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書庫


夜は、思っていたよりも深かった。 


ユウはベッドの上で目を閉じていたが、意識はまったく沈まなかった。

静かすぎるのだ。

窓の外からは、かすかに風が枝葉を揺らす音が聞こえるだけ。

街のざわめきも、戦闘の喧騒もない。

それが逆に、頭の中を騒がしくする。


(……寝れないな)


目を開ける。

天井は見慣れない模様の石材で組まれている。

均一ではなく、微妙な凹凸があり、光の加減で陰影が揺れている。

ここが“現実”だと、嫌でも認識させられる。

体を起こす。身体は疲れている。だが、神経だけが冴えている。


――考えることが多すぎる。


山賊。騎士。貴族。魔法。


――そして、“この世界”そのもの。


(……情報が足りない)


結論は単純だった。

ユウは静かにベッドから降りる。

床はひんやりとしていて、足裏に冷たさが伝わる。

扉へと歩いていき、ゆっくりとドアノブへと手をかけた。

廊下は薄暗く、壁に取り付けられたランプの火だけが頼りない光を落としている。

昼間とは違い、人の気配はほとんどない。


――が。


「……起きていらしたのですね」


すぐ近くから、声がした。

ユウは一瞬だけ身構える。

だが、振り返るとそこにいたのは――


「……お前か」


エリナだった。

変わらない姿勢。変わらない表情。

だが、昼間よりも声がわずかに小さい。


「見回りか?」


「はい。夜間の巡回も、業務の一環です」


淡々とした答え。

ユウは短く息を吐く。


「ちょうどいい」


「何かございましたか」


「本を読める場所はあるか?」


一瞬だけ、エリナの目がわずかに動いた。

驚いたような表情。


「……読書、でございますか」


「ああ。調べたいことがある」


理由としては自然だ。

だが、ユウ自身も少しだけ引っかかっていた。


(……読めるのか?)


この世界の文字を、自分が理解できる保証はない。

だが、不思議と“読める気がしている”。

その根拠のない確信が、逆に気持ち悪い。

エリナはわずかに考えながらこう返す。


「書庫がございます」


と答えた。


「ご案内いたします」


迷いのない言葉。

ユウは軽く頷き、その後ろを歩き出した。


屋敷の奥へ進むにつれて、空気が変わる。

生活の匂いが薄れ、代わりに――

紙と、埃と、静寂の匂い。

エリナが一つの重厚な扉の前で止まる。


「こちらでございます」


扉を開ける。


中は――


「……」


思わず、足が止まる。

広い。想像していた以上だった。

天井は高く、二階分ほどの高さがある。

壁一面に本棚が並び、その全てが隙間なく本で埋め尽くされている。

梯子がいくつも掛けられており、上段の本にも手が届くようになっている。

中央には長い机りその上には燭台が並び、すでに火が灯されていた。


「夜間でも使用できるよう、最低限の灯りは維持しております」


エリナが説明する。ユウはゆっくりと中へ足を踏み入れる。

床がわずかに軋む。


(……本物だな)


手近な本に触れる。革の装丁。わずかにざらついた感触。

一冊、取り出す。


表紙には――見慣れない文字。


「……」


数秒、見つめる。


――読めた。


「……は?」


思わず声が漏れる。


“読める”。


意味が、理解できる。

これは、日本語ではない。英語でもない。

だが、脳が勝手に“意味”として処理している。


「どうかされましたか」


エリナの声。

ユウは本から目を離さず答える。


「……読めるんだ」


「はい?」


「文字が読めた」


エリナは一瞬だけ沈黙する。

言葉の意味が理解できない。


「……元々、読めなかったのでしょうか」


「少なくとも、この世界の文字は初めて見る」


とっさに言ってしまった。

それは事実なのに読めてしまう。

違和感が、じわじわと広がるだが理解できるという高揚感がある。


(……なんだこれ)


