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結実

ローデリヒ平原の中央。

王都軍は次々と武器を捨てていき、クロイツ公爵とリシェル王女の前に降伏していく金属音が響き渡っている。

そこから完全に切り離されていた一部の空間だけに血の匂いと凄惨な殺気に支配されていた。


「押し返せ!! 殿下をお守りするんだッ!」


「ええい、退くな! 相手は少数の騎兵だ、気にすることはない!」


ダリウスを取り囲む五百名の黒鎧を纏った部隊は、必死に防陣を張ってアーベントの遊撃部隊に応戦していた。

彼らはダリウスに真に忠義を尽くしているわけではなく、金によって雇われていた傭兵であった。一般兵たちが戦意を喪失しているなかで、彼らだけは高い練度で統率され、血走った目で懸命に剣を振るっている。


「道を開けろッ!!」


強固な防陣を、巨大な鋼の塊が紙切れのように粉砕していく。

ヘルベルトが振るっている大剣である。一振りで数人の黒甲冑が宙を舞い、陣形にぽっかりと穴が開く。


「イリーナ! アルト! 道は開けたぞ!」


「感謝するぞ、ヘルベルト殿!」


イリーナがその穴へと滑り込み、自らの得物を風のように振るってダリウスの親衛隊を次々と斬り伏せていく。

美しく、そして無慈悲な太刀筋に、傭兵たちは反撃の糸口すら掴めない。

そして、その切り開かれた血路のど真ん中を、真っ直ぐに突き進む一つの影があった。


「ダリウス王子!!」


アルトであった。

土煙を突き破り、白銀の刃を構えている青年が第一王子をめがけてただひたすらに突撃していく。


「……く、くるな! 出会え、出会えッ! 俺に近づけるな!!」


狂気と威勢は完全に消え失せ、死の危機を前にしたダリウスは、見苦しくも馬上で悲鳴を上げていた。


「これ以上、あなたに国を壊させるわけにはいかない!」


アルトが地を蹴り、ダリウスを馬から叩き落とすべく剣を振りかぶった、その瞬間だった。


「――そう急ぐなよ、坊ちゃん」


鼓膜を直接撫でるような、低く、そしてひどく聞き覚えのある男の嘲笑。

直後、ダリウスの背後に控えていた『黒甲冑の部隊長』が、恐るべき踏み込みでアルトの前へと割り込んできた。

男が手にしている剣が、強烈な一撃となってアルトの白銀の刃と激突する。


周囲に耳を劈くような金属音が鳴り響く。

青年の腕に重い一撃と粘り気のある感覚が伝わってくる。

アルトはその衝撃に後退して、地面にブーツを滑らせて体勢を立て直した。


(この一撃……! まさか!)


