第15話 新潟出張編(後編)
新潟で迎えた日曜日は、日本ダービーのある日だった。
今年の世代最強を決める戦いだ。いくら根っからのギャンブラーである俺も、採算性を無視して結末を見届けたい。
いつもであれば都内にいるので東京競馬場に参戦するのだが(入場チケットの抽選を突破できればの話だが)今年は出張先である新潟競馬場の大型ビジョンで見届けることになった。
現地には新潟県民の競馬ファンたちが押し寄せていて、誰もがダービー開幕を心待ちにしていた。
そして今日の俺は単独行動ではなく、給食センターの所長も一緒だった。
「緊張してきたな井上くん。まるで自分が出走する気分だよ」
その気持ちはわかる。大事なレースになると、なぜかオッズよりも各馬たちの調子と結果が気になるのだ。
とくに日本ダービーは特別だ。
他のG1だって重要だが、ダービーだけはどうしてもウエイトが重くなる。
生涯に一度の晴れ舞台。世代最強を決める戦い。ギャンブルである以前に神聖な勝負の場だ。
ではいつもの夢であるwin5はどうしたかといえば、ぶっちゃけ100円一票しかやっていない。
いったいどうした6億の払い戻しを求めている井上、と思われるかもしれない。
だがwin5対象レースを見てほぼ結論が出ていた。
1レースから5レースまで1番人気で決着する可能性が高い。それぐらい一番強い馬に一番うまいジョッキーが乗っているレースばかりだった。
だから俺の今回のwin5はたった100円しか賭けていないのに、4レース目まで的中となっている。
ラスト5レース目を当てられれば、見事win5的中である――ただし現時点でバカみたいな数の的中者が残っているので、たとえ5レース目を当てたところで、2万円ぐらいしか返ってこないと思う。
という文脈であれば、5レース目も1番人気に賭けたと思うだろう?
違うんだな。5レース目=日本ダービーだけは最低人気の馬に賭けていた。
「ダービーは、馬じゃなくて騎手で買うことにしました」
umacaカードによるwin5だけではなく、紙の馬券でダービーの馬券も買ってあった。単勝1点勝負。1000円だけ。最低人気の18番人気なので、オッズは300倍。
それに1000円賭けているので、もし的中すれば払戻金は30万円になる。
給食センターの所長は、興味深そうに競馬新聞を開いた。
「いったい誰を買ったんだい、井上くん?」
「もうそろそろ引退になるであろうベテラン騎手ですよ。成績は悪くて、毎年下から数えたほうが早い。そんな人が、珍しくダービーに騎乗するんです。たしか15年ぶりぐらいだったかな」
冗談抜きで下手くそな騎手である。なんで現役を続けられているのかわからないレベルで騎乗技術に問題があって、それといってファンが多いわけでもない。なんならアンチのほうが多いぐらいだ。
そんなベテラン騎手には一つだけ得意技があって、調教師や馬主の心にすっと忍び込めるのだ。
さすがに一流厩舎や大手馬主にはまったく信頼されていないが、三流厩舎や弱小馬主の依頼であれば細々と騎乗依頼を獲得できていた。
なんだかゴマすりだけが上手な会社員みたいな騎手だな。
所長は競馬新聞をぱたんっと閉じると、小首をかしげた。
「なんで馬主はせっかくのダービーなのに、こんな下手くそに騎乗依頼を出したんだろうな? 他にもっとうまい若手がいるだろうに」
「もしかしたら今年引退の予定があるから、縁のある馬主が最後の記念に騎乗依頼出したのかもしれないですよ」
「あるあるパターンだな、競馬村の。それはそれとして意外だね井上くん。君が利益目的じゃなくて、情緒的な買い方をするなんて」
「むしろいつもどおりの俺ですよ。だって最低人気の馬ですし、こいつが的中すれば単勝万馬券ですから」
俺みたいな大穴狙いの人間にとっては、こういう下手くそ騎手がごくまれに弱い馬を馬券内に持ってくることを期待して紐に入れるパターンがよくあるのだ。