便利だが、気味が悪い。

エリナはその様子を観察するように見ていたが、


「……特異な事例ではありますが、否定はできません」


とだけ言った。


「魔法や祝福の影響という可能性もあります」


「祝福ね」


ユウは軽く鼻で笑う。

納得はしていないが、否定もできない。

今は――利用するべき。


「地図はあるか?」


「ございます」


エリナは迷いなく奥の棚へ向かう。

数冊の中から一つを取り出し、机へと広げた。


「こちらが大陸全図になります」


ユウも近づく。

紙は厚く、しっかりとした作り。

そこに描かれているのは――


「……なるほどな」


まず目に入るのは、中央の大きな領域。


「これが、レイヴァルト王国でございます」


エリナが指で示す。

王国は大陸の中央寄りに位置していた。


その東側には――


「帝国か」


「はい。東方に位置する強国、ガルディア帝国」


国境線は長く、複雑に入り組んでいる。

戦争が起きていた理由が、視覚的に理解できる。


「で、西は?」


「こちらが、ローディス共和国です」


王国の西側に広がる、やや細長い領域。


「商業国家として発展しており、交易に強みを持ちます」


ユウは地図を見ながら、ゆっくり整理する。


中央に王国。

東に帝国。

西に共和国。


(……挟まれてるな)


地政学的に、かなり厳しい位置だ。


「王都はどこだ」


エリナは中央付近を指す。


「ここが王都レイヴァルトでございます」


「で、今いるのが」


「東部都市ルーヴェル」


さらに西側を指す。


「そしてこちらが、西部の大都市ローデリヒ」


三点が、王国の中核を形成している。


ユウはその位置関係を頭に叩き込む。


(……東端に近いな、ここ)


つまり、帝国との最前線に近い。


「……そりゃ荒れるわけだ」


思わず呟く。

エリナは何も言わない。

ただ、静かに地図を見ている。

その他、教会、村、砦といった建物の位置関係も把握する。

全ては覚えられないが大体の位置関係だけでも理解はしておきたい。

ユウは地図を読み終えた後にエリナへと尋ねる。


「戦史はあるか?」


「こちらに」


差し出された一冊のページをめくる。

そこには、戦の記録が詳細に記されている。

年号、戦場、兵数、被害。

淡々とした記述。

だが、その裏にあるものは重い。


(……数字で書くと、軽く見えるな)


だが実際は――

人が何万、何十万単位で亡くなっているという紛れもない事実がある。

ページをめくる手が、わずかに止まったときに。


――扉が、静かに開いた。


振り返る必要はない。

誰かは分からないが誰かが書庫に入ってきたことは分かる。

その人物は低く威厳のある声でユウの背後から声をかけた。


「まだ起きていたのか」


落ち着いた声。

ユウは振り返る。


「まあな」


短く返す。

食堂で顔を合わせた長兄――そのままの流れでの再会。

違和感はない。

エリナが一礼する。


「レオニード様」


「構わん。下がる必要はない」


その一言で、場の空気が決まる。

レオニードはゆっくりと室内へ入り、机の上の地図に目を落とした。


「……地図か」


「位置関係を確認してただけだ」


ユウは答える。


「王都を中心に三都市。東西に大国。分かりやすい」


「分かりやすい、か」


レオニードはわずかに視線を細める。


「そう見えるのは、表だけだ」


そう言って、地図の東側にある王国と帝国の境界線の都市と都市を結ぶ線がない場所を指で指す。

過去の経験からだろうか。


――帝国側を指で軽く叩く。


「ここから、何度も攻め込まれた」


その言葉には、実感があった。

ユウは黙って聞く。


「戦争は長かった。十年近く続いた」


「基本的には帝国が攻めて、我々は守る」


「単純な構図だが……中身は違う」


レオニードはゆっくりと言葉を選ぶ。


「奴らは削る戦いをしてきた」


「土地ではなく、人に向けてな」


ユウの視線がわずかに動く。


「……消耗戦か」


「ああ」


短く肯定。


「前線を維持するために、何度も兵を入れ替えた」


「農民も、職人も、全てだ」


淡々と語られるが、その内容は実に重い。


「勝敗はつかなかった。だが――」


一瞬だけ言葉を区切る。


「国としての余力は、こちらの方が先に尽きた」


それが、停戦の正体。ユウは静かに息を吐く。


「……負けてないだけ、マシってやつか」


「そう言う者もいる」


レオニードは否定しない。


「だが現実には、多くのものを失った」


「人も、金も、秩序もな」


その言葉で、すべてが繋がる。


(だから今の状態か)


