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12/27

前夜


出陣を翌日に控えた夜。


レイヴァルト家の食卓には、珍しく全員の姿が揃っている。

長い卓の中央に灯る蝋燭の火が、穏やかに揺れる。

その光に照らされる五人の影は、どこか静かに張り詰めていた。


ユウ、アルト、セシリア。

そして――長兄レオニードと、次兄セリオス。


普段は軍務や政務で席を外すことの多い二人が揃っている。

それだけで、この日の意味は十分に伝わっていた。

こうやって全員が揃うのは3日ぶりとなる。


食事はすでに始まっている。

お皿に並べられている料理が普段よりも豪華に思えた。

焼いた赤身の牛肉に緑のハーブが調合されている。

そこへ根菜を炒めて抽出した濃厚なソースがかかっている。

また、先ほどの白身の魚料理は柑橘系の香りが漂い、後口がさっぱりとする味わい。

眼の前のナイフとフォークが皿に触れ合う音だけが、静かに響く。

その沈黙を破ったのはセリオスだった。


「アルト」


穏やかな声だが、意図的に場を動かす響きがある。

アルトが顔を上げる。


「はい、セリオス兄上」


セリオスは軽くグラスを傾けながら続けた。


「明日、いよいよ出るんだろう?」


確認というより、あえて口に出した言葉だった。


「ええ。明朝に立ちます」


簡潔な返答。

そのやり取りを聞きながら、レオニードは食事を続けている。

ただし、その意識は明らかに二人の会話へと向いている。

セリオスはさらに言葉を続ける。


「山賊拠点の制圧と聞いている。部隊の編成は?」


「士官学校の選抜部隊で、計三十人となります」


重ねて質問する。

なにかを計算するように。


「相手の規模は?」


「不明とのことです。ただし戦力は小規模という情報です。」


「なるほど⋯」


セリオスは導き出された答えを率直に伝える。


「……本格的な実戦にしては少し内容が重いね」


軽く笑うような口調。

だが、その視線は鋭い。

アルトはわずかに首を横に振る。


「ですが⋯実戦経験としては適切かと」


その返答に、セリオスは一瞬だけ目を細めた。


「……そう言えるようになったか」


どこか感心したような、しかし試しているような響き。

そのとき、一番奥に座っている重鎮が声を発する。


「――適切なのかは、終わった後に判断することだ」


低く、重い声が差し込まれる。

レオニードだった。ナイフを置き、ゆっくりと顔を上げた。

その視線は、まっすぐアルトへ向けられる。


「戦場に出る前に、評価を下すな」


静かな言葉。

だが、一切の隙がない正論。

浮かれいたわけではないがアルトは気を引き締める。


「……はい」


アルトは素直に応じた。

レオニードは続ける。


「――お前がやるべきことは一つ」


一拍、置く。

それが本当に伝えたい言葉なのかもしれない。


「…生きて帰ることだ」


それは、激励でも、命令でもなく、兄弟への願望。

食卓の空気が、さらに一段引き締まった。

セシリアがわずかに息を飲むのが分かる。

レオニードは視線を逸らさずに言葉を重ねる。


「敵を倒すことでも、手柄を立てることでもない」


「まず、自分と部隊を帰還させろ」


「それができて⋯初めて、明日がある」


アルトは、その言葉を正面から受け止める。


「……承知しております」


短く、しかし迷いのない返答。

レオニードはわずかに頷いた。

それ以上は何も言わない。

だが、その沈黙がすべてを物語っていた。


(……厳しいな)


ユウは内心でそう思う。

だが同時に、それが“現実”だとも理解している。

甘さはない。だが、無関心でもない。

むしろその逆。


(……あれが、この家のやり方か)


ふと視線を横に向ける。

セシリアは静かに食事を続けているが、その手はわずかに止まりがち。

兄を心配しているのは見ていて明らかだ。

その空気を少しだけ緩めようと、再びセリオスが口を開く。


「まあ、レオニード兄上の言う通りだな」


軽く肩をすくめる。

 

