表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

84/120

覚悟

王都を出立してから、数日の時が流れていた。

王宮の重苦しい空気が嘘のようで、西の街道には見渡す限りの青空が広がっていた。時折吹き抜ける風には、草の香りが混ざっておりを心地よく馬車を揺らしていた。

アルトは手綱を握り、ユウがその横で地図を広げている。荷台には、平民服のリシェルと、革鎧を着込んだイリーナが乗っている。四人を乗せた馬車は、西のアーベント領へ向かう中継地点である中規模の宿場町ボーグへと差し掛かっていた。


「見えてきた。あれがボーグだね」


アルトが前方を指差すと、木々と土壁で囲まれた村落が姿を現した。だが、近づくにつれて、その村が異常な雰囲気に包まれていることが分かった。

本来であれば、行商人が羽を休める宿場町のはずだが……、村の周囲には王都の騒ぎから逃れてきた難民や、荷物を山積みにした商人の馬車で溢れていた。道の端には疲れ切って座り込む人々もおり、どこか疲労感が漂っている。


「酷い有様だ……。王都の混乱が、ここまで波及してしまうとは」


アルトが眉をひそめながら馬車をゆっくりと進めると、ユウは無表情のまま周囲を観察した。


「俺たちが流した噂の効果もあるだろうな。セリオスの裏切りとダリウスが軍を動かしたんだ。王都が戦火に包まれると思った連中が、安全な場所へと一斉に逃げ出したんだろう」


村の中心にある広場を抜け、ユウは商人の息子に偽装を活かして、なんとか一軒の宿を確保した。しかし、村中が難民でごった返しているため、通されたのは建物の二階にある狭く古びた相部屋のような客室だった。

部屋は粗末で、床板は歩くたびに軋んで時折、壁からは隙間風が入り込んでくる。王宮の豪奢な部屋とは比べるまでもない部屋だ。


「……殿下、申し訳ありません。このような部屋にお泊まりいただくことになるとは。私がもっと良い宿を探して参ります」


イリーナが申し訳なさそうに頭を下げたが、リシェルは首を横に振った。彼女はベッドの硬いシーツを手で撫でながら、むしろ穏やかな笑みを浮かべている。


「屋根があり、冷たい風を凌げるだけで十分です。それに……これは、民がどのような生活をしているのかを知る、貴重な機会なのですから」


「殿下……」


やがて、夕食の時間がやってきた。

一階の食堂に降りた四人のテーブルに運ばれてきたのは、並んだお皿からは食欲を唆るような香りはしなかった。石のように硬い黒パンと、少量の豆が浮いた薄い塩味のスープ、そして水で薄められた安酒だけだった。物資が不足しているため、これでもこの宿では上等な食事らしい。


「このスープ……お湯に塩を振っただけでは!? 殿下のお口に合うはずが……!」


またしてもイリーナが一人で憤慨しそうになるのを、アルトが慌てて制止する。


「声が大きいよ。僕たちは今、ただの商人なんだ。目立つ行動は控えてくれ」


「わ、分かっているが……」


「美味しいですよ」


イリーナの言葉を遮るように、リシェルが黒パンをスープに浸し、小さく千切って口に運んでいた。彼女はしっかりと咀嚼し、食事を流し込むと琥珀色の瞳を真っ直ぐに向けた。


「王宮の食事に比べれば、確かに味気ないかもしれません。ですが……これが我が国の実情なのです。 彼らの苦しみに寄り添うためにも、私はこれを残さずいただきます」


その毅然とした態度に、イリーナは言葉を失い、静かに自身の手元にあったパンを見た。アルトもまた、王女としての覚悟を日々強めていくリシェルの横顔を、頼もしく見つめていた。

食事を進めていると、隣のテーブルで食事をとっていた難民らしき男たちの会話が耳に入ってきた。


「なあ、聞いたか? 西のクロイツ公爵の話だ」


「ああ、聞いたぞ。王都から逃げる難民を、領地で全員受け入れているみたいだ。食料や仮設の寝床まで手配して、子供には薬まで配ってくださっているそうだ。なんて慈悲深い御仁なんだろうね」


「腐りきった王家の連中とは大違いだ。ダリウス殿下は東で戦争を始めるって言うし、王都に残ってたら今頃どうなってたか……」


その会話を聞き、アルトたちは顔を見合わせた。クロイツ公爵が民を救済しているという情報は、リシェルたちにとって非常に喜ばしいものだった。しかし、男たちの会話には続きがあった。