アルトが驚きによって眼前の敵を注視していた時に、黒甲冑の部隊長は忌々しげに兜を脱ぎ捨てた。

現れたのは、額から頬にかけて生々しい傷跡が走る、野獣のような面構えの男。


「久しぶりだなぁ、ルーヴェルの坊ちゃんよぉ。今は立派な騎士ってところか?」


「貴様は……! 『自由の盾』の、ヴォルグッ!!」


アルトの喉から、怒りと驚きが入り交じった声が絞り出された。

ヴォルグ。かつてルーヴェル周辺で退治した『自由の盾』の幹部。

アルトにとって、決して忘れることのできない因縁の男であった。


アルトは一瞬だけ相手との間を取り、自身の瞳を閉じた。

胸の中で窮地に陥っていた場面を思い返す。

思い出されるのは、自身を守るために身を捧げてくれた同志たち、単身で敵軍へと突入して活路を見出してくれたルーヴェルの老兵、そして――


――自らを護るために犠牲となった長兄レオニード。


皆が命を賭してくれたからこそ、今の自分がある。

その仇敵である一人がダリウスの護衛として、再び目の前に現れた。


「なぜ……貴様がそこにいるんだッ!」


アルトの全身から、これまで見せたことのないほどの激しい殺気が立ち上る。


「決まってんだろ、これも仕事ナンだよッ!」


ヴォルグは歪な大剣を肩に担ぎ、下劣な笑いを浮かべた。


「王子様の『監視役』ってところさ。だが、まさか戦う前に終わっちまうとはな。坊ちゃんのところには随分と頭の回るヤツがいるみてぇだな!」


ヴォルグは丘の上に立つユウの姿をチラリと見やり、チッと舌打ちをした。


「ええい、ヴォルグ! 何を呑気に喋っているんだ! 早くそのガキを殺せ! !」


背後でダリウスが狂乱しながら喚き散らす。


「うるせェな……『お飾り』が。……ま、そういうわけだ坊ちゃん。俺も金をもらってる以上、ここでこいつを死なせるわけにはいかねェんだ」


「……貴様には、微塵の誇りもないのか。自らの利益のために、どれだけの人を犠牲にすれば気が済むんだ!」


「誇りで飯が食えるかよ! 死んだルーヴェルの奴等みたいになッ!」


その言葉が、アルトの逆鱗に触れた。


「――ルーヴェルの誇りを愚弄するなッ!!」


瞬間、アルトは、得物を見つけた猛獣のように、一気に距離を詰める。

アルトの姿がブレたかと思うと、白銀の刃がヴォルグの首筋めがけて神速で薙ぎ払われた。


「おっとぉ!」


ヴォルグが慌てて大剣で防ぐが、その衝撃はかつての戦いの比ではなかった。

周囲に金属同士が激突した刃から火花が散る。

その凄まじい衝撃に、巨漢のヴォルグが腕の痺れに顔を歪め、たまらず数歩後退した。


「チッ……! 多少は腕を挙げたようだな……!」


「僕はもう逃げない。ここで、全てを終わらせてやる!」


アルトの猛攻が始まる。上段からの叩きつけ、横薙ぎ、そして鋭い突き。

ただ怒りに任せている乱撃ではなく、騎士として習っている基礎と、経験によって研ぎ澄まされた剣技が、寸分の狂いもなくヴォルグの急所を狙い続ける。


「なかなか厄介になりやがって……」


ヴォルグも反撃をするが、アルトはその大振りな太刀筋を紙一重で見切り、カウンターを次々と叩き込んでいく。

今の戦いはアルトが完全に支配しているように見受けられた。

その姿は、かつて王国最強の将軍と謳われた父の剣気を彷彿とさせるものであった。


「アルト! そこだッ!」


さらに、周囲の黒甲冑部隊を制圧したイリーナとヘルベルトが、アルトを援護すべく背後から迫る。

味方の部隊はすでに半数以上が討ち取られ、王都軍一万は完全に降伏。そして目の前には、自分を凌げるほどに成長した若き騎士。


(……チッ、ここまでか。これ以上は骨折り損だ)


傭兵としての冷徹な計算が、ヴォルグに撤退を決断させた。


「やるじゃねェか、坊ちゃん……」


ヴォルグがニヤリと笑った瞬間、彼の手のひらから禍々しい黒いモヤが噴き出した。


「だが、悪いが俺の仕事は『こいつを生かすこと』なんでね。戦うことじゃねェ!」


ヴォルグは地面に手を叩きつけると、真っ黒な煙が周囲に広がっていった。

アルトの周囲は瞬く間に真っ黒に包み込まれた。光を完全に遮断する闇の魔法であった。


「なっ……! 視界が!」


イリーナとヘルベルトが思わず目を覆い、足を止める。


「逃がさないぞッ! ヴォルグ!!」


アルトは闇の中を勘だけで突き進み、ヴォルグがいた空間を全力で薙ぎ払った。

しかし、その刃には空を切り裂く手応えしか残らない。


「おい、王子! 死にたくなけりゃ俺に掴まれ!」


「な、なんだ! どうなっている!触るな無礼者!」


「うるせェ、舌噛むぞ!」


闇の向こうから、馬の嘶きと、ヴォルグの乱暴な怒声、そしてダリウスの無様な悲鳴が遠ざかっていく声が聞こえた。

数秒後、風によって闇魔法の煙が晴れた時、そこには主を失った黒甲冑の死体と、激しい戦いの爪痕だけが残されていた。

ダリウスとヴォルグの姿は、影も形もなく消え去っていたのである。


「……逃げられた、か」


アルトは剣を握る手をギリッと震わせ、悔しげに唇を噛んだ。

宿敵の撃破とダリウスを捕らえる機会だったが、またしても闇魔法という逃走手段の前に、取り逃がしてしまったのだ。


「アルト、追撃部隊を出すか! 今ならまだ、馬の蹄の跡が――」


イリーナが進み出た時、背後の丘陵からゆっくりと馬を歩ませてきたユウが、冷淡な声でそれを制止した。


「深追いはやめよう、イリーナ。アルト、剣を収めろ」


「ユウ……! しかし、ダリウスを逃がせば、また必ずセリオスの手駒として――」


焦るアルトに対し、ユウは感情のない黒い瞳で静かに首を横に振った。


「俺たちの目的は『ダリウスを殺すこと』じゃない。『王都軍を無傷にすること』だ」


ユウは自身の指先を平原の中央へと指し向けた。

そこには、武器を捨てた王都兵たちが、クロイツ公爵とリシェルの前に平伏し、降伏の意志を示していた。


「ダリウスが兵を見捨てて逃亡した。その事実は、残された一万の兵たちに『王女リシェル殿下に降伏する』という絶対的な大義を与えたんだ。ダリウスが死ぬより、よほど都合がいい」


ユウの言葉に、アルトはハッと息を呑んだ。

もし、ダリウスを討ち取っていれば、「王女が第一王子を殺した」という事実が残り、王都軍に不要な遺恨や混乱を生んでいたかもしれない。ダリウスが自ら兵を捨てて逃げたことが一番の成果であった。


「……俺たちの勝利だ。今はそれで十分だ」


ユウはそう締めくくると、手綱を引いて降伏した王都軍の方へと馬を向けた。


アルトは静かに深呼吸をし、白銀の剣を鞘に納めた。

悔しさがないと言えば嘘になる。だが、ヴォルグと剣を交えたことで、自分が少しずつだが成長していることを実感できた。


「次に会った時は、必ず……」


東の空、ダリウスたちが逃げ去ったであろう方向を見つめ、アルトは静かに誓いを立てる。

アルトたちが戦った周囲には、若干の鉄の臭いが残っていたが、久方ぶりに穏やかな夕方の風が流れていることを感じていた。


王国を二分するローデリヒ平原の戦いは、こうして幕を閉じた。

王都軍の軍勢をも呑み込んだ、一人の若き青年の策が、完全な形で結実した瞬間であった。

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