役割
朝の光は、静かに差し込んできた。
カーテンの間か漏れる淡い光が、部屋の中にゆっくり広がる。
ユウは、浅い眠りのままそれを感じ取っていた。
(……寝た気がしないな)
目を開ける。
天井は見慣れないまま。
だが、違和感はもう“日常”に近づきつつある。
身体を起こすと、わずかに重い。
頭の奥に鈍い感覚が残っている。
書庫での出来事が、断片的に思い出された。
世界の地図。王国の歴史と紛争。自由の盾。レオニードの言葉。
(……考えることが多すぎる)
小さく息を吐く。
そのとき、扉が控えめにノックされた。
「ユウ様、起きていらっしゃいますか」
エリナの声だった。
「ああ」
短く返す。
扉が開き、エリナが入室する。
「朝食のご用意が整っております」
変わらぬ落ち着いた声音。
ユウは軽く頷く。
「すぐ行く」
身支度を整え、部屋を出る。
あいにくと衣服は一着しか持っていない。
身につけるのは昨日と同じ服装となる。
廊下は朝の空気に包まれていた。
昨夜とは違い、わずかに人の気配がある。
屋敷が“動き出している”のが分かる。
エリナの後を歩きながら、ユウは一度だけ大きく伸びをした。
「……眠そうですね」
前を向いたまま、エリナが言う。
「まあな」
否定はしない。
「書庫に籠もっていたのであれば、当然かと」
「エリナは眠くないのか?」
一緒に付き合ってくれた彼女の様子を心配する。
そんな心配を他所に女性はさらりと言う。
「仕事ですので慣れております」
「タフだな」
ユウは軽く苦笑しながら返答した。
やがて食堂へと辿り着いた。
扉を開けると、すでに二人が席についていた。
アルトとセシリアだ。
他の兄2人はもう不在なのだろうか。
「おはようございます、ユウ様」
セシリアが柔らかく微笑む。
「……おはよう」
軽く返す。アルトもユウへと視線を向ける。
顔色をみるや少し心配そうに質問をする。
「少し顔色が悪いね」
「寝不足だ」
自分の責任もあったと思い正直に伝えた。
だが、アルトは小さく頷きながら言葉を返す。
「無理もないよ。環境も状況も、急に変わったからね」
その言葉に、余計な同情はない。
ただ事実として受け止めている。
席に着く。
程なくして料理が運ばれてきた。
焼きたてのパン。温かいスープ。卵料理。
現世と比較してもしっかりとした食事。
ふと、この世界でこれを食べれる人がどれくらいいるのだろう。
そんな何気ない疑問が浮かぶ。
そう考えると提供された食事に感謝の気持ちが沸く。
その気持ちを忘れないように食事を口元へと運ぶ。
(……ちゃんとしてるな)
――味は薄い。
パンも少し硬い。塩味も控えめ。
だが、小麦の香りやスープ内の人参や玉ねぎの自然な甘み。
人口ではなく、素材本来の旨味をしっかりと堪能できている。
しばらくして、アルトが口を開く。
「ユウ」
名前を呼ばれた。
「今日の予定だけど――」
一度、言葉を区切る。
「士官学校へ一緒に行かないか」
ユウはスプーンを置いた。
世話になってばかりで恩を返さないといけないとは考えていた。
良きせぬ提案に思わず、驚きの声を出してしまった。
「俺が?」
「はい」
アルトは即座に真っ直ぐに伝える。
「ここでなにをするべきか、まだ判断できていないだろう」
図星だった。
正直、このまま世話になり続けるのも気が引ける。
だけれども自分が貢献できることは少ない。
いや、むしろないと言って良いはず。
「……まあな」
アルトはそのまま言葉を続けていく。
「まずは“立場”を持つべきだ」
「立場?」
「ああ」
ユウの疑問に対してアルトは小さく頷く。
「貴族の学生は、従者を付けることが許されている」
ユウの視線がわずかに鋭くなる。
彼の発言から予測される次の言葉は⋯
「……つまり?」
「僕の従者として、同行してほしい」
はっきりと言い切った。一瞬の沈黙。
会話の流れから想定することができた提案。
セシリアが静かに二人を見ている傍らでユウは考えこむ。
(……悪くない)
身分も、役割もない状態では動きづらい。
それは昨日の時点で理解していた。
「アルトは今まで従者いなかったのか?」
「ああ」
あっさりと答える。
「必要性を感じなかったからね」
