白状
早朝にボーグの村を出発して4人はさらに西へ向かうために馬車を進めていた。
視認できる距離にアーベント領の関所が近づいてきた頃に見計らい、ユウは手綱を握るアルトの横から振り返り、馬車に乗っている全員に向けて今後の作戦を告げた。
「関所が見えてくる前に確認をしておこう。これから俺達は、王都の戦火を逃れて西へ向かう小さな商会だ」
ユウは淡々とした声で、偽造した通行証と積荷目録を指で弾いた。
「ただの商人の連れというだけだと関所の検問は誤魔化せない。 ……リシェル殿下は俺の妹だ。そのフードを外さないための口実として、顔に火傷の痕があり、人目を恐れていることにしてくれ。」
「火傷、ですか」
リシェルが静かに問い返すと、ユウは短く頷いた。
「関所の検問は厳しいだろう。殿下の顔が知られていれば一巻の終わりだ。顔を見せろと要求されても、火傷を理由に頑なに拒否する。同情を誘って、兵士の追及を躱すための最善の策だ」
「……殿下に対して、あまりにも不敬な偽装ではないか」
ユウの提案に対して、イリーナは眉をひそめて異議を唱えたがリシェルは小さく首を横に振ってそれを制した。
「構いません。公爵の元へ辿り着くには、今はユウの策に従うのが一番確実な道です。……どのような偽装であれ、私は受け入れます」
「では、関所を抜けるまでは決してボロを出さないように」
ユウの言葉に、全員が同意の意を示した。
リシェルも自ら深くフードを被り直したが、その胸の奥には素性を隠して嘘をついて進まなければならないことへの僅かな抵抗感が澱のように沈んでいた。
それから数刻後。アルトたちの視界に、街道を塞ぐようにそびえている巨大な石造りの防壁が現れた。おそらく、ここが西の要衝であるアーベント領への入り口となる関所なのだろう。
ダリウス達が東へ向かったとはいえ、王都の混乱を警戒しているのか物々しい防衛態勢が敷かれていた。城壁の上には弓兵が配置され、門の前には盾と槍を持って全身を鉄製の鎧に身を包んでいる重装歩兵が立ち並んでいる。
検問を待つ難民や商人たちの長い列の先には、王都から逃げたと思われる貴族の馬車も見られた。それらは、警備している兵士たちによって無情にも追い返されていた。また、賄賂を差し出そうとする者や身分を振りかざして怒鳴り散らす者もいるが、配置されている者たちは一切の例外を認めることなく冷徹に彼らを退けている。
「……予想以上に厳しそうだね。警備を徹底している」
御者台のアルトが張り詰めた声で呟くと、ユウは無表情のまま周囲の配置を観察した。
「ああ。正面からの強行突破も無理そうだな。予定通り、俺が交渉する」
やがて、アルトたちの馬車の順番が回ってきた。
対応に現れたのは、磨き上げられた銀の胸当てを身につけた一人の若き騎士だった。彼の名はニステル。関所の守備を任された部隊長であり、その瞳にどこまでも真っ直ぐで誠実な光が宿っているように見られた。
「止まれ。通行証と、積荷の目録を提示していただきたい」
ニステルが通る声で告げると、ユウは御者台から愛想よく頭を下げ、袋の中にあった書類を差し出した。
「ご苦労様です、騎士様。私たちは西に向かっている商会の者です。 運悪く王都の騒ぎに巻き込まれてしまいました。荷台にあるのは細々とした物ばかりですが、よろしければご確認を」
ニステルは書類を受け取ると、丁寧だが一切の妥協がない手つきで目録に目を通した。
「……書類に不備はないようだ。だが、積荷と搭乗者の確認をさせてもらう」
ニステルが歩み寄り、荷台の幌を開けた。そこには、古びた革鎧を着たイリーナと頭から深くフードを被り顔を隠しているリシェルが座っていた。
ニステルの視線が、まずイリーナで止まった。
「……商人の護衛にしては、随分と洗練された隙のない姿勢だな。その重心の置き方、ただの傭兵とは思えん。どこかの騎士団で正規の訓練を受けていたのでは?」
「ただの雇われだ。 過去の経歴を語る義務はあるまい」
イリーナが低い声で返すが、ニステルの疑念は晴れない。彼は続いて、奥で身を縮めているリシェルへと向き直った。
「そちらの御仁は、なぜ顔を隠している? 関所を通る以上、顔の確認が必要だ。フードを外していただこう」
「お、お待ちください!」
ユウが咄嗟に声を上げ、御者台から身を乗り出してニステルとリシェルの間に割って入るように視線を遮った。
「妹は顔に酷い火傷の痕があり、人目を極端に恐れているのです。どうか、皆様の目に晒すことだけはご容赦願えませんか」
ユウの言葉は自然であり、同情を誘うには十分な響きを持っていた。しかし、誠実な騎士であるニステルは、個人的な感情で規則を曲げるような男ではなかった。
「……お気持ちは察する。妹君に辛い思いをさせるのは本意ではない。しかし、これはクロイツ公爵様からの厳命なのだ。王都からの間者や貴族を一人たりとも通すわけにはいかない。確認ができないのであれば、通行は許可できない」