「でも、アーベント領へ入る関所は、とんでもなく警備が厳重らしいな」


「なんでも、難民は受け入れるが、王都の『貴族』や『使者』の類は、領地に入れないよう固く禁じられているらしい。公爵様は、今の王宮のドロドロした権力闘争には一切関わらないって宣言してるんだと」


「そりゃそうさ。ダリウス殿下もセリオス様も信用できねえ。公爵は、あの腐った王室そのものに愛想を尽かしてるんだろうな」


男たちの会話が遠ざかる中、テーブルには重い沈黙が落ちた。


「……厄介だな」


ユウが薄いスープを一口啜り、冷静な声で分析を始めた。


「クロイツ公爵が王室そのものに失望して、道を閉ざしているとすれば……王女が名乗り出たところで、話も聞かずに追い返す可能性もある。最悪、関所の兵士に捕らえられ、王都へ送り返されるかもな」


「そんな……! 公爵は、かつて王家に忠誠を誓った立派なお方だぞ!?」


ユウの推測にイリーナの声が少しだけ大きくなる。


「それは昔の話だろ。現実はさっきの男たちの話の通りだ。公爵からすると王家は民を苦しめる元凶そのものだ」


当初の目論見から外れた大きな壁であった。

西のアーベント領へ向かえば無条件で味方になってくれるという希望はあっさりと打ち砕かれた。


その時だった。

食堂の入り口付近で、派手な物音が鳴り響いた。


「きゃあっ!! 」


悲鳴を上げて倒れ込んだのは、難民の家族らしきみすぼらしい身なりの女性だった。

その手からこぼれ落ちた粗末な布袋を、柄の悪い男が土足で踏みつけている。

男の数は五人でいずれも薄汚れた革鎧を着ており剣や斧を下げている。外見からは正規の兵士とは見受けられない。


「おいおい、オバサン。これだけかよ? 王都から逃げてくるなら、もっと金目のものを持ってるだろ?」


リーダー格の顔に傷のある男が、下品な笑いを浮かべながら母親の髪を掴み上げた。


「や、やめてください! それは私たちが西へ向かうために必要な路銀と通行証なんです! どうか、どうかお助けを……!」


「うるせえ! 俺たちだって王都の戦争から逃げてきたんだ。アーベントの関所は厳しくて通れねえ、ここで生き延びるためには仕方ねえ。命が惜しけりゃ、全部置いていきな!」


男が母親を蹴り飛ばそうと足を上げた瞬間。ユウ達のテーブルから食堂の床を強く蹴る音が響いた。

アルトも席を立ちかけていたが、音がしたのはそれよりも速く、立ち上がっていたのは傭兵風の護衛に変装していたイリーナであった。

アルトを片手で静止して、風をきるような速度で男たちの前へと飛び出していた。


「……何だ、てめえは!」


顔に傷のある男が凄むが、イリーナは冷ややかな目で男たちを睨み据えた。


「勘違いするな。私はただの護衛だが……弱者を虐げる輩を見過ごすことはしない」


イリーナはそう言うと、腰の剣の柄に手をかけた。しかし、剣は抜かない。鞘に収めたままの剣を構え、深く腰を落とした。


「生意気な女だ! 痛い目見せてやれ!」


「よく見りゃいい女じゃねえか!」


「俺達が名のしれた一団だって知ってんのか!?」


男の合図とともに、三人の傭兵が剣や棍棒を振りかぶってイリーナに襲いかかる。

しかし、イリーナの動きは彼らとはまるで次元が違った。近衛騎士団の中で研鑽を積み、洗練されている流麗な体術。

彼女は最小限の動きで先頭の男の剣を躱す、直後にすかさず鞘の先端で男の鳩尾を正確に突き上げる。


「ぐっ……!?」


悲鳴を上げて男が崩れ落ちる。休む間もなく、背後から迫る棍棒を持った男の腕を掴み、振りかぶった勢いを利用して鮮やかな投げを打つ。ドスウゥンという鈍い音とともに、男が床に叩きつけられ白目を剥いた。