ユウは小さく息を吐く。
「……変わったな」
「そうかもね」
アルトは淡く笑う。
「だけど、昨日の戦闘で確信した」
視線がまっすぐ向けられる。
その目はにごりのない水のようで、見つめると邪心が洗い流されそうだ。
「きみの判断力は、非常に有用だ」
ユウは目を細める。
まるで自分のことのように評価してくれている。
社会経験はないが他社から最も言われたい言葉かもしれない。
「評価が高いな」
「事実だよ」
即答。さらに続けて評価点を並べていく。
「状況把握、判断速度、行動指示――いずれも優れていた」
淡々と分析する。
「僕の補佐として、協力してほしい」
そこに迷いはない。
おそらく本心なのだろう。
ユウは少しだけ考えたあとに――
「……いいだろ」
短く答えた。
そんな2人のやり取りを視てセシリアが少しだけ表情を和らげる。
「ありがとう」
アルトは丁寧に頭を下げる。
「こちらとしても助かる」
ユウは言う。
こちらも本心。
「どう動けばいいか分からんからな」
契約成立。
それは、自然な流れだった。
2人の会話を聞いていたセシリアが嬉しそうに伝える。
「ユウさん」
「ん?」
短い返答の後にセシリアは続ける。
「アルトお兄様をよろしくお願いします」
「承知した」
そう頼られると、不思議と悪い気分にはならなかった。
――3人は朝食を終えた。
朝食後、2人は屋敷を出た。
出かける時に玄関の前でグレイやエリナといった用人達が頭を下げていた。
その風景を見て改めてアルトは貴族の息子なんだと認識した。
そして、しっかりと教育しているレイヴァルト家にも感心する。
外の空気は澄んでおり、街はすでに動き始めていた。
それは商人、それは職人、それは兵士。
みんなそれぞれが、自分の役割を持って動いている。
(それぞれの"役割"か⋯)
そんなことを思いながら歩くとあっという間に士官学校に到着した。
昨日より早く到着したと感じるのは一度見たことがあるからだろう。
士官学校の門をくぐる。
一日前と同じ場所なのに、空気が違うように感じる。
朝のせいか、人の動きがはっきりと見える。
中庭ではすでに訓練をしているようだった。
木剣を振る風切り音。
隊列を維持しながら進んでいく足音。
それに指示する短く区切られた号令。
昨日は“戦い”として見ていた光景が、今日は“日常”としてなっている。
(……こういう場所か)
ユウはゆっくりと周囲を見渡す。
よく見ると年齢が統一されていないことに気づいた。
明らかに幼い者もいれば、体格のいい者もいる。
だが共通しているのは、全員が戦う動きができている。
彼らも戦士なのだと実感する。
だが、小柄な少年が目に入る。
剣を振っているが、動きがぎこちない。
教官らしき男に叱られ、何度もやり直している。
(……あれでも、ここにいるのか)
自然と視線がアルトに向いた。
アルトは気づいたのか、少しだけ言葉を添えた。
「彼はまだ若いんだよ」
それだけ。
それ以上の説明はしない。
だが、それで十分だった。
ユウは再び中庭を見る。
幼さと未熟さ。
それでもここに立っているという事実。
(……ふるいにかけられてるな)
誰でも来られる場所じゃないのかもしれない。
そういう空気だった。
そのまま歩いていると、今度は別の光景が目に入る。
――火が走った。
一直線に放たれたそれが、木製の標的に命中する。
乾いた音と、わずかな焦げ臭さ。
精度や威力の違いはあるが昨日、山賊から放たれたモノと同じ。
ユウは足を止めかける。
「……普通にやってるんだな」
小さく呟く。
アルトがわずかに振り返る。
「日常だからね」
それだけだった。
特別でもなんでもない。
この世界では“それが当たり前”。
そういう言い方。
ユウは鼻で小さく息を抜く。
(……まあ、そうか)
昨日見たものが、例外ではないという話だ。
歩きながら、今度は別の違和感が浮かぶ。
「年齢が揃ってないんだな」
ぽつりと漏れる。
アルトは少しだけ間を置いてから答えた。
「生まれによって、入学方法が違うんだ」
簡潔だった。
それ以上は続かない。
だが、ユウの中で繋がる。
(……貴族と、それ以外ということか)
深く聞く必要はなかった。
そういう仕組みなのだと、空気で分かる。
