食卓
軽いノックの音で、意識が浮上した。
深く沈みきらないまま横になっていたせいか、眠っていたのかどうかも曖昧だった。
「……ユウ様、失礼いたします」
扉越しに届く、落ち着いている声。
この世界で何度か聞いたことがある声。
間違いない、エリナだ。
「起きてる」
短く返すと、扉が静かに開いた。
夕暮れから夜へと移ろう時間帯。
廊下の明かりを背にしたエリナの姿は、昼間よりもわずかに柔らかく見えた。
「お休みのところ申し訳ありません」
「いや、寝てなかった」
ユウは上体を起こしながら答える。
体の重さは抜けきっていないが、思考は妙に冴えたままだ。
エリナは小さく頷いた。
「それでは、ちょうどよろしいかと」
一歩だけ部屋に入り、淡々と続ける。
「これから夕食の時間となります」
「アルト様のご意向で、ユウ様にも同席いただきたいとのことです」
ユウは一瞬だけ眉を動かした。
「……いいのか?」
貴族の食事だ。
この世界の常識はわかっていないが、普通に考えると部外者が混ざる場ではない。
だがエリナは迷いなく答える。
「アルト様のご判断です」
それ以上の理由は語らない。
だが、それで十分だった。
ユウはベッドから立ち上がる。
「分かった。行こう」
「ありがとうございます」
軽く一礼し、エリナは扉の方へと向き直る。
「こちらへ」
そのまま廊下へ出る。
夜の屋敷は、昼間とは違う静けさを持っていた。
使用人たちの動きはあるが、音は抑えられている。
足音すら、どこか遠慮がちだ。
(……ちゃんと“家”なんだな)
そんな当たり前のことを、改めて感じる。
エリナの後を追いながら、ユウはふと口を開いた。
「毎日、家族で食べているのか?」
前を歩く背中が、わずかに反応する。
「基本的には」
短い返答。
「ですが、当主様のご都合によって変動いたします」
「……今日は?」
「おそらく、皆様お揃いになるかと」
その言い方は、断定ではない。
だが、それなりに可能性は高いらしい。
廊下をいくつか曲がり、やがて一際大きな扉の前で足が止まる。
明らかに周囲の扉と雰囲気が違う。
ここが食堂に向かう扉なのだということは言われなくても理解できる。
「こちらが食堂でございます」
扉の前に立つだけで、内側の気配が伝わってくる。
人の気配。わずかな話し声。
エリナが扉を軽くノックする。
「失礼いたします」
中から短く返事があり、扉が開かれる。
――視界が開ける。
広い。
まずそれが第一印象だった。
長いテーブル。
磨き上げられた木の表面が、照明の光を柔らかく反射している。
壁には絵画や装飾が控えめに配置されているが、過度な豪華さはない。
そして――
すでに数人が席についていた。
アルト。そして彼の右前にはセシリア。
そして、アルトの向かい側には見たことない人物。
初めてみる男が、椅子に深く腰掛けていた。
年齢はアルトより上。
二十代前半といったところ。
同じ金髪だが、アルトよりもやや濃い色合い。
目つきは穏やかだが、その奥には油断のない光がある。
(……こいつが)
直感で分かる。
次兄だ。
アルトがこちらに気づき、軽く手を上げる。
自身の横に座れと身振りだけで案内してくれる。
「来たね」
「遅くなった」
ユウは短く返し、室内へと入る。
エリナはそのまま一歩下がり、壁際へと控えた。
部屋中にいる人物の視線が集まっていることがわかる。
アルトの隣の席へと歩き出す。
特に強いのは――やはり、あの男だ。
じっと観察するように見ている。
やがて、口元がわずかに緩んだ。
「へえ」
軽い声。
だが、その一言に含まれる興味は隠されていない。
「君が、アルトの客人か」
席に到着したユウは椅子に腰掛ける。
ユウは足を止め、正面からその視線を受ける。
「……そうなります」
曖昧に返す。男はくすりと笑った。
どことなく言葉遣いがおかしいのは警戒心があるせいかもしれない。
それと、今日だけで人から不思議な目を向けられたのは何度目だろう。
その視線には慣れたがこの人物の前では全てが見通されているような気がする。
「警戒心が強いね」
自分の考えを読まれた。
男は椅子に肘をつきながら、楽しそうに続ける。
「悪くない、判断だよ」
アルトが軽く咳払いをする。
