
渡来の収支はずっと赤字だ。大学時代から大人になってからもずーっと赤字。
だが実家が金持ちなので、金を使い切ったら親に泣きつけばいい。
っていうか、渡来だって立派なおじさんになったのに、いまだに資金援助している親がすごい。
すげーなぁ、金持ちっていうのは。きっと俺たち庶民には想像できない価値観を持っているんだろう。
という感じで大学時代の話に花を咲かせながらタクシーに揺られて、ボートレース江戸川に到着した。
水を扱う施設なので、役所と港を合体させたような見た目だ。
そこらに水垢の匂いが漂っていて、競艇好きの関東民たちがぼちぼち集まっていた。開催日ではないのでモーニング好きの玄人ばかりだ。
最近のボートレースは若いやつもやっているが、さすがにこの時間帯で、しかも開催日ではないと高齢者が目立つ。
そんな俺たちギャンブル狂いたちが入っていくのは、建物の本体側ではなく、場外売り場であるboatrace365のほうである。
こちらは朝から晩までオープンしているので、ギャンブラーたちの生息地になっていた。
「先輩、今日は運が良い気がしてるんですよ」
渡来はサイン派だ。
サイン派というのは、レース展開を予測するのではなくて「今日は朝食べた松屋の定食が3番目に届いたので、3号艇を頭に固定しますよ」という具合に、人生のサインでお金を賭ける人々のことだ。
こんなオカルトじみた賭け方をしていたら、赤字になって当然だ。
「お前いつまでサイン派のままなんだよ」
「だって高額払戻なんて計算で当てられるもんじゃないでしょう。なら運命を信じるんすよ。そっちのほうが当たりやすい」
反論しようとしたのだが、あながち間違いではない面もあった。
もしかしたらwin5でひとり勝ちしたやつは、こういうオカルトを信じていたやつかもしれないからだ。
だってありえない組み合わせで購入していたから、他の誰もが当てられてなくて、6億が手に入るのだ。
では俺がサイン派の買い方でwin5に手を出せるかといえば…………絶対に無理である。
心情的に無理。まるでドブに金を捨てているような感覚になるからだ。
だから『もしレースが荒れたとしたら、こういう結果になるに違いない』と予測して買うしかない。
「明日の中央競馬は、俺もサイン馬券でwin5やってみるかな……」
「そうっすよ先輩、サイン馬券いいっすよマジで。ところで先輩は何時ぐらいまで遊ぶ予定なんすか?」
「19時までだ。それ以上粘ると、明日の中央競馬でぼろぼろに疲れることになる」
「お互い年取りましたねぇ。昔なら明日競馬があろうとも、ミッドナイトの前売りまで買ったのに、いまじゃちょっと早めに切り上げちゃう」
「そして結婚できなかった、俺もお前も」
「ギャンブル好きなんてこんなもんすよ。ろくな生き方してないんだから」
渡来はいいところのおぼっちゃまなんだから、無類のギャンブル好きでなければ、いまごろ結婚していただろうに。
もったいないやつ。まぁ自分の人生どう使うかなんて、他人に決められるもんじゃないけどな。
それでも一つわかっていることがあって、人生っていうのは好き放題生きていると、どこかでツケを払うようにできているらしい。
なんて人生訓はどうでもいいな。少なくとも賭場にはふさわしくない。
さて俺と渡来がどんな舟券を買ってどんな結果になったのかは、後編で語ろうと思う。