しばらく歩く。
訓練の声が遠ざかり、別の棟が見えてくる。
窓の奥には、机に向かう生徒たちの姿も見えた。
(……一応、座学もあるのか)
昨日は見えなかった部分だ。
戦うだけの場所ではない。
だが、それも“戦うため”の延長にあるように見える。
そのときだった。
「――アルト!」
背後からの声が飛ぶ。
振り返ると、一人の少年がこちらへ歩み寄ってきていた。
茶色の髪で、顔の作りはどこか可愛らしい感じ。
背丈はユウやアルトより少し低い。
足取りは軽いが、無駄のない動き。
周囲を一瞬だけ見渡してアルトへ視線を戻す。
「無事だったか」
その言葉は短いが、軽くはなかった。
アルトが小さく頷く。
「なんとか」
それだけで十分だったのか、男はそれ以上は踏み込まない。
だが次の瞬間、視線がユウへと移る。
値踏みするような目。
「……そっちは?」
アルトが簡潔に答える。
「僕の従者だ」
初めて会う人物。
それなりの対応が必要かもしれないと感じる。
アルトは続ける。
「ユウと言うんだ」
ほんの一拍。
男は口元をわずかに歪めた。
ユウの顔を物珍しそうに見る。
「へえ⋯」
一歩だけ近づく。
距離の詰め方に迷いがない。
「従者⋯、ね⋯」
言葉の端に、軽い引っかかりがある。
ユウは何も言わない。ただ視線だけを返す。
ほんの数秒だけの沈黙を先に崩したのは男の方だった。
「……面白いな」
肩の力を抜くように笑う。
男は自らの名前を明かす。
「俺はカイン。カイン・カーライル」
カインは続けて――
「アルトの部隊に所属している」
アルトが頷いた。
「ああ」
それだけのやり取りで、関係性が見える。
ユウは短く返す。
「ユウだ。ユウ・キサラギ」
「知ってる」
即答。
「今、聞いたからな」
軽い口調。表情はしてやったりという顔。
だが目は変わらずにこちらをしっかりと観察している。
(……こいつは)
ユウは内心で判断する。
戦うタイプじゃない。
だが、“見ている側”だ。
「昨日の件、聞いたぞ」
カインがアルトに向き直る。
「森の外れでやり合ったんだってな」
「君の情報通りだよ」
アルトは否定しない。
カインは小さく息を吐く。
「最近は増えてるな⋯」
独り言のような言い方だった。
だが、ただの感想ではない。
ユウはその言葉を拾う。
「“最近”か」
カインが視線だけを寄越す。
「気になるのか?」
「まあな」
カインは少しだけ考えてから、言葉を選ぶように口を開いた。
「数も増えてるが…質も変わってきてる」
「バラバラな連中が、妙にまとまってる」
アルトが静かに頷く。
「僕も同じ印象だよ」
カインはそれを聞いて、少しだけ口角を上げた。
「だろうな」
それ以上は続けない。
情報を出しすぎない距離感。
そのまま、何かを言いかけたときだった。
「アルト!」
別の声が割り込む。
振り向くと、一人の生徒がこちらへ駆けてきていた。
息が上がっている。
「探したぞ……!」
アルトが眉をわずかに寄せる。
走っていたのが息が度切れながら。
「どうした?」
「学長がッ⋯!」
短く言い切る。
「今すぐ⋯来いって⋯」
空気が変わった。
カインが小さく口笛を鳴らした。
両手を頭のうえに組みながら、
何かを察したかのように言葉に出す。
「……早いな」
アルトは一瞬だけ考える素振りを見せた。
だがすぐに頷いた。
「分かった」
アルトは視線をユウへ向ける。
何かを伝える視線。目を合わせながら。
「君も一緒に来てほしい」
ユウは軽く肩をすくめる。
「従者だからな」
カインがそれを聞いて、わずかに笑う。
「気に入ったッ!」
ユウはその言葉を無視した。
だけど、カインはそんなのお構いなしと肩に手をかけてくる。
そんな状況で一同は校舎の奥へと歩き出す。
訓練の音が遠ざかる。
代わりに、静けさが増していく。
廊下は広く、足音が響く。
すれ違う生徒たちは、どこか空気が違う。
さきほどの中庭とは違う、張り詰めた空気。
(……場所が変わると、こうも違うのか)
自然と背筋が伸びる。
やがて、一つの扉の前で止まる。
重厚な造り。鉄と木でできている。
装飾は少ないが、無駄がない。
アルトはその重そうな扉の前に立つ。
右手の裏で二度扉を叩く。
