第13話 ボートレース戸田に電動アシスト付き自転車で遠征
自転車屋の斎藤さんに、奥さんの形見である電動アシスト自転車を格安で売ってもらった。
無難なデザインの26インチで、各種消耗品は交換済みだ。さすがに長年使われただけあって使用感は残っているが、有名メーカーのフレームであればしっかり作られているので長持ちする。
さっそく社宅マンションに登録して、自転車の泥除け部分に利用者シールをぺたっと貼る。
「せっかく電動アシスト付きを手に入れたんだし、どこか遠出してみたいもんだが?」
どこに遠征すればいいんだろうか?
都内に住んでいると電車とバスでどこにでも行けてしまうし、基本的に乗り物が必要ないから、それらしい場所が思いつかない。
だから発想を変えて、いま住んでいる板橋区から、電車やバスだとむしろ通いにくい場所に遠征すればいい。
スマホでぽちぽち検索して、ちょうどいい場所を発見した。
埼玉のボートレース戸田だ。
あそこは板橋区から公共の交通機関で向かおうとすると、荒川を挟んでいる影響で乗り換えや徒歩の距離が伸びがちなのだ。
だから電動アシスト付き自転車の出番だ。グーグルマップによれば、距離は9.6キロ。普通の自転車であれば苦行になる距離だが、電動アシスト付きであれば余裕だった。
せっかくの機会だし運動不足を解消しよう。いくら外営業の仕事といっても、椅子に座っている時間のほうが長いわけだし、膝関節とか鈍っているはずだ。
運動に適した簡素な私服を着て、しゃかしゃかとペダルをこぐわけだが、やはり電動アシストには強烈なパワーがあった。上り坂を座ったまま踏破できるのだ。立ちこぎなんていらないのである。
電動アシストは初めて乗っただが、なんだか違和感があるなぁ。まるで自分の足で動かす原付みたいだ。
ちゃんと水分補給のことも考えてあるので、親戚にもらった水筒に氷水を入れてきた。当然水道水だ。なんで俺が麦茶作ると思ったんだ。あんなもん金の無駄遣いだ。
ごくごくと氷水を飲みながら、30分ほどモーターの力でペダルをこぎ続ければ、埼玉県のボートレース戸田にたどりついた。
ほとんど疲れていない。やっぱり電動アシストは偉大だな。
さてボートレース会場外見の外見だが、一昔前の百貨店風だった。以前おとずれたボートレース江戸川は公共施設風だったが、こちらは民間施設情緒が前面に出ていた。
現地ではブォンブォンとボートのエンジンが唸っている。ちゃんと調べないで勢いとノリで現地入りしたが、どうやら今日は開催日だったらしい。
もしかしたら知り合いがいるんじゃないかと思ったら、いつもは競輪ばかりやっている新橋の居酒屋の店主・木坂さんがいた。
「おや、井上さんじゃないかい! 珍しいねぇ、戸田までくるなんて」
「こりゃどうも」
「いくら井上さんといえど、G1となったら本場参戦するんだね」
「たまたまですよ。電動アシスト付き自転車を手に入れたから、ちょっと走ってみたくなって」
「自転車で埼玉まできたのかい!?!?!? 板橋区から!?!?!? いくら井上さんがケチだからって、県をペダルでまたぐとはなぁ」
ケチっていうなよ。ケチだけど。
「板橋と埼玉だと、たいして距離離れてないですよ。約10キロぐらいだし」
「いやいや10キロはめちゃくちゃ遠いよ。普通の中年男性は自転車で移動しようと思わないよ。井上さん、普段外回りの営業で歩き回ってるから感覚おかしくなってるでしょ」
本当にそうなんだろうか? 自分としては学生時代と比べるとかなり軟弱になったと思うのだが、木坂さんみたいな小太りの中年男性だと車の力が必要な距離なのかもしれない。
まぁいいや、せっかくのG1デイだし、いくつかのレースを大穴で買ってみるか。
あんまり狙いすましても普段競艇やってないから当てようがないし、6号艇の単勝だけ買っておこう。大波乱が起きれば、そこそこつくし。
こうして3レース分の単勝を買った。
それからすぐにレースが始まったわけだが、 1レース目も2レース目も、1号艇が1着でゴールインして、俺の舟券は普通に外れた。
まぁ競艇は1号艇が圧倒的に有利だから、6号艇が頭でくることなんてレアだしな。だからこそ大穴狙いなわけだし。
なお俺が2レース分賭けている間に、木坂さんは脂汗を流しながら頭を抱えていた。
「やってしまったぁ、また中途半端に荒れ目を狙って外したぁ」
いつも通りの外し方である。苦しむ姿もいつも通り。とくに同情はない。
と思っていたら、木坂さんが俺を神様みたいに拝んで、こんなバカなことを言い出した。
「井上くん、頼みがある! お昼ご飯代貸して!」
「まさかたった2レースでお小遣い使い果たしたんですか?」
「……へへへ、つい熱くなっちゃって」
「へへへじゃないんですよ。だったら昼飯抜きにすればいいじゃないですか」
「そんなことしたら死んじゃうよ」
「その前にギャンブルやめればいいじゃないですか」
「ギャンブルやめても死んじゃう!」
なんなんだこのギャンブル中毒おじさんは。
こんなワガママ無視してもよかったのだが、この人は仕事上の顧客である。ならば俺なりのゲン担ぎをするのと、恩を売っておくことを考えた。
「じゃあ、次のレースで6号艇1着になったら、おごってあげますよ」
こうやって運の値を上げるのだ。そして恩も同時に売る。一石二鳥である。
「本当かい!? なら僕も大穴当たるように神様にお願いしなきゃ!」
さぁどうだ、俺と木坂さんの願いは神様に届いたのか。
運命の一周第一ターンマーク。なんと内枠の1号艇から3号艇までがごちゃついて、しかもそれが4号艇と5号艇の壁になって、6号艇がぐるっと大外をまくるだけで先頭に立った。
勝敗は決した。 なんと本当に6号艇が頭でゴールインである。
俺と木坂さんはガッツポーズした。
「「当たったーーー!」」
単勝で32倍だった。そこに200円だけ入れていたので、6400円の払い戻しである。
木坂さんに昼飯おごっても余裕で残るな。なんなら自転車で遠征したから旅費はゼロだし、しかも仕事上の顧客である木坂さんに恩を売れたからかなりのプラスだ。
「で、木坂さん、なに食べるんです?」
「かつ丼がいいな。だってゲン担ぎにいいじゃない。勝つだし!」
「ゲンを担ぐにも、もう種銭残ってないんでしょう?」
「ちゃんとラストレース分だけ残してあるよ」
「それなのに俺に昼飯をおごらせるなんて…………」
ラストレースの種銭捨てて昼飯を食べるか、それとも昼飯抜きでラストレースをやるかの二択だと思うんだが、俺におごらせるという力技で解決したわけだ。
俺のギャンブル知り合いのなかでも、木坂さんはぶっちぎりでおかしい。
なんというか悪意なく倫理観の先に突き抜けていくというか。
……まぁいいか、俺は食事にこだわりがないし、木坂さんと同席しても話したいことはないし、飯代だけおごってさっさと帰ろう。
「あれ井上くん、もう帰るのかい? メインレースまだ終わってないけど?」
「ぶらっと立ち寄っただけで、本来の計画じゃないんですよ。これから自転車で板橋に戻ってから、午後はウインズ後楽園で中央競馬やります」
「そっか。井上くんは競馬も好きだもんね。とにかくありがとう、かつ丼ごちそうさま!」
やっぱこの人、悪意がないんだよな。だから憎めないっていうか。




