第11話 銀座の高級クラブも、裏方は戦場だ
銀座の高級クラブ。それは料金設定が高いことそのものが価値を持つ空間だ。
おもに社会の上流層が利用していて、格式の高い内装と、礼節を身に着けたホステスたちが待っている。
よくある話だが、銀座のママが仲介することで、社長同士が直接つながって、大型取引が成立することがある。
見た目の華やかさのせいで、お客さんが自尊心を高めるための空間だと思われがちだが、どちらかといえば商談や情報収集のために使われることが多い。
うちの会社でも重役クラスだったら縁があるんだろうが、バーコードハゲの坂崎課長だと縁がないだろうな。
で、俺は業務用食洗器の営業だから、高級クラブのバックヤードに縁があった。
呉服屋の店主である柳さんと一緒に、店の裏口から直接バックヤードに入った。
当然セキュリティが厳しいので、黒服たちにボディチェックされるわけだが、俺は何度も食洗器の件で入っているから、彼らとも顔見知りだ。
「井上さん、本日はどのようなご用件で?」
「柳さんが奥さんに怒られるので、それを仲裁するんですよ」
「あぁ、またオートレースで負けたんですか、旦那さん」
どうやら黒服たちの間でも有名らしい、柳さんがギャンブルで負けて奥さんに怒られることは。
実際、柳さんもこれまで見たことがないぐらい憂鬱な顔だった。
「また妻に怒られる……」
そんなに怒られるのが嫌なら、常識の範囲内で賭ければいいのに。
黒服たちのボディチェックが終わったので、備品と食材だらけのバックヤードを通り抜けると、スタッフルームに入った。
むわっと霧のように匂い立つ香水と女の体臭をかきわけて、煌びやかなホステスたちが殺気立って歩き回っていた。
どこどこのテーブルでヘルプが足りないとか、どこどこのお客さんが同伴で来場とか、新人が遅刻したとか、もはや戦場である。
その中心にいるのが、この店のオーナーである奥さんだった。
初老に達しているのに髪と肌は若々しくて、軍隊の現場指揮官みたいな顔付きをしているため、高価な着物姿がやけに威圧的だった。
彼女は俺と柳さんがスタッフルームに入ってきたことに気づくと、裏方で一番地位の高い黒服に一言二言伝えた。
黒服のリーダーは、俺たちの隣までやってくると、柳さんの肩に手を置いた。
「父さん、どうせまたギャンブルで負けたんだろう」
黒服のリーダーは柳さんの息子であった。
「負けるつもりはなかったんだが……」
柳さんは息子と目を合わせられないらしく、親に怒られた男児みたいにしょぼけていた。
「とにかくピークタイムが終わるまで隅っこで待ってなよ」
「妻に口添えしてくれ。いつもよりは負けてないんだ」
「わかったから仕事の邪魔をしないでくれ」
家庭内での肩身が狭いんだな、柳さん。
俺はずっと結婚と無縁だったが、こういう場面を見てしまうと、なんともいえない気持ちになる。
結婚って、なんだろうなぁ。
そんな哲学みたいなことを思い浮かべながら、俺と柳さんはスタッフルームの隅っこで待ちぼうけすることになった。
どうやら俺たちが雑談すると場違いな空気になるみたいなので、ひたすら黙ることになった。
豪華で艶やかな銀座の高級クラブも、裏方は地味かつ険しい世界だ。
ホステスたちは自分を最高に美しく見せるために化粧と香水で装飾しているわけだが、それは武装みたいなものだった。
ホステス同士の上下関係も見え隠れするし、やっぱりここは軍隊ではないだろうか。
そのせいで胸の谷間をがばっと開けたホステスが真横を通っても、あんまりセクシーに感じなかった。
たぶん表舞台であるホールで接待を受けたらセクシーに感じるんだろうから、彼女たちの演技力は一級品ということだ。
やがてピークタイムが終わって裏方の殺気が落ち着くと、奥さんがのしのしとボスキャラみたいな足取りでやってきた。
「あなた、どうせまたギャンブルで負けたんでしょう?」
「はい……」
「しかも食洗器の井上さんまで連れてきて。恥ずかしいと思わないんですか?」
このままだと説教が長引きそうだったので、俺は思いきって挙手した。
「今日は柳さんと一緒に遊んだものですから、その縁でちょっと仲裁しようかなと」
奥さんは刑事みたいな目で俺を見つめると、こんな質問をした。
「井上さんは今日のギャンブル勝ったんですか?」
「はい、ビギナーズラックで、結構な額を」
「なるほど、それでうちの旦那のプライドが傷ついて、井上さんに勝ちたいがために、財布の中身全部賭けたんですか」
おお、さすが銀座の高級クラブのオーナーだなぁ、旦那の心理に詳しい。
図星を突かれてしまった柳さんは、ますます小さくなると、まるで童話に出てくる森の小人みたいなサイズまで萎縮してしまった。
せっかく筋肉モリモリに鍛えても、ギャンブルで負けた日は威厳がなくなるってことかもなぁ。
要は金のない男には迫力がないってことだ。悲しいね。
なんだか柳さんがとてもとてもかわいそうに思えてきたので、そろそろ本格的に仲裁しようと思った。
「あのぉ、見ての通り反省しているようなので、どうかお手柔らかに」
奥さんは小さく鼻を鳴らすと、柳さんを冷たく見下ろした。
「まぁ借金しないだけマシだと思いましょう。お小遣いの範囲内ですっからかんになっただけですから」
それはそう。借金までしてギャンブルするようになったら、不良社員の俺でも止めるよ。
ギャンブラーの鉄則は財布の範囲内で勝負することだ。
それ以上賭けるようなら、そもそも賭け方を間違えているんだから、方法論のほうを見直さないと。
ようやく説教の雰囲気が終わったら、柳さんは、ちらっと奥さんを見上げた。
「そ、そのぉ……お小遣いを追加でいただけないだろうか?」
あぁ、情けない。かわいそうなぐらい情けない。
でもお金がないと月末まで苦しい。
金庫番である妻に泣きつくしかないのである。
ではその恐ろしい金庫番の答えは?
「ダメですっ。来月まで我慢しなさいっ」
そういって奥さんはフロアに戻っていった。
柳さんは、骨の抜けたイカみたいにしなだれると、ぼそっとつぶやいた。
「こんなことなら、あんな大金勝負するんじゃなかった……」
ギャンブラーあるあるだ。賭けた直後は勝つ気満々だったのに、負けたあとあんな勝負するんじゃなかったと後悔する。
でもふと気づいたら次の勝負をしてるんだよな。本当にダメな生き物だなぁ、ギャンブラーって。
「柳さん、元気出してくださいよ。来月になったらお小遣い補充されるんですし、お小遣いなしになるより何百倍もマシじゃないですか」
「来月になるまで、オートレースできない……」
それは自業自得なので同情できなかった。
帰り際。柳さんの息子である黒服のリーダーが、お見送りにきてくれた。
「父さん、なんで懲りないんだ? このままだと本当にお小遣いなしになるぞ」
「めんぼくない……」
「いま金ないんだろ。来月になるまで飯おごってあげるから、うちにきなよ」
「ああ、そうする」
どうやら親子関係は良好なようだ。
こういう場面を見ると、結婚して子供ができるのはいいのかもしれないなぁと思った。