「アルト・レイヴァルト、参りました」
一拍したあとに内側から、低い声が返る。
「入れ」
短い許可を得た後に扉に手をかける。
その瞬間。ユウはわずかに息を止めた。
(……ここから、か)
何が起こるかは分からない。
ここは自分の知っている学校ではない。
“ただの学校”ではないことだけは分かる。
扉をゆっくりと開く。
中は簡素だった。
広い空間に、最低限の机と椅子。
机には複数枚の紙切れが置いてある。
そして、壁際には本が積まれている棚と中央に打ち合わせスフための木製の長机と革の椅子。
そして――部屋の奥に座っている男。
背筋は伸びており、一つ一つの動きが硬い。
そこにいるだけで、その場の空気が引き締まる。
「来たか」
低い声でそう告げる。
彼がこの学園の学校長――ローエン・クラウゼン。
アルトが一歩前に出だ。
「お呼びと伺い、参りました」
ローエンは頷かない。
ただ、視線だけを向ける。
数秒。
その沈黙の中で、ユウは理解する。
(……この人が、決める側か)
「昨日の件だ」
唐突に本題へ入る。
アルトが応じる。
「はい」
「あの後、詳細報告を受けた」
そこで、ローエンの視線がユウへと移る。
一瞬だが、確かに“測られている”。
「……そいつか」
「はい。現地で保護しました。有益と判断して私の従者としました」
ローエンはしばらくユウを見たあと、
「名は」
とだけ問う。
「ユウ・キサラギだ」
短く答える。
それ以上は求められなかった。
視線が戻る。
「今回の行動だが」
わずかに間。
「悪くない」
まずまずといった評価だろう。
だが――
「ただし、運が絡んでいたな」
続く言葉で、持ち上げない。
アルトは即座に答える。
「承知しています」
その返答に、ローエンはわずかに頷いた。
「ならばいい」
そして、空気が変わる。
ほんのわずかに、重く。
「――さて、本題に入る」
カインの表情が引き締まる。
アルトも姿勢を正す。
「“自由の盾”の拠点が確認された」
室内の空気が、一段階沈む。
ユウは黙って聞く。
「規模は小さい」
「が、放置はできん」
ローエンの声は淡々としている。
感情はない。ただ事実。
「本件は、レオニード卿の判断により――」
一拍。
「士官学生への出動命令が下りた」
カインが小さく息を吐く。
「……マジかよ」
ぼそりと漏れる。
アルトは何も言わない。
ただ、受け止めている。
「選抜はすでに行っている」
ローエンは続ける。
「アルト・レイヴァルト」
名前を呼ばれる。
「はい」
「お前の隊も対象だ」
即答だった。
「承知しました」
迷いはない。
ローエンはさらに言葉を重ねる。
「総員、三十名を引き連れて」
「三日後の夜明け前に出発」
頭の中で自然と組み上がる。
規模。タイミング。距離。
ユウも無意識に考えていた。
「場所はルーヴェル東方」
アルトの視線がわずかに動く。
「途中、村を一つ経由する」
「そこで、補給と情報収集を兼ねること」
合理的な判断。
ローエンは椅子にもたれたまま言う。
「敵の戦力は不明」
「だが、小規模拠点である以上――」
そこで初めて、わずかに声が低くなる。
「確実に潰すんだッ」
静かな断言。
アルトの背筋がさらに伸びる。
その場にいた3人は一斉に返事をする。
「はッ」
短く、強く返した。
その言葉を受けた後、ローエンは一度だけ全員を見渡した。
「任務の詳細は後ほど通達する」
「各自、準備を整えろ」
それで終わりだった。
そして、最後に再びユウへと視線が向く。
「従者」
呼び方だけ。
ユウは視線を返す。
「足を引くな」
短い。だが十分だ。
ユウは軽く息を吐く。
「努力する」
それだけ返す。
ローエンの口元が、わずかに動いた気がした。
「――以上」
終わり。
アルトが一礼する。
ユウとカインもそれに続く。
扉を出る。
閉まる音が、やけに重く響いた。
廊下に出た瞬間、張り詰めていた空気が緩む。
カインが肩を回す。
「……来たな」
小さく呟く。
アルトは静かに頷く。
「ああ」
その声に、迷いはない。
ユウは何も言わず、前を見た。
(……三日後か)
期間としては短い。
だけど準備するには十分な時間。
静かに、物語は動き出していた。




