前夜
アルト達の出陣を翌日に控えた夜。
レイヴァルト家の食卓には、珍しく全員の姿が揃っていた。
長い卓の中央で灯された蝋燭の火が、穏やかに揺れる。
その光に照らされる五人の影は、どこか静かに張り詰めていた。
ユウ、アルト、セシリア。
そして、普段は軍務や政務で席を空けることの多い長兄レオニードと、次兄セリオス。
彼らも揃うのは三日ぶりで、それだけで、この日の持つ意味は十分に伝わっていた。
食事は、明日の門出を祝うかのように、普段よりも豪華なものが並んだ。
滴る肉汁にハーブの香気を纏わせた、赤身の牛肉。根菜の旨みを凝縮した濃厚なソースが、彩りを添える。
さらに、柑橘の香りが漂う白身魚が、場に華を添えていた。
銀のナイフとフォークが皿に触れ合う、微かな音。食卓の沈黙を破ったのは、セリオスの声だった。
「アルト。明日、いよいよ出るんだろう?」
穏やかな声ながら、そこには意図的に場を動かそうとする響きがあった。
アルトは食事中の手を止め、まっすぐに兄を見つめる。
「ええ。明朝に出発します」
簡潔な返答であったが、そのやり取りを横目に、レオニードは黙々と食事を続けていた。
しかし、その意識が明らかに弟たちの会話へ向けられていることは、誰の目にも明らかだった。
「山賊拠点の制圧と聞いていたが、部隊の編成はどうなっているんだい?」
「士官学校の選抜部隊で、合計三十名で出陣となります。相手の規模は不明ですが、戦力自体は小規模と聞いています」
セリオスは何かを計算するように、軽くグラスを傾けた。やがて、試すような鋭い視線をアルトに投げかける。
「本格的な実戦にしては、少し内容が重いね」
「ですが、実戦経験としては問題ない範囲だと判断しています」
アルトは臆することなく、静かに首を横に振った。
「……そう言えるようになったか」
感心と、どこか期待の混じったセリオスの呟き。
しかしその直後、食卓の最奥から重厚な声が差し込まれた。
「――全ては戦いが終わった後に決めることだ」
レオニードはナイフを置き、一切の猶予なくアルトを射抜くような眼差しを向ける。
「戦場に出る前に評価をすべきではない。お前がやるべきことは一つ――生きて帰ること……、それだけだ」
それは激励でも命令でもなく、ただ冷徹な現実と剥き出しの兄弟への願望だった。
その言葉を聞いたセシリアはわずかに息を呑んでいた。
レオニードはさらに言葉を重ねた。
「お前が目指すのは敵を倒すことでも、手柄を立てることでもない。まずは、自分と部隊が帰還することだ。それができて……初めて、明日がある」
「……承知しております」
短く、だが迷いのない返答であった。
レオニードはわずかに頷くと、再び沈黙をした。
厳しく、甘えの一切ないやり取りではあるが、それがこの家の愛情だということが分かる。
「まあ、レオニード兄上の言う通りだね。生きて帰るっていう結果が一番大切さ」
セリオスが場を和らげるように肩をすくめた。
グラスを指先で回しながら、独り言のように続ける。
「それにしても……外も中も、騒がしくなってきたね」
その前振りにアルトは質問をする。
「中……、王都のことですか?」
「ああ……。ここにきて、王子派と王女派の対立が表面化してきている。だけど、その実態は周囲の貴族たちに担ぎ上げられた権力争いに過ぎない」
話を振った本人は、どこか他人事のような冷めた目をしている。
「くだらん…、我が家は……」
セリオスの言葉を遮るように食堂の奥から言葉が聞こえてくる。
「王子派だ」
レオニードが即座に、迷いのない声で答えをだした。
「我々は分家だ、であれば本家と足並みを揃えるのが必然だ。それよりも、我々のなすべきことは国王陛下へ忠誠を誓い⋯、このルーヴェル周辺を死守することだ」
その言葉に、セシリアが不安そうに眉を寄せた。
「お二人とも……巻き込まれている、ということでしょうか?」
セシリアの問いにセリオスは答える。
「そういうことになってしまうね」
否定せずに王都の状況を冷徹に受け入れる。
そのやり取りを聞きながら、ユウは状況を整理していた。
山賊、帝国、そして内紛という面倒事が複合して、巨大な渦となりこの地域を飲み込もうとしている。
(……この王国は荒れているな)
だが、その先の言葉を誰も口にはしない。
不自然なほど静かな食卓で、アルトはただやるべきことを見据えて食事を続けていた。
***
食事を終え、自室へ戻ったユウは、椅子に深く腰を下ろして息を吐いた。
(……明日、か)
衣服、装備、最低限の地理知識などの準備は整っている。
けれども、この場を発つという実感が湧いてこない。
一度だけ戦闘は経験したが、今回は「命令された戦い」となり、組織の一員として、目的を果たすための歯車になる。
(……完全に、厄介事に巻き込まれてしまったな)
自嘲気味にそう思ったとき、控えめなノックの音が二度響いた。
扉が開くと、現れたのはエリナとセシリアだった。
「お邪魔してよろしかったでしょうか?」
「ああ、問題ない」
ユウが扉の方にそうやって答えると、二人が静かに部屋へ入ってきた。
珍しく、セシリアを前にして、その後ろにエリナが控えていた。
背後の侍女と目線を合わせようとしたが中々合わない。
セシリアはそんな彼女の姿を見て、楽しげに口を開いた。
「実は……エリナが、ユウ様に渡したいものがあるそうです」
そう聞くとユウは座っていた椅子から立ち上がり、エリナの元へと歩みを進めていく。
彼女の眼の前についたあとに、視線を向けたが先ほどと同じように目を逸らされた。
普段は迷いのない彼女だが、何かに躊躇っているような素振りを見せている。
やがて、決心したようでエリナは一息ついたあとに、手に持っていたモノを眼前の男性へと両手で手渡した。
「……こちらを」
差し出されたのは、掌に収まるほどの小さな布だった。
淡い色合いの布に、丁寧な手作業の温かさが伝わる花の刺繍。
差し出された贈り物を青年は丁寧に両手で受け取る。そして、刺繍が施された布へと視線を移す。
「……これは?」
「昨日市場で買ったもので作りました」
花の刺繍は、波打っている花びらが重なっていた。
現代の日本でもよく見られる草姿。
「青いカーネーション――」
「ご存知だったのですね。この花には『幸福』という意味がございます」
エリナは口元を両手で押さえ、わずかに視線を下げて答えた。
二人のやり取りを見ていたセシリアも満足げに頷いている。
「ユウ様の無事をお祈りしております」
その言葉にはどういった意味が含まれるのだろう。
そう考えていると、二人の様子を微笑ましく見ていた少女も自身の祈りを告げてきた。
「お兄様やユウ様だけでなく、皆様が無事にルーヴェルへ帰ってきてくださることを信じております」
セシリアの眩しいほどの理想的な言葉だったが、今はその言葉が心地よかった。
ユウは刺繍を軽く握りしめ、その言葉と行動の意味を噛みしめるように確かめる。
(……待っている奴がいる)
その事実は、思っていたよりもずっと重かった。
だけど同時に、悪くないものだとも感じられた。
「……ちゃんと、帰ってくる」
誰にともなく言ったその言葉は、二人に確かに伝わっていた。
彼女たちが去り、再び一人になった部屋で、ユウはベッドに横たわる。
手元にある贈り物を握ったまま目を閉じると、不思議とざわつきは消え、深い眠りへと沈んでいった。
静かな、決戦前の夜だった。




