出立
夜明け前の空気は、どこか張り詰めていた。
屋敷の中は静かだ。
だがその様子は、安らぎのそれではない。
嵐の前の静寂。
ユウはまだ薄暗い廊下を歩く。
窓の外は白み始めているが、太陽はまだ顔を出していない。
ここ数日で一番早い朝を迎えたように思える。
(……早いな)
自然と目が覚めてくる。
緊張かそれとも単に慣れない環境のせいか。
理由ははっきりしない。
玄関へ向かうとすでに人の気配があった。
「ユウ」
声をかけてきたのはアルトだった。
すでに出立の装いを整えている。
革製の軽装の鎧を身につけ、腰の左側には剣を帯刀している。
剣は収納しており、鞘や柄には装飾はなく実用的な造り。
彼の普段の柔らかさは影を潜めており表情は引き締まっている。
「準備はできてるかい?」
「ああ」
短いやり取り。ただ、それだけで十分。
少し遅れて、セシリアとエリナの姿も見える。
グレイも控えていた。皆の言葉は少ない。
だが、それぞれの視線がすべてを語っている。
セシリアは何か言おうとした
――が、やめた。
代わりに、静かに頷く。
エリナはいつも通りの落ち着いている表情。
だが、その目だけがほんのわずかに揺れていた。
「……行ってきます」
アルトの一言。
それに対して、
「いってらっしゃいませ」
グレイが静かに返す。
そして三人が頭を下げる。
いつもと変わらないような風景。
ただ、それが出立の合図だった。
――出発。
まだ人通りの少ない街を二人は歩いていく。
石畳に響く足音がやけに大きく感じる。
身に感じる風は冷たいが、歩くと体は温まってくる。
身体の温度変化も感じられるくらいに感覚が冴えている。
「眠れたかい?」
アルトがふと尋ねる。
「それなりにな」
「そうかい」
それ以上は深く聞かない。
お互いに余計な言葉は不要と分かっている。
やがて士官学校の門が見えてきた。
朝日が差し込み始めて、建物の輪郭がはっきりと浮かぶ。
その前には――
すでに、人の影が現れた。
選び抜かれた、三十人。
騎士の見習いではあるが、その中でも精鋭集団。
装備を整えて、皆が無言で直立している。
にこやかに談笑している者はおらず、一言の笑い声もない。
ただ、待っている。
(……空気が違うな)
彼らはアルトが到着したことを確認すると三列に整列。
――よく訓練されている
ユウは自然とそう感じた。
その場には訓練とは違った空気が漂う。
匂いや香りではなく、その場が張り詰める感覚。
これが“実戦前”の気迫なのだろうか。
アルトが軍団の前に出る。
「揃っているな」
短い確認。
その言葉に、一人の男が前へ出た。
カインだ。
「全員、問題なしッ!」
簡潔な報告。
その問いに多くの言葉は不要だ。
返答を聞いてアルトは頷く。
それだけで十分だった。
やがて、別の足音が近づいてきた。
重く、一定のリズムでこちらへとやってくる。
視線が一斉にそちらへ向く。
現れたのは
――ローエン。
士官学校の指揮官であり、この場の最高責任者。
「……時間だ」
低く、よく通る声。
その発言には一切の無駄がない。
「本作戦は、東方に位置する山賊拠点の制圧」
「対象は小規模と判断されているが、油断はするな」
ローエンの目が皆の視線をなぞっていく。
その場にいる全員を確認している。
「貴様らは騎士ではない。だが――」
わずかに間を置く。
「騎士として扱う」
その言葉の意味は重い。
「誇りを持てッ!!だが、死ぬなッ!!」
短い言葉。
だが、これから出ていく彼らにはその一言で十分だった。
「――出るぞ」
その一言で、全員が動き出す。
隊列を形成していく。
自然な流れで、部隊が形になる。
アルトはユウへ視線を向ける。
「行こう」
「ああ」
二人も隊列へと加わる。
そして出陣していく。
街を抜けて、東へと進む部隊
最初は舗装された街道が続いていた。
やがて石は減っていき、土の道へと変わった。
周囲には畑や林が広がり、徐々に人の気配が薄れていく。
規則的な足音と装備が擦れる音がする。
誰も無駄口は叩かないが、完全な沈黙でもない。
カインがアルトの隣へと並ぶ。
「情報を整理しておくか」
「ああ」
2人とも歩きながらの会話。自然な流れだった。
「拠点は東方、森の奥に位置しているようだ」
「山賊は小規模。構成員は十数名から多くとも二十名と推定」
カインが淡々と口にする。