なんなら彼みたいなタイプが珍しく1着を取ると、三連単が1000万単位まで跳ねることがある。
そういう期待値があるからこそ、ビッグレースで単勝を買う価値があった。
「大穴好きのいつもの行動というのはそうだが、日本ダービーで奇跡は起きないんじゃないか? 東京競馬場2400mは、まぎれの起きにくい舞台だし」
「そうですね。今年は癖馬いないですし、俺の買った大穴騎手以外全員うまいですから騎乗ミスだってないですし。でもビッグレースの大穴には一攫千金の夢があるんですよ」
「一攫千金か。たしかに夢は見たいよな、ギャンブルなんだし」
と会話していたら、ついにファンファーレが鳴った。
各馬ゲートインして、発走を待つ。
各地の競馬場やウインズの興奮は最高潮に達して、競馬ファンたちは固唾をのんでスタートを見守っていた。
やがて旗が振られて、ゲートが空いた。
各馬一斉にスタート。なんだが、俺が買った馬と騎手は綺麗に出遅れた。
「さすが万年勝率最低の男。大舞台に弱い」
ただでさえ弱い馬が、スタート失敗である。
だがまだ奇跡はあるかもしれない。たとえば先行集団がペースを間違えて総崩れになるとか。
だがハナを奪った騎手はリーディング上位なので、平均ペースで逃げられていた。
こうなれば他の馬たちも平均ペースで走ることになるので、奇跡はどんどん遠ざかっていく。
やがて大ケヤキを越えて最後の直線に入った。
俺が買った馬は、じっと後ろで足をためていたので、こん身のラストスパートを開始した。
しかし笑ってしまうぐらい伸びない。
下手くそベテラン騎手が歯を食いしばって鞭を打って手綱をしごくのだが、お馬さんはまったく前に進まない。
がんばっていた。がんばってはいるのだが、他との能力差が激しい、人馬ともに。
もはや単勝なんて握っていても意味がないのだが、それでも俺は引退寸前の下手くそ騎手を少しだけ応援していた。
「もう後がないんだろお前。ならせめて一頭か二頭ぐらい抜かせよ」
まるで俺の願いが通じたかのように、下手くそ騎手の馬は、先行集団から垂れてきた馬を二頭抜かした。
それと同時に、1番人気の馬が先頭でゴールラインを駆け抜けて、ダービーは終了した。
場内は拍手喝采であり、悲鳴と怒号も溢れていて、所長がガッツポーズになった。
「やった! 当たったぞ! 三連単ゲット!」
「おめでとうございます所長」
「君が買った馬は、16着か。最低人気だったんだし、健闘したんじゃないか?」
「ええ。健闘ですよ。なんせ世代代表を決める戦いで、最下位じゃないんですから」
「馬券外したのに、なんか満足そうだな」
「引退間際の男の必死な顔を見られたからかもしれませんね」
16着の馬に注目が集まることなんてない。中継カメラが映した光景は、他の馬たちと一緒に脱鞍所に引き上げていく姿だった。
その一瞬だけの映像で、俺は引退寸前の下手くそベテランジョッキーの横顔を確認できた。
ちょっとだけ満足そうだった。
「いいこというじゃないか井上くん。馬券も当たったし一杯おごるよ、東京には明日帰るんだろう?」
「ええ、明日です。今日はもう夕暮れですからね」
こうして俺は給食センターの所長に新潟の地酒をおごってもらった。
一杯飲んで気分がよくなっていると、ひっそりとネットの競馬記事が更新された。
例の下手くそベテランジョッキーが今年いっぱいで引退と発表したのだ。
やっぱりこれだけの下手くそがダービーに乗れたのは、現役最後の記念騎乗だったからだ。
これは美談のようで、しかし若手ジョッキーの成長機会を奪う話でもあるので、諸手を挙げて賛成はできない。
だが下手くそな中年男の最後を見届けられたことは、そこそこ満足度が高かった。
いつもなら外れ馬券なんて捨ててしまうのだが、なにか縁みたいなものを感じたので残しておこうと思った。