「兄上」
たしなめるような声。
男は肩をすくめた。
少し口元を上げて。
「分かってるよ。軽い挨拶だ」
そして、改めてユウを見る。
「僕はセリオス・レイヴァルト」
「この家の次男だ」
名乗りは簡潔だった。
だが、その立ち振る舞いには余裕がある。
アルトとは違う種類の“貴族らしさ”だ。
ユウは一瞬だけ間を置き、口を開く。
「……ユウです」
それだけ。
セリオスの片眉がわずかに上がる。
「名字は?」
「キサラギといいます」
即答。沈黙が一瞬落ちる。
だがセリオスはすぐに笑った。
「聞いたことがない。初めて聞く名前だ。」
否定も追及もしない。
ただ“そういうもの”として受け入れる柔軟さ。
「アルトから少し話は聞いたよ」
視線が横に流れる。
「森で拾ったんだって?」
「……そんな感じです」
真面目に表情をくずさずにユウが答える。
そんなユウとは裏腹にアルトは苦笑している。
「言い方が雑ですよ、兄上」
「事実だろう?」
セリオスはあっさり返す。
そして再びユウへ。
「だが、それだけじゃない」
指先でテーブルを軽く叩く。
「ただの迷子を、ここに連れてくるとは思えない」
その場をリードする仕草、発言。
これが貴族の余裕というやつなのかもしれない。
セリオスがユウをみる視線が鋭くなる。
その目は何かを見定めるべく相手を疑っているようだ。
「何かあるんだろう?」
探るような言葉。
だが圧は強すぎない。
あくまで“興味”の範囲に留めている。
ユウは数秒だけ沈黙して、
「……さあな」
とだけ答えた。
それ以上は言わない。
セリオスはその反応を見て、ゆっくりと笑う。
「いいね」
楽しそうに。
「簡単に喋らないタイプか」
そして背もたれに体を預ける。
「嫌いじゃない」
その言葉で、一旦引いた。
深追いしない。
だが、完全に手放したわけでもない。
アルトから感じた純粋とはまた違う純粋。
自然と相手からマウントを取れる人物。
(……厄介だ)
ユウは内心でそう判断する。
アルトとは違う。
もっと現実的で、もっと計算して動くタイプ 。
そのとき、セシリアが静かに口を開いた。
「お兄様」
やんわりとした声。
「まだお食事が始まっておりません」
軽い注意だった。
セリオスは肩をすくめる。
「そうだったね」
視線を扉の方へ向ける。
「兄上はまだかな」
“兄上”――つまり長兄。
ユウはその言葉に、わずかに意識を向ける。
(……まだ一人いるのか)
場の空気が、少しだけ引き締まる。
誰もが自然と“待つ側”に回っている。
それだけで分かる。
この家の中心は――まだ来ていない。
静かな時間が流れる。
食器のわずかな音。
控える使用人たちの気配。
そして、扉の向こうから近づいてくる足音。
一定で、迷いのない足取り。
やがて――
扉が開いた。
着席していた皆がとっさに立ち上がる。
その様子をみた後に、少しだけ遅れてユウも立ち上がる。
重い足音が、ゆっく食卓へと近づいてくる。
その音には、無駄がない。
急ぐでもなく、威圧するでもなく
――ただ自然に「場を支配する」歩き方だった。
やがて、一人の男が姿を現す。
背は高い。アルトよりも明確に上。
肩幅も広く、鍛え上げられた体躯が衣服越しにもはっきりと分かる。
濃い金色の髪は後ろに流され、整えられている。
その顔立ちは整っているが、柔らかさはない。
鋭い眼光。場に入るだけで周囲の空気が一段引き締まる。
(……この男が)
ユウは自然と背筋を伸ばしていた。
「遅れてすまない」
低く、落ち着いた声。
それだけで、この場の主導権が誰にあるのかが分かる。
「兄上」
アルトが短く呼ぶ。
男――
長兄は軽く頷くと、視線をテーブルへと流した。
その視線が、最後にユウで止まる。
数秒の沈黙。
何も言わない。
だが、それだけで測られていることが分かる。
「……そちらが、例の客人か」
問いではなく確認。
長兄の言葉にアルトが応じる。
「はい。道中で保護しました。ユウといいます」
長兄であろう人物にユウは頭を下げる。
その人物は一歩だけ近づき、ユウの正面で足を止める。
「レオニード・レイヴァルトだ」
簡潔な名乗り。
それ以上の装飾はない。
ユウも視線を逸らさずに応じる。
「……ユウです」
