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西へ


王都の早朝。

まだ薄暗い空だが街中は地鳴りのような音が足元から伝って響き渡る。

王宮からダリウスの軍勢が出陣しており、見るもの度肝を抜くほどの大軍勢であった。

軍馬に跨がった近衛騎士団を先頭に、駐屯兵の半数を占める槍兵と弓兵の列が、延々と東の門から行軍していく。分厚い雲の下、鎧が擦れる金属音が響き渡り、嵐の前の静けさを醸し出していた。


「おい……あれは、ダリウス殿下じゃ?」


「なんて顔をなんだ……。まるで、何かに憑き回されているみたいだ」


「セリオス様が裏切ったって噂は本当なのか? 嘘だろ、戦争になるのかよ……!」


道沿いの並ぶ家々の窓際、薄暗い路地裏、王都の至る所から民衆たちが怯えた顔を覗いている。

彼らの目に映るダリウス・ヴァレリウス・レイヴァルトは、豪奢な馬車の中から身を乗り出し、血走った目で空を睨みつけていた。


「急げ! セリオスの首を落とすまで、私は決して王都へは戻らん!」


自らの猜疑心に急き立てられ、ダリウスは王都から自ら飛び出していった。

その巨大な軍列の最後尾が見えなくなるのを、貧民街の崩れかけた屋根の上から冷ややかに見送る黒衣の集団があった。

クロウ率いる影たちであった。


「……見事に食いついたな。嵐が、王都を去った」


クロウは被っていた黒い布を取り、背後に控える部下たちに顎で合図を送った。


「仕事だ。ダリウスが精鋭を連れ去った今、離宮の警備は案山子同然。今のうちに作戦を決行するぞ⋯⋯」



貧民街の奥深く、クロウたちが拠点としている廃倉庫。

調達した馬車の点検を終え、アルト、ユウ、カインの三人は壁際で息を潜めていた。雨漏りする空間に、軋むような扉の音が響く。


「……戻りました」


影の先導者が告げると同時に、四人の女性達が倉庫にやってきた。平民の旅装束に身を包んだリシェル、護衛のイリーナ、そして離宮で匿われていたエリナとセシリア。


「ユウ様……!」


エリナは声を詰まらせると、真っ直ぐに走り寄り、ユウの胸に勢いよく飛び込んだ。


「エリナ。……無事でよかった」


ユウは少しだけ目元を緩ませ、エリナの肩を優しく抱き寄せた。エリナは青年の胸に顔を埋めて、安心したのか小さく嗚咽を漏らした。


「お兄様!」


セシリアもまた、アルトの元へ駆け寄った。


「セシリア! ここまで無事だったかい?」


アルトは安堵のあまり、妹の両肩を強く掴んで何度も頷いた。


「安心してください、お兄様。イリーナ様や皆様が、ずっと守ってくださいました」


再会の喜びに沸く中、ユウはエリナの肩からそっと手を離し、冷静な目で彼女を見つめた。


「王宮はどうなってる? 噂は上手くまわったみたいだが⋯⋯」


「はい……」


エリナは涙を拭い、気丈に顔を上げた。


「王宮内で侍女たちの話に紛れ込み『東から恐ろしい密書が届いて、近衛様たちが殺気立っている』と言い回りました。王宮の侍女たちは退屈なようで、その噂はあっという間に貴族の方にも広がっていきました」


