寡兵
アーベント領と王都を繋ぐ関所。その防衛を父から任されているヘルベルトから、討伐作戦の許可を得た四人は、ただちに陣所内の一角に設けられた軍議用の天幕へ移動した。
分厚い布で覆われた天幕の中は、外からの風が遮断されている代わりに、古い紙と埃、そして油性の灯りの匂いが充満していた。
天幕中央に置かれた机には、周辺一帯の地形が詳細に記された地図が広げられている。それを囲むのは、リシェル、アルト、ユウ、イリーナの四人と、彼らの補佐を命じられた若き騎士ニステル、そして現地の地形に精通した数名のベテランの斥候たちであった。
「まずは、敵の規模と拠点について報告します」
ニステルが地図の一点を指差し、よく通る声で口火を切った。
「斥候の報告によれば、敵の総数はおよそ三百。本拠地は、この関所から東へ半日ほど馬を走らせた先にある『旧ガルデン砦』と推測されます」
「旧ガルデン砦……」
アルトは発言を繰り返すように呟き、その場にいた皆が地図上の一点を見つめる。
「かつて、外敵の侵入を防ぐために谷間に築かれ、数十年前に放棄された廃砦です」
ニステルは重々しく頷き、アルトの視線に応えるように説明を継いだ。
「あそこなら、数百の人間が雨風を凌いで身を隠すのにも十分な広さがあります。ですが……問題なのは、奴らが単なる野盗ではないということです。見張りの配置、物資の運搬経路、さらには武器の手入れに至るまで、恐ろしく組織的に動いています。まるで、統率された軍隊のようです」
「盗賊の分際で組織的、か⋯⋯」
イリーナが腕を組み、怪訝そうに目を細めた。
「ただの寄せ集めが、軍隊みたいな真似をできるわけがない。どこかの貴族が裏で糸を引いているか、あるいは……」
「『自由の盾』の残党である可能性が高いですね」
アルトが静かに推測を口にすると、傍らで地図を見つめていたリシェルが真剣な表情で頷いた。
「私も王都で、その名に関する報告書を幾度か目にしたことがあります。元々はルーヴェル領で発生していた小さな組織でしたが、過酷な税や貴族の横暴といった不満を吸収して、今では国内全土にその活動が広まっていると……」
「ええ。奴らの狙いは、単なる金品の略奪ではありません。王国に根付いている貴族制の転覆です」
アルトが淡々とした声でリシェルの言葉を引き継いだ。
「明確な思想や目的があるからこそ、軍隊のように統率されているのでしょう。先ほど外で見た、王家や貴族に怒りを向けていた難民たち。彼らのような者たちを糧にして、勢力を拡大しています」
その言葉に、天幕の中に重い沈黙が落ちた。リシェルは自らの無力さを噛み締めるように伏し目がちになったが、すぐに顔を上げ、強い意志を瞳に宿した。
「民の思いを汲んでいるとしても、彼らが王国の村や物資を襲って、罪のない人々を傷つけている以上、見過ごすわけにはいきません」
「⋯⋯自由の盾についての談義はそこまでとしましょう」
イリーナは軽く指先で机を叩き、現実的な問いを投げかけた。
「野盗が何を企んでいようが、どんな思惑があろうが関係ない。問題なのは、三百という敵軍をどうやって打ち崩すかだ」
その場にいるアーベントの偵察兵たちも、沈痛な面持ちで顔を見合わせた。三百の統率された集団。まともに正面からぶつかれば、間違いなくこちらの被害も甚大なものになる。
しかし、アルトの顔には一切の焦りがなかった。彼は迷うことなく、隣に立つ黒髪の少年に視線を向ける。
「作戦の立案はユウに任せます。うちの頭脳は誰よりも頼りになる」