ユウは理解した。

戦争は終わったが、その代償が“今”に残っている。

数秒の沈黙の後にユウはひとつだけ問う。


「で、その歪みが……“組織”になったと」


レオニードはゆっくりと視線を向ける。

表情は少しは分かるようだなと言いたそうな顔をしている。


「気づいているようだな」


否定はしない。少し驚いた表情を見せる。

ユウはレオニードへと口を開く。


「ただの山賊ではない」


ユウは続ける。


「統率、思想、目的……そういうものがある」


レオニードは小さく頷く。

どこか感心しているようだ。


「最近確認している連中の一つに、名がある」


そこまで聞いて、ユウは先に言う。


「“自由の盾”か」


わずかな間。


「……理解しているな」


「名前だけな」


ユウは肩をすくめる。


「中身は聞いてない」


レオニードはそれを一瞬だけ見て、そして口を開く。


「連中は――」


わずかに言葉を区切る。


「王国の転覆を狙っている」


空気が変わる。

エリナの呼吸が、ほんのわずかに止まる。

ユウは動かない。


「……革命、か」


静かに言う。


「そうだ」


レオニードの声は変わらない。


「“自由”とは名ばかりだ」


「実態は、秩序の破壊だ」


だが、その言葉の奥には、単純な否定だけではない何かがある。

ユウはそれを感じ取る。


「思想は?」


レオニードは一瞬だけ視線を落とす。


「……完全には掴めていない」


「だが共通しているのは、“現体制への否定”だ」


「貴族、騎士、王――すべてを壊す」


ユウは小さく息を吐く。


(筋は通ってるな)


口には出さないが、理解はできる。

戦争で消耗し、見捨てられた人間がいる。

彼らも日々を生きていく必要がある。

そノ受け皿役を誰が担うのかという話。

それだけの話。


「厄介だな」


率直な感想。レオニードは即答する。


「当然だ」


短いが、重い。


「連中は戦える」


「理由があるからな」


ユウは視線を地図へ戻す。

東部都市 ルーヴェル。

最前線であり、歪みの集積点。


「……ここが荒れる理由も分かる」


「理解が早くて助かる」


レオニードの言葉は淡々としている。

だが、その一言は“評価”に近かった。

数秒の沈黙があった後に書庫の空気が再び静かになる。

レオニードは踵を返す。


「長居するなよ」


それだけ言う。


「この屋敷であっても、安全とは限らん」


ユウはわずかに眉を動かす。

屋敷内にも何かをいるのだろう?


「中にもいるってことか?」


当然の問い。だが、レオニードは振り返らない。


「可能性の話だ」


それだけ残して、扉へ向かっていく。


そして――


「エリナ」


「はい」


「案内を続けてやれ」


「承知いたしました」


短いやり取り。

レオニードはそのまま書庫を出ていく。

扉が閉じる音が、小さく響いた。


静寂。

ユウはしばらく動かなかった。

やがて、小さく息を吐く。


「……なるほどな」


独り言のように呟く。

戦争。歪み。革命。

全部が、一本の線で繋がる。


「面倒な場所だ」


だが、その声に嫌悪はない。


むしろ――


(動きがある)


その一点だけを見ている。

しばらくしているとエリナが静かに声をかける。


「お部屋へ戻られますか」


「ああ」


短く答える。

地図を閉じる。

知識はまだ足りない。

だが、方向は見えた。


書庫を出る。

廊下は静かで、夜が深まっている。

足音だけが、規則正しく響く。


ユウは歩きながら考える。


(さて――どうするか)


ただ巻き込まれるか。

それとも――


小さく息を吐く。

答えは、まだ出ない。

だが確実に。


この世界は“何も起きない場所”ではない。


その実感だけが、はっきりとあった

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