「この……!」


残る二人が左右から挟み撃ちにしようとするが、イリーナは跳躍しながら鞘で一人の顎をカチ上げ、着地と同時に回し蹴りをもう一人の側頭部に叩き込んだ。

ほんの数秒の出来事だった。悲鳴を上げる間もなく、四人の男たちが床に転がり、呻き声を上げている。


「ひ、ひぃぃ……っ!」


リーダー格の男は、仲間が一瞬で倒された光景に顔面を蒼白にさせ、後ずさった。


「次は貴様だ。金を返して、早くこの村から去るのだな」


イリーナが一歩踏み出すと、男は「ひぃっ!」と情けない悲鳴を上げた

奪った袋を放り投げて、颯爽と食堂から逃げ出していった。残された男たちも、地を這いながら後を追っていく。

静まり返った食堂に、イリーナが鞘の向きを直し、何事もなかったかのように立ち尽くしていた。


「あ、ありがとうございます。本当に、ありがとうございます……!」


母親が涙を流しながらイリーナにすがりつき、何度も頭を下げた。周囲の人たちからも、安堵の息とともにとまばらな拍手が沸き起こる。


「……気にするな。怪我がなくて何よりだ」


イリーナは少し照れくさそうに目を伏せ、足早にアルトたちのテーブルへと戻ってきた。


「さすがです、イリーナ。あなたの剣は、鞘に収まっていても輝いていました」


リシェルが微笑みかけると、イリーナは顔を赤くして「もったいないお言葉です」と頭を下げた。アルトも「さすが近衛騎士だな」と素直に感心していたが、ユウだけは冷静な目を向けていた。


「凄いけど、目立ちすぎだな。 俺たちがただの商人じゃないと思われたかもしれないぞ」


「う……面目ない。だが、あそこであの親子を見捨てることはできなかった」


「分かっている。それに、お前が動かなければアルトが派手に暴れていたからな。結果としては悪くない」


ユウの言葉に、アルトは苦笑いして頭を掻いた。



その夜。

二階の薄暗い客室で、四人は小さなランプの火を囲んで作戦会議を開いていた。

話題は当然、昼間に聞いた「クロイツ公爵の関所封鎖」という大きな壁についてである。


「公爵が王家の人間を拒絶するのならば、リシェルが名乗り出た瞬間に門前払いされるか、もしくは、捕縛されることもあるかもしれん」


ユウは腕を組みながら言った。


「身分を偽ったまま関所を抜けて、公爵の屋敷まで強行突破するか。それとも、別の手を使うか……」


「強行突破など、公爵の心証を悪くするだけだ」


イリーナがその提案に反発する。


「公爵が王家を拒絶しているなら、私が力ずくでも関所を突破して殿下の御前へ公爵を引き摺り出して……!」


「イリーナ、それはいけません。」


リシェルの凛とした声が、狭い部屋に響いた。彼女の眼差しには、王都を出た時よりもさらに強い、静かな炎が宿っていた。


「公爵は、王都から逃れてきた民を受け入れ、保護してくださっている。それは、公爵がまだこの国を諦めていない証拠です。彼が拒絶しているのは、民を苦しめている『腐敗した王家』なのです」


リシェルは立ち上がり、窓の外の星空を見つめた。


「ダリウスが犯した罪、王家が民に強いてきた苦しみ。公爵がそれに怒りを感じているのなら、力ずくで突破して何になるというのですか。 力づくで解決しようものならば、それこそ兄と同じ道を辿ってしまいます。 私達が成すことは、過去の過ちを謝罪して、私がどのような王になりたいのかを私自身の言葉で伝える。それが、私の歩むべき道です」


「殿下……」


イリーナは息を呑み、そして深く頭を垂れた。


「出過ぎた真似を失礼いたしました。 殿下のお心のままに、私はどこまでもお供いたします」


アルトもまた、リシェルの言葉に強く頷いた。


「僕も同じ気持ちです。クロイツ公爵がどれだけ今の王国を嫌っていたとしても、リシェル殿下の思いなら必ず届くはずです。もし関所で止められるようなことになれば、僕が何としてでも公爵と会うための時間を作ります」


「アルト……ありがとうございます」


リシェルが微笑み、ユウは短くため息をつきながらも、どこか満足げに口角を上げた。


「……やれやれ、まずは関所の突破と公爵との面会、両方をクリアする手立てを考えるとしよう」


ランプの火が静かに揺れる。

越えるべき公爵の心という巨大な壁。だが、彼らの目にもはや迷いはなかった。

翌朝、朝露に濡れたボーグ村を後にし、四人の馬車はついにクロイツ公爵の待つ西の要衝、アーベント領へと向けて最後の道を走り出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