アルトの絶対的な信頼の言葉を受け、ユウは僅かに目を伏せた後、鋭い視線を地図へと落とした。彼の頭の中ではすでに、地形という盤面の上で無数の駒が動かされ、最適解の計算が始まっている。
ユウは地図上にある旧ガルデン砦周辺の等高線を指でなぞりながら、偵察兵に向けて静かに問いかけた。
「そうだな……。ガルデン砦の周辺に、大軍が通るには細すぎる道や封鎖できそうな場所はないか?」
「細い道、ですか……?」
斥候は少し考え込み、やがて地図の一箇所、砦から少し離れた谷の入り口付近を指差した。
「砦へ続く道の一つに、両側を険しい崖に挟まれた谷間の道があります。昔の軍道ですが、そこなら馬車が一台、人間も横に数人が並んでようやく通れる程度の幅しかありません。そこを抜けない限り、砦に大軍を入れることは不可能です」
「そこを使おう」
ユウは顔を上げ、一切の感情を交えない冷徹な声で作戦の全貌を語り始めた。
「敵は三百。正面からぶつかれば数の暴力で押し潰される。ならば、その数を分断して、頭だけを刈り取ればいい。……まず、少数の部隊で派手な陽動をして、敵の前衛と主力部隊を砦から誘い出す。そして奴らがその谷道に入り込んだ瞬間、上部から岩や倒木を落として退路を断つ」
ユウの言葉に、アルトがふっと微笑を浮かべた。
「君の得意の分断作戦だね」
「ああ。道を塞いでしまえば、細道に誘い込まれた主力部隊は砦に戻れなくなる。これで、敵軍は物理的に分断される」
ユウは地図の上で、細道と砦の間に境界線を引くように指を滑らせた。
「主力が出払って少数となり、完全に孤立した砦の本陣をこちらの精鋭で一気に突き崩す。これが今回の作戦だ」
圧倒的な兵力差を、地形の利用によって局地的な優勢へとひっくり返す。あまりにも合理的で冷酷な戦術に、偵察兵たちの目が驚愕に見開かれた。
ユウは周囲の反応など気にする素振りも見せず、淡々と役割を割り当てていく。
「敵の主力を誘い出す陽動部隊の指揮は、地形を把握しているニステルへ頼みたい」
「陽動ですか……。具体的にはどのように?」
「関所から荷馬車を数台借りよう。幌を被せて東にある王都からの『支援物資』に偽装する。それを砦近くの街道で走らせ、馬の尾に木の枝を括り付けて土煙を上げろ。遠目には物資を護衛する大部隊に見えるようにな」
ユウは淡々と策を授ける。
「盗賊団にとって、物資は喉から手が出るほど欲しいはずだ。主力が繰り出してくるはずだ。敵が食いついたら荷馬車を捨てて、谷間の入り口まで死に物狂いで逃げ回る必要がある。危険だが頼めるか?」
「お任せください!」
ニステルが力強く胸を叩いた。
「アーベントの騎士の誇りにかけて、必ずや奴らを谷道へと引きずり込んでみせます!」
「封鎖の指揮は俺が執る。そして……イリーナとアルトは手薄になった本陣へ突入して、敵の大将首を獲ってきてほしい。⋯⋯簡単ではないが出来るか?」
「誰に口を利いているのだ。近衛騎士が個人戦だけでなく、部隊指揮にも秀でていることを見せてやろう」
イリーナが好戦的な笑みを浮かべ、アルトも静かに確かな闘志を瞳に宿して頷いた。
「分かった。必ず大将首を討ち取ることを約束しよう」
作戦の骨子が固まり、天幕の中に静かな熱気が帯び始めたその時、ニステルが思い出したように問いかけた。
「ところでユウ殿。この作戦には、何人の兵士を動員しましょうか? ヘルベルト様からは、関所の防衛に支障が出ない範囲で、兵を借り受ける許可を得ていますが」
三百の敵を分断し、殲滅する作戦。陽動、封鎖、そして本陣強襲と部隊を三つに分けるのであれば、最低でも二百の兵は欲しいところだ。ニステルがそう考えていると、ユウは事も無げに答えた。