「大切なのは結果だ」


すぐさま続ける。


「だけど、今は結果より過程だ」


そして、グラスを指先で回しながら続ける。

綺麗な瞳がグラスを見つめながら呟いた。


「それにしても……外も中も、騒がしくなってきた」


何気ない一言。

だが、それは全員へのメッセージ。

その意味は軽くない。

アルトが反応する。


「……中、というのは?」


セリオスは少しだけ視線を上げる。

眉間へとシワを寄せる。


「王都の話だ」


静かな口調。


「王子派と王女派の対立が、ここにきて表面化している」


ユウはその言葉にわずかに眉を動かす。

レオニードは表情を変えない。


(……内紛か)


セリオスは続ける。


「どちらも“正統”な後継者を掲げているが……実態は周囲の貴族たちに担ぎ上げられているだけだ」


「本人たちの意思というよりは、権力争いだな」


淡々としている分析。

話を振ったのは本人なのに遠くから話をしているようであった。

アルトは少し考えるように視線を落とした。


「我が家は……」


「王子派だ」


レオニードが即座に答えた。

その声に迷いはない。


「我々は分家である以上、本家と足並みを揃える」


それが当然だと言わんばかりの口調。

セリオスは軽く笑う。


「まあ、どちらにつくにしても厄介ですけど」


「どちらも“旗印”として使われているに過ぎない」


「我々のなすべきことは国王陛下へ忠誠を誓い、このルーヴェル周辺を守ることだ」


その言葉に、セシリアが小さく眉を寄せる。

浮かんだ疑問をセリオスに質問する。


「それでは、お二人とも⋯⋯」


「巻き込まれている、ということですか?」


セリオスは少しだけ優しく微笑む。


「そういうことになる」


「ただ、それが彼らの立場だ」


否定はしない。起きたことを受け入れる。

そして問題が挙がれば冷静に対応していく。

そういった表情を見せている。

ユウはそのやり取りを聞きながら、ゆっくりと状況を整理する。


(山賊……帝国……そして、内紛)


単一でも厄介な問題が、複合して大きな渦となる過程だと推察する。


(……めちゃくちゃだな)


だが、それを誰も口にはしない。

それが“当たり前”の世界。

食卓には再び静けさが戻った。

その静けさは先ほどまでとは違う。

見えないものが、確かに共有されている。

アルトはその空気の中で、静かに食事を続けている。

もう迷いはない。ただ、やるべきことをやるだけ。

ユウはそんなアルトを横目で見ながら、ふと小さく息を吐く。


(……本当に行くんだな)


実感が、ようやく形になり始めていた。

食事を終え、それぞれが席を立つ。

屋敷の中は再び静けさを取り戻していた。

ユウも自室へと戻り、椅子に腰を下ろす。


背もたれに体を預け、ゆっくりと息を吐いた。


(……明日、か)


三日間という猶予は、長いようで短かった。

準備は整っている。装備も、衣服も、最低限の知識も。

向かう周辺の地理も付け焼き刃だが頭の傍らには入れた。


だが――


(実感が、薄い)


戦うこと自体は、すでに経験している。

山賊と交戦したとき。あのときの感覚も判断もまだ身に染みている。


――それでも。


今回は“命令による戦い”となる。

組織として動いて、明確な目的を持って敵を討つ。


(……完全に、こっち側に来たな)


小さく自嘲する。

異世界に来た実感より、“ここで生きる”という現実の方が、ずっと重い。

しばらくの間、何もせずに座っていた。


やがて――


控えめにドアがノックされる音が響く。

小さな音で2度叩かれる。

明日の最終確認でアルトが来たのだろうか?