ニステルの言葉に淀みはない。ただ純粋に、自らの任務と領民を守るための行動だった。
ユウは小さくため息をつき、口調を少しだけ鋭くした。
「西の要衝を守る騎士様ともあろうお方が、哀れな娘を辱めようというのですか。 私たちはただ、戦火を逃れて生き延びようとしているだけです。 この通り、武器なども積んでおりません。どうか、慈悲の心を持っていただきたい」
「慈悲の心と関所を守ることは別だ。この扉の奥には、我々が守るべき多くの民がいる。得体の知れぬ者を同情で通せば、いずれ領地全体を危機に晒すことになりかねない。……重ねて言う。顔を見せないのであれば、ここで引き返してもらおう」
ニステルの意志は岩のように固かった。ユウが舌打ちを隠し、兵士たちの視線を逸らすための別の欺瞞を口にしようと頭を回転させた、その時だった。
「もう良いのです、ユウ。……これ以上の偽りは、不要です」
荷台の奥から響いたのは、鈴の音のように澄んだ、凛とした声だった。
ユウが目を見開く中、リシェルは自ら荷台から立ち上がり、幌の外へと足を踏み出した。
「殿下、いけません! 今顔を見せれば……!」
イリーナが慌てて止めようとするが、リシェルは静かに首を振り、彼女を隠していた深いフードを自らの手でゆっくりと下ろした。事前の合意を自ら破る行為。しかし、彼女の瞳に迷いはなかった。
「嘘や偽りでこの門を通り抜けることは、謀略で国を支配しようとする者たちと同じです。 真の王を目指す私が、そのような真似をして歩み出すわけにはいきません」
朝の光の中に、美しい金糸の髪と、透き通るような琥珀色の瞳が現れた。粗末な平民の服を着ていても、彼女の全身から溢れ出る気高さと、威風堂々たる佇まいは決して隠すことができなかった。
リシェルは、驚きに目を見張る若き騎士ニステルを真っ直ぐに見据え、確かな威厳を持って名乗った。
「私の名は、リシェル・ヴァレリウス・レイヴァルト。この国の王女です」
その名が発せられた瞬間、関所の空気が完全に凍りついた。
周囲を取り囲んでいた兵士たちが、信じられないものを見るような顔で呆然と立ち尽くす。ニステルは一瞬だけ絶句したが、王室の肖像画で見た姿と、目の前の少女の琥珀色の瞳が完全に一致することを悟った。
「王族の……姫殿下……?」
ニステルの顔から血の気が引いた。彼は咄嗟に武器に手をかけることもなく、騎士としての本能と礼節に従い、その場に深く片膝をついた。隊長の行動を見た周囲の兵士たちも、慌てて槍を収め、次々と石畳の上に跪いていく。
「ひ……非礼の数々をどうかお許しください、リシェル殿下」
ニステルは頭を深く垂れたまま、震える声で言った。
「まさか王女殿下自らがここまで足を運ばれるとは……。ですが、殿下」
ニステルは顔を上げないまま、しかし確固たる意志を持って言葉を続けた。
「……我々は、クロイツ公爵様より 『王都からの貴族は、何人たりとも通してはならない』 と厳命を受けております。たとえ王女殿下であっても、一介の部隊長である私の権限でこの関所をお通しすることはできません」
それは、騎士としての忠義と、絶対の命令との間で板挟みになった、彼なりの苦渋の決断だった。
「分かっています。あなたの忠誠と誠実さは十分に伝わっております。あなたに命を背かせるつもりはありません」
リシェルは跪くニステルに一歩近づき、静かに語りかけた。
「私は、クロイツ公爵と対話をして、この国の未来を正すためにここまで参りました。私を捕縛するというのなら受け入れますので、公爵に私の言葉を伝えて頂きたいのです」
彼女の言葉には、王族としての傲慢さは微塵もなく、国を憂う一人の人間としての、清廉潔白な真実だけが響いていた。ニステルは、その偽りのない言葉に心を打たれたように、ゆっくりと顔を上げた。王家の腐敗を聞いていた彼にとって、目の前に立つ少女があまりにも眩しく、そして高潔に映る。
「……公爵様は現在、領地の奥深くにおられ、私が直接お目通りすることは叶いません」
ニステルは一度言葉を切ると、決意を固めたような顔でリシェルを見つめ返した。
「ですが、この関所を管轄する部隊の指揮官は、クロイツ公爵様のご嫡男であるヘルベルト様が務めておられます。私の権限でお通しすることはできませんが……主様の陣所まで、私が責任を持ってご案内いたしましょう」
「ありがとう、騎士殿。あなたの誠意に感謝します」
リシェルが微笑みながら頷くと、ニステルは再び深く頭下げた。
一部始終を見ていたユウが、小さく息を吐き、手綱を握るアルトを見た。
「やれやれ、王女様の真っ向勝負には敵わないな」
「リシェル様らしい、一番正しい道だよ」
アルトは誇らしげに笑い、馬車を再び動かす準備を始めた。
ユウの用意した欺瞞ではなく、清廉なる王女の誠意によって、強固な西の扉は開かれた。
四人を乗せた馬車は、若き騎士ニステルが先導しながら、公爵の嫡男が待つ場所へと足を踏み入れていく。