「そうだな。百人いれば十分だ」
「ひゃ、百人!?」
ニステルは想定外の回答に思わず素頓狂な声を上げた。
「数が少なすぎませんか!? いくら分断するとはいえ、相手は三百以上の集団ですよ! 百名を三つに分ければ、一部隊あたりは三十人ほどに……!」
慌てふためくニステルに対し、ユウは落ち着いて諭すように口を開いた。
「大切なのは数じゃない。質だ」
その一切の揺らぎもない声に、ニステルは息を呑む。
「狭い谷間での作業において、多すぎる数は機動力を奪って、敵に発見されるリスクを高めるだけだ。俺が求めるのは、指示通りに一糸乱れぬ動きができる精鋭百人だ。それ以上は必要ない」
「……承知しました。すぐに練度の高い百人を選抜して参ります」
ユウの底知れぬ自信と理詰めの言葉に気圧され、ニステルはそれ以上の反論を飲み込んで天幕を後にした。
――数時間後。
日はすでに傾き始め、空は赤黒い夕闇に包まれようとしていた。
関所の裏手に設けられた広場には、ニステルによって選抜された百人の兵士たちが整列していた。彼らは皆、歴戦の猛者であり、その体格も纏う空気も、王都にいる衛兵とは全く異なる野性味と殺気に満ちていた。
しかし、彼らの表情に浮かんでいるのは、明らかな「不満」と「疑念」であった。
「おい、本当にあんな子供の指示に従うのかよ」
「ヘルベルト様の命令だから集まったが、この人数で三百の盗賊団を討伐? 正気の沙汰じゃねえな」
「王都にいた貴族様が、戦の何を知ってるってんだ」
列のあちこちから、隠す気もない嘲笑と舌打ちが漏れ聞こえる。無理もない。歴戦の兵士たちからすれば、細身で線の細いユウやアルトなど、実戦経験のない世間知らずの子供にしか見えないのだ。
ニステルが顔を顰め、彼らを怒鳴りつけようと前に出かけたその時だった。
「静かにしろ」
ユウの平坦な、しかし異様に響く声が広場に落ちた。
声を張り上げたわけではない。怒気を孕んでいたわけでもない。ただ、絶対的な零度を持ったその声に、百人の兵士たちは反射的に口を閉ざした。
ユウはゆっくりと兵士たちの前に歩み出ると、その冷たい双眸で歴戦の猛者たちを一人一人値踏みするように見渡した。
「お前たちが俺を信用していないことは分かっている。だが、そんなものはどうでもいい。俺はお前たちに忠誠も信頼も求めていない」
ユウの言葉に、兵士たちの間にピリッとした緊張感が走る。
「俺が求めるのは、ただ一つ。『指示通りに動く手足』だ。俺の描いたとおりに、言われた通りの場所へ行き、言われた通りのタイミングで剣を取り、弓を射れ。それができない者は、今すぐここから去れ」
その傲慢とも取れる言葉。しかし、それを放つ少年の瞳の奥にある底知れぬ知性と、感情の欠落した死神のような空気に、百人の猛者たちは誰一人として反論の声を上げることができなかった。
彼らは本能で悟ったのだ。目の前にいるのは、ただの子供ではない。戦場という盤面において、他者の命を駒として冷徹に動かすことのできる「本物の指揮官」の目だと。
「……誰も抜けないようだな。ならば、出発する」
ユウは短くそれだけを告げると、踵を返して先頭を歩き始めた。
その背中を追うように、イリーナ、アルト、そしてニステルが続く。百人の兵士たちは無言のまま、何かに操られるようにその後に続いた。
リシェルは陣所から彼らを見送りながら、静かに祈りを捧げていた。
作戦決行の舞台は、夕闇に沈む荒野の先にある旧ガルデン砦。
圧倒的な兵力差を覆すための、緻密で冷酷な狩りが、今まさに始まろうとしていた。