そう思いながら返答をする。


「……どうぞ」


短く返すと、扉がゆっくりと開く。

現れたのは、エリナとセシリアだった。

予想もしていない二人の訪問に正直、驚いてしまう。


「お邪魔してよろしかったでしょうか?」


セシリアが柔らかく微笑む。


「ああ、問題ない」


ユウが答えると、二人は部屋の中へと入ってくる。

エリナは一歩後ろに控えている。

だが、その様子はどこか落ち着かない。

セシリアがそんな彼女をちらりと見て、少し楽しそうに口を開く。


「実は――エリナが、ユウ様へお渡ししたいものがあるそうです」


その言葉に、ユウは視線をエリナへ向ける。

エリナは一瞬だけ目を逸らす。


(……珍しい)


普段の彼女なら、ここで躊躇うことはない。

だが今は違う。ほんのわずかだが呼吸を整える間があった。 

そう思っているとエリナがユウの前に立っていた。


やがて――


「……こちらを」


そう言って、差し出されたのは小さな布だった。

掌に収まるほどの大きさ。

淡い色合いの布に、丁寧な刺繍が施されている。

花の模様。青色のカーネーション。

決して豪華ではない。だが、ひと目で分かる。

手作業で縫われている。


「……これは?」


ユウが問いかける。

エリナは少しだけ視線を下げて答える。


「昨日……いただいた布で、作りました」


あのときの、布飾り。

店で見つめていたそれを、結局買った。

そして、それをこうして形にしたということだ。

ユウは刺繍に目を落とす。


(……花か)


見たことがある花。

この世界にあるのかと驚きながら質問する。


「青いカーネーション――?」


今度は自然に聞いていた。

エリナはわずかに迷った後に口元を両手で押さえながら答えた。


「……“幸福”という意味がございます」


その言葉に、嬉しそうな表情でセシリアが小さく頷く。

そして、そのまま言葉を続ける。


「ユウ様のご無事をお祈りしています」


つまり。


“無事に帰ってこい”


という意味だろう。

エリナは続ける。


「簡単なものですが……お守り代わりに」


言葉の最後が、少しだけ弱くなる。

ほんのわずかに、頬が赤くなっているのが分かる。


(……ああ)


ユウは理解する。

これは“仕事”じゃない。

彼女個人の行動。


「……ありがとう」


短く、だがはっきりと伝えた。

エリナは驚いたように一瞬だけ顔を上げる。


そして――


「……いえ」


小さく、そう返した。

それ以上は何も言わない。

だが、その一言で十分だった。

セシリアが穏やかに微笑む。


「ユウ様なら、大丈夫です」


まっすぐな言葉。

根拠はない。だが、疑いもない。


「お兄様も……きっと」


そこまで言って、少しだけ言葉を止める。

それでも、すぐに続けた。


「皆、無事に帰ってきてくださると信じています」


理想。だが、今はそれが心地よい。

ユウは刺繍を軽く握る。


(……待ってるやつがいる、か)


その事実は、思っていたよりも重い。


だが同時に――


悪くないとも思った。


「……ちゃんと返すよ」


ぽつりと、そう言った。

誰に向けたものでもない言葉。

だが、二人には伝わっていた。

セシリアは嬉しそうに微笑む、エリナは小さく頷く。

それからしばらく、他愛もない会話が続いた。

長くはない時間。

だが、確かに“静かな夜”だった。

やがて、二人は部屋を後にする。


「おやすみなさいませ」


「……ああ」


扉が閉まる。

再び、一人になる。

ユウはゆっくりと立ち上がり、ベッドへと向かった。

身体を横たえる。

天井を見上げる。


(……さっきより、マシだな)


不思議と、心が落ち着いていた。

完全ではない。

それでも。

さっきまでのざわつきは、少しだけ薄れている。

手元には、あの刺繍。

それを軽く握ったまま、目を閉じる。


(……明日、か)


思考は、そこで途切れた。


今度は――


自然に、意識が沈んでいく。


静かな夜だった。

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