一瞬だけ沈黙。
レオニードは小さく頷いた。
「皆、座ってくれ」
短い言葉。
それが合図となり、全員が再び席に着く。
エリナが静かに合図を送り、使用人たちが動き出す。
料理が順に運ばれ、食事が始まった。
ナイフとフォークが皿に触れる音。
いろいろな野菜が入っているであろうスープの香り。
焼かれた肉の香ばしさ。
だが、その場にあるのは“団欒”ではない。
規律と緊張。
それでも、不自然ではない。
この家にとっては、これが“普通”なのだろう。
しばらくの間、誰も口を開かない。
やがて、沈黙を破ったのは
――セリオスだった。
「アルト」
軽い口調。
だが、視線はしっかりと弟を見ている。
「聞いたぞ。巡回中に山賊と接敵したそうだな」
アルトは食事の手を止め、頷く。
「はい」
「よく対処した」
セリオスは素直にそう言った。
「被害は出たと聞いたが、それでも部隊を崩さずに戻ったのは評価できる」
アルトの表情は変わらない。
だが、その言葉はしっかり受け取っている。
「ありがとうございます」
そのやり取りを、レオニードは静かに聞いていた。
そして、短くひと言だけ。
「当然だ」
と、短く言い切る。
視線は皿の上に落としたままだ。
「レイヴァルト家の人間としては、それが最低限だ」
冷たいわけではない。だが、甘さもない。
それが彼らのなかでの“基準”だと、はっきり示す言葉だった。
セリオスは肩をすくめながら
「相変わらず厳しいですね」
軽く笑いながらレオニードへ伝えた。
だが、その直後、表情を少しだけ引き締めて口を開いた。
「……それにしても、山賊の動きが妙です」
手に持っていたナイフを置いた。
「ここ最近、数が増えています」
「しかも、以前よりも組織的な様です」
アルトが視線を上げる。
セリオスに同意するように。
アルトは兄へと質問する。
「やはり、そう感じますか」
「感じる、じゃないな。事実だ」
セリオスは断言した。
「単なる物乞いの集まりじゃない。誰かがまとめている」
その言葉に、レオニードが静かに口を開く。
口に含みかけていた
「“自由の盾”」
その名が出た瞬間、空気がわずかに変わる。
ユウはその変化を見逃さない。
(……やっぱり、重要な存在か)
セリオスが続ける。
「奴らを中心に、周辺の山賊がまとまりつつある可能性があります」
レオニードは淡々と言う。
「だからこそ――」
そこで一度言葉を切り、ゆっくりと視線をアルトへ向けた。
「士官学校の人員も、今後はより積極的に動員してもらうことにした」
その一言は、決定事項だった。
相談ではない。
アルトは一瞬だけ間を置き、
「……承知しました」
と、はっきり答える。
セリオスが小さく息を吐く。
「人手不足ですね」
それに対してレオニードは短くこう返す。
「否定はしない」
すぐに続けて即答する。
「だが、待つ余裕もない」
短く、それだけ。
会話は終わった。
再び、食事の音だけが響く。
ユウはその一連のやり取りを、黙って見ていた。
(……家族、か)
そう思う。
だが、自分の知るそれとは違う。
情はある。だが、優先されるのは責務。
会話は短く、判断は速い。
そして、それぞれが自分の立場を理解している。
(……悪くない)
むしろ、合理的だ。
そんなことを考えながら、ユウはゆっくりと食事を口に運んだ。
味は、よく分からない。
だが、不思議と
――嫌な感じはしなかった。
やがて、食事は静かに終わりへと向かう。
食器が下げられ、場の緊張もわずかに緩む。
レオニードが立ち上がる。
「以上だ」
それだけ言って、背を向ける。
誰も引き止めない。
そのまま、静かに食堂を後にした。
残された空気に、わずかな余韻が残る。
セリオスが小さく笑う。
「相変わらずだろ?」
誰にともなく言う。
アルトは苦笑しながらセリオスに返す。
「ええ」
と短く答えた。
セシリアは静かに視線を落とす。
ユウは椅子にもたれながら、天井を見上げた。
(……面倒だな)
小さく、そう思う。
だが同時に――
(……退屈はしなさそうだ)
そんな予感もあった。
こうして、静かな緊張に包まれた食事は終わる。
そして。
この家、この国、この世界における“現実”が、少しずつ輪郭を持ち始めていた。