「さすがだな。お前の働きが決め手になったな」


ユウの賞賛に、エリナは誇らしげに頷く。

ユウは倉庫の中心に歩み出て、全員の顔を見渡して静かに手を叩いた。


「状況は整った。だが、ダリウスが離れたとはいえ、王都の関所を抜けるのは不可能に近い。怪しまれれば御仕舞だ」


ユウの淡々とした言葉に、場の空気が引き締まる。


「馬車は一台しかない。目立たずに速やかに西へ向かう必要がある。そのためには最小限の人数での移動が良いと考えている」


「……私は参る必要があります」


一歩前に出たのは、リシェルだった。いつもの豪奢なドレスではなく平民の服を着ているが、その琥珀色の瞳には揺るぎない信念が宿っているように見える。


「ダリウスが王都を空けた今、私はアーベントへ行き、クロイツ公爵の力添えを得てきます。この国を正して、真の王として立つために」


「殿下の往く道が、私の往く道です」


イリーナがすかさずリシェルの隣に立ち、胸に手を当てて深く頭を下げた。


「私が殿下の剣となり、盾となり、どこまでもお供いたします」


「そうなると移動するのは、俺、アルト、リシェル、そしてイリーナの四人だな」


ユウの決定に、アルトはハッと息を呑み、妹のセシリアを見た。ようやく再会できたばかりだが、また離れ離れにならなければならない。

だが、セシリアは寂しそうな顔をしながらも、気丈に首を振った。


「大丈夫です、お兄様。私たちがついて行っても、足手まといになるだけです。私は王都に残り、皆様と一緒に王都の動向を探っておきます」


「セシリア……。ありがとう」


アルトが悔しそうに拳を握ると、カインが壁際から肩をすくめながら歩み出てきた。


「なら、俺も残るとするぜ」


カインは腰のナイフの柄を軽く叩き、ニヤリと笑った。


「勘違いすんなよ。俺には王都の裏路地のほうが性に合ってるってだけだ。ヴェインやマルセルのおっさんたちと上手く、この街を引っ掻き回してやるよ。……それに」


カインはアルトとユウの顔を交互に見た。


「セシリア様とエリナの護衛も必要だろ? お前らは後ろを心配せずに、お姫様を西まで送り届けてきな」


同期の騎士見習いとして、同じ釜の飯を食った仲だからこその、不器用な気遣いだった。アルトはカインの胸を軽く小突いた。


「頼んだぞ、カイン。無茶だけはするなよ」


「へっ、お前こそな」


別れの時間が近づいていた。

エリナはユウの手を両手でぎゅっと握りしめ、真っ直ぐに見つめた。


「ユウ様。私も影の方々を通じて、定期的に手紙を送ります。王宮の内部事情や状況を必ずお伝えしますから」


「ああ、頼りにしてる」


ユウは短く答え、エリナの指先をそっと握り返した。


「待っている。必ず、お前たちを迎えに来る」


セシリアもアルトの服の袖を掴み、小さく微笑んだ。


「お兄様、どうかご無事で。イリーナ様やリシェル様をお守りする立派な騎士になってくださいね」


「セシリアも……何があっても、命を最優先にするんだ」


アルトは妹の頭を優しく撫でた。

頭の上に乗せられた掌の温もりが、いつもより少しだけ温かく感じられた。


別れを済ませた四人は、いよいよ王都の西門へと向かった。

アルトが御者台で手綱を握り、ユウは中堅商人の息子の装い。イリーナは古びた革鎧を纏った傭兵風の護衛に扮し、リシェルは顔の半分を布で覆い、荷台の奥で毛布にくるまっている。


「止まれ! 荷馬車の中を確認するッ!」


西門の関所。

ダリウスが去った後とはいえ、門を塞ぐように立つ数名の警備兵の眼光は鋭かった。槍を構えた兵士の隊長が、不審そうに馬車へと近づいてくる。アルトの手綱を握る手に、じわりと嫌な汗が滲んだ。


「どちらへ向かわれるのかな?」


ユウが御者台から身を乗り出し、商人の息子らしい愛想のいい、しかしどこか怯えたような声を出した。


「西のローデリヒです。王都がこんな物騒な騒ぎになっているものですから、親父から『今のうちに商売道具を安全な場所へ移せ』と急かされまして」


「ほう。随分と立派な護衛をつけているな」


隊長がイリーナを睨みつける。イリーナは無言のまま、剣の柄にそっと手を置き、静かだが研ぎ澄まされた殺気を放った。歴戦の騎士の気迫に隊長はわずかに息を呑んだが、気を取り直すように荷台の幌に手をかけた。


「……念のため、中を見せてもらおう」


「お、お待ちください!」


ユウが慌てて声を上げ、荷台と隊長の間を遮るように立った。その手には、革袋が握られている。


「実は……荷台には、西の故郷へ帰す妹が乗っているのですが。ひどい『腐死病』にかかっておりまして」


「腐死病だと!?」


隊長が顔をしかめ、バッと数歩後ずさった。全身の皮膚が焼け爛れて死に至るという、恐ろしい伝染病の名だ。


「ええ。顔も直視できないほど爛れておりまして……。どうか、妹の最後の旅路を邪魔しないでくれませんか。これは、ほんの気持ちです。皆さんの晩飯代にでも……」


ユウは泣きそうな顔を作りながら、隊長の手にずっしりと重い革袋を押し付けた。チャリン、と黄金の擦れ合う甘い音が鳴る。

隊長は革袋の重さを確かめると、忌々しげに幌の中を一度だけチラリと見た。奥には、毛布にくるまり、布で顔を隠して激しく咳き込んでいる小柄な人影リシェルが見えた。


「……とっとと行け! 関所で病気を撒き散らされてはたまらん!」


「ありがとうございます! ありがとうございます!」


ユウがペコペコと頭を下げながら御者台に戻る。アルトは深く息を吐き出すと、静かに手綱を揺らした。


「ハッ!」


馬がいななき、重い木製の車輪が石畳を転がる。

巨大な西門のアーチをくぐり抜け、城壁の外側へと出た瞬間、まとわりついていた王都の腐敗臭が嘘のように消え去り、澄んだ風が車内を吹き抜けた。

辺りから人の気配がなくなると、先程の内容にリシェルは少しだけ納得が言っていないようであった。


「私の顔はそれほど爛れていましたかしたら?」


その表情は王宮内の気高き王女ではなく、年相応の女性となっていた。


「ははは⋯。ユウはとっさの言い訳を作るのがうまいからね」


「言い訳とは心外だな。演技力といってくれ」


「殿下、ご安心ください。服装こそ常日頃と違えど殿下から出る品の良さは隠しきれません。」


時間は限られているが、穏やかな旅が始まった。

長く降っていた雨は完全に上がり、空から眩しいほどの朝日が差し込んでいる。

光を浴びながら、アルトは王都に残した妹を想い、握っていた手綱へ力を込めた。ユウはいつもの無表情に戻り、すでに西の盤面へと計算を巡らせている。

そして荷台の奥、リシェルは顔を覆っていた布を外し、遠ざかる王都の巨大な塔をじっと見つめていた。


(必ず……必ず戻ります)


決意を乗せた馬車は、朝日に照らされた西の街道。

クロイツ公爵がいるアーベント領へ向けて真っ直ぐに駆け出していった。

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