情報を仕入れていたのだろう。
「ただし――」
一瞬だけカインの視線が鋭くなった。
「魔道士の存在が確認されている」
ユウが小さく息を吐く。
「またか」
「珍しい話ではないが厄介だね」
アルトが続ける。
「大軍ではないし、集団で行動しないはずだ」
「だが、油断はしない」
ユウは軽く頷く。
(……数は少ないが、質が読めない)
それが一番厄介だった。
「拠点の位置は特定済みか?」
「おおよそは」
カインは軽く答える。
その言葉だけだが、この男が優秀だということが分かる。
さすがは一般から入学した成績優秀者というところ。
「だが、確定じゃない」
「だから――」
アルトが言葉を引き継ぐ。
「現地の情報を得るために先に村へと寄ろう」
ユウは視線を前へ向ける。
「村か」
「ああ」
アルトは続ける。
「“ベルノア村”」
その名が告げられる。
「街道から少し外れた小さな村だ」
「最近、山賊からの被害報告が挙がっている」
つまり――
最前線に近い場所。
(……空気が変わるな)
ユウはそう感じていた。
まだ戦闘は始まっていないが、確実に近づいている。
見えない緊張感が、じわじわと広がる。
隊列はそのまま進み続ける。
太陽はすでに昇り、影は短くなり始めていた。
その先にあるのは――
情報かそれとも、戦闘か。
まだ、誰にも分からない。
アルトたちの部隊は村へと到着した。
村を見たときに最初に感じたのは⋯
――静けさだった。
「……人の気配がない」
ユウが小さく呟く。
街道から少し外れたところに位置するベルノア村。
村の規模は決して小さくない。
数十軒ほどの家屋が並んでおり、畑もある。
生活の痕跡は確かに存在しているが、あるべきものがない。
子どもの笑い声、家畜の鳴き声、人々が歩く音。
生活の“音”が、不自然なほど消えている。
アルトは手を軽く上げ、隊の進行を止める。
「……警戒を」
短い指示。それだけで空気が引き締まる。
各隊員が散開していき周囲の確認へと移る。
カインはすでに前へ出ていた。
視線は低く、地面や建物の影をなぞるように動いている。
「……新しい足跡がある」
数秒後、彼が静かに報告する。
「複数。だが統一性がない……住民のものも混じってる」
アルトは頷く。
「争った形跡は?」
「今のところはない。ただ――」
カインが少しだけ間を置く。
「“消えた”感じがする」
ユウはその言葉に反応する。
(……逃げたか、連れ去られたか)
どちらにしても、正常な状態ではない。
アルトは隊に向き直る。
「二手に分かれて村を確認する」
「第一班は東側、第二班は西側!建物内部も確認すること」
「だだし、深入りはするな」
「異常があればすぐ報告しろ」
無駄のない指示。
隊員たちは即座に動き出す。
ユウはアルトの隣に残った。
「……どう見る?」
ユウの問いに、アルトは視線を村の奥へ向けたまま答える。
「拠点が近い可能性が高い」
「……住民は?」
「分からない」
短い返答。
だが、その声にはわずかな硬さがあった。
ここからは一つの判断も誤ってはいけないことが分かる。
「無事であるといいが」
アルトのその言葉は、希望に近い。
ユウは一歩、前へ出る。
「俺も見てくる」
「……一人で動くなよ」
カインに即座に返される。
「分かってる。誰か着けてくれ」
アルトは少し考えて、視線を動かす。
その視線はカインへと向けられる。
「カイン」
「了解」
すぐにユウの横へと並ぶ。
「案内する。こっちだ」
二人は村の奥へ進んでいく。
村の中で一番大きく目立つ家。
家屋の扉は閉じられているが、鍵はかかっていない。
中を覗くと、生活の途中で放棄されたような痕跡がある。
二人は家の中へ入る。
カインは警戒しながら居間であろう場所へ入っていく。
床は木製となっており、一歩踏み出す度に若干ではあるが軋む音がする。
なかなか年季が入っている家なのだろう。
机の上には食べかけのパンと穀物がのっている食器。
部屋の奥には扉があり、ベッドが見える。
おそらく寝室なのだろう。寝床の上には衣服が置かれている。
しかし部屋の中のタンスや収納場所は綺麗に収まっている。
――なのに、人がいない。
「……急に逃げたのか?」
ユウはカインへと静かに告げる。
机上の食器にはパンの食べかけだろうものが残っている。
襲撃もしくは誘拐をされたのだろうか?
「おかしい⋯」
カインも同様に違和感を感じる。
一見すると襲われたか攫われたようだ。
ただ、綺麗すぎる。
盗人であれば家を荒らしているはず。
それに準じて争った痕跡もでてくる――
「整理されすぎてる」
今度はカインが小さな声でユウへと伝える。
逃げるなら、もっと乱れる。
だがここは違う。
“片付いている”。
まるで――
「……誰かに“指示された”みたいだな」
ユウの言葉に、カインが視線を向ける。
カインはユウへと軽口をいう。
「住民が自発的に避難したのかもな」
「でも、その情報はどこから来る?」
ユウは淡々と続ける。
「この規模の村が、事前に察知して動くには情報源が必要だ」
「それがないなら――」
言葉を切る。カインが引き取る。
自然と2人とも同じ言葉を発していた。
『“内側にいた”か』
二人の視線が交差する。
そのときだった。
遠くから、何かが弾けるような音。
集合の合図が村中に響く。部隊特有の信号。
「……集合だ」
カインが言う。
二人はすぐに引き返した。
――村の中央。
隊員たちが集まり始めている。
アルトの前には、数名の隊員が報告に立っていた。
「南側の家屋、地下に痕跡あり」
「食料の貯蔵庫と思われるが……一部が抜き取られていた」
「北側も同様でした。人の出入りがあった形跡があります」
アルトはそれらを静かに聞いていく。
並べられた報告情報を整理している。
ユウとカインも合流する。
「何か分かったかい?」
アルトの問いに、ユウが答える。
「住民は“急に逃げた”んじゃない」
「準備して、移動してる」
「しかも、ある程度統制が取れてる」
アルトの目がわずかに細まる。
「……つまり」
「誰かが誘導した可能性がある」
ユウの言葉に、場の空気が一段階重くなる。
カインが付け加える。
「拠点が近いなら、連中が関与している可能性は高い」
アルトは一度目を閉じ、思考をまとめる。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「この村は……“前線”だ」
誰も言葉を挟まない。
「住民を排除し、拠点周辺の障害をなくした」
「もしくは――協力させている」
最悪の想定も含める。
ユウは小さく息を吐く。
(……ただの山賊じゃないな)
アルトが顔を上げる。
「このまま進軍する」
その一言に、全員の意識が揃う。
「だが、想定を修正する」
「敵は統率されている可能性が高い」
「正面衝突だけでなく、伏兵、誘導、分断――あらゆる手を想定する」
一瞬の間。そして。
「――ここは、戦場だ」
静かに、だが確実に空気が変わる。
ユウはその変化をはっきりと感じていた。
(……来るな)
戦いが。
ただの討伐ではない、“何か”が。
アルトは剣に手をかける。
その瞬間――。
突如として部隊の背後から熱気を感じる。
家屋の一つが赤く燃えあがっている。
村の中から激しい熱気が生まれる。
――身体が熱い
「火事ッ!?」
誰かが叫ぶ。
確かに自然と起こることもある。
熱源と可燃物と空気が混ざり合うことで偶に起こり得る現象。
「あっちからもだ⋯!」
別の家も赤く燃える
いま眼前の光景、これは自然現象ではない。
誰かが意図的に起こしている。
「おかしい⋯⋯」
ユウは呟く。
周囲を見て、緊張感が極限まで上り詰める。
火が起きているのは自分達の背後。
退路を塞ぐように炎が燃えさかる。
そこでようやく自分達の状況に気づく。
間違いない、これは――。
「――て、敵襲!!」
――その瞬間
自分達が網にかかった"獲物"だということを認識した。




