算段
アルトたちが偽報を蒔いてから、二週間が経過していた。
王都は今、見えない情報と奇妙な空気に包まれている。
王都のスラム街に近い安宿『片翼の燕亭』。
早朝の一階の食堂にて、アルトとユウはパンとスープを口にしていた。
ユウは食事の手を休め、懐から小さな羊皮紙を取り出した。それには黒い羽根の封蝋が押されている。影の部隊長、クロウから昨夜届いた文書だった。ユウは冷ややかな目で内容を再確認すると、羊皮紙を速やかに衣服の中へとしまい込んだ。
「……随分と、きな臭い話になってきたな」
「あれほどの英雄が裏切るなんてなぁ……」
近くのテーブルから、宿泊客たちの声が漏れ聞こえてくる。
彼らが話しているのは、「東の英雄が、帝国と内通して王都に反旗を翻す」という噂だった。
「最初は信じられなかったが、実際、皆の動きがおかしいんだ。東へ向かう商隊も止まりやがったし、絹や香辛料の値段が跳ね上がってる」
「それに、王宮の近衛兵たちの空気を見たか? まるで、明日にでも戦争が起きるみたいだ。……王子が、自ら軍を率いて東に向かう噂ってのは、どうやら本当みたいだ」
客たちの会話は、不安と恐怖に染まっている。
最初は「あり得ない」という笑い話だった。しかし、商人たちの動きや、王宮の警備と結びついていき、徐々に噂が現実味を帯び始めてきた。
アルトはスープをすすりながら、横目でユウを見る。
青年は無表情を貫いていたが、ほんのわずかに口角が上がったのを見逃さなかった。
(……ユウの描いた通りに、王都が変わってきている)
アルトは改めて、隣に座る男の底知れぬ知略に若干の怖さを覚えた。
「おや、お前さんたち、もうお出かけかい?」
食事を終えて席を立つと、宿の女将が声をかけてきた。女将の顔にも、どこか疲労の色が見えていふ。
「最近は王都も物騒になってきてね。噂のせいで、旅の商人もすっかり減っちまったよ。あんたたちも、あまり遅くまでフラフラしないこった。どんな騒ぎに巻き込まれるか、分かったもんじゃないから⋯⋯」
「忠告、感謝する。……少し、出かけてくる」
ユウそう言い返し、アルトとともに宿を出た。
宿が見えなくなる路地裏に入った瞬間、ユウは短く、満足げな息を吐き出した。
「……完璧にハマった。ダリウスの猜疑心は、ついに暴走の域に達した」
「ああ」
アルトも頷く。
「君の読み通りだね」
路地を少し進むと、壁に寄りかかって二人を待ちくたびれていたカインと合流した。
「おう。遅えぞ、お前ら」
カインはナイフをしまい、獰猛な笑みを浮かべた。
「表を歩いてきたが、どいつもこいつもセリオスとダリウスの話で持ちきりだぜ。市場じゃ『帝国が攻めてくる』なんて喚いて、食料を買い占めてる連中もいた……」
「油断するな。本番はこれからだ」
ユウはカインをたしなめ、歩き出した。
「合流場所へ向かおう」
三人がやってきたのは、平民街の外れの古い倉庫だった。
廃墟のようで、屋内は埃っぽく、ここ数日続いた雨のせいか天井から雨漏りをしている。
時間になり現れたのは、黒いローブに身を包んだ男だった。
「ご苦労だった」
クロウは被っていた布を取り、鋭い眼光で三人を見据えた。
「お前たちの作戦は、見事にダリウスを狂わせた。……明日、早朝に、ダリウスが近衛騎士団の主力と王都防衛軍の半数を率いて、ルーヴェルへ出陣することが決まった」
「やった……!」
アルトは拳を握りしめた。最大の障壁であったダリウスが、自ら王都から退場するのはこれ以上ない好機だった。
「王宮内の状況はどうなっている?」
ユウが冷静に問いかける。
「出陣の準備や内通者が誰かとなっており皆、疑心暗鬼となっている」
クロウは微かに笑みを浮かべた。
「離宮の警備も薄くなっている。精鋭はダリウスが連れて行くため、残るのは雑兵ばかりだ。我々も、今なら容易に離宮へ潜り込める」
「なら、決まりだな」
カインが首の骨を鳴らした。
「ダリウスが東へ向かった隙に、王女様たちをかっさらう」
「ああ。明日のダリウス出陣後、リシェル殿下たち四人は離宮から脱出をする」
クロウの言葉に、アルトは安堵の息を漏らした。
「それと⋯⋯殿下から、お前たちへ頼みがある」
クロウは懐から革袋を取り出し、ユウに投げ渡した。受け取った袋の中からは、ずっしりと重たい金貨の音が鳴る。
「明日の脱出に使う、馬車を用意しておいてほしいとのことだ」
「馬車?」
カインが眉をひそめる。
「歩きじゃダメなのか?」
「王女の姿で王都の関所は通れない。それに、徒歩で西へ向かうのは時間がかかる」
ユウが合理的な理由を述べる。
「商人の一行にでも変装して馬車で関所を抜けるのが一番安全だ」
「そうだな」
クロウが頷く。
「殿下たちには離宮を出た後、一度、貧民街の拠点に合流してもらう。そこで出立の準備を整える。お前たちには、馬車を調達して、明日の昼までにその拠点へきてほしい」
アルト、ユウ、カインの三人は力強く頷き、作戦の全容を共有した。
倉庫を後にした三人は、そのまま商人街へと足を運んだ。
目的地は、豪奢な装飾が施された大きな商館――
商人マルセルが経営する『ガニエ商会』である。
裏口から音もなく侵入すると、室内からは高価な香水の匂いが室内を漂っていた。
店内の奥にある部屋へ入ると、マルセルが立派な机に突っ伏して、脂汗を流しながら帳簿と睨み合っていた。
「よぉ、マルセル!! 儲かってるか?」
カインが背後から声をかけると、マルセルは「ひぎゃあっ!?」というお化けでも見たような悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた。
「……旦那方!? ひぃっ、も、申し訳ございません! 言われた通り、噂はしっかり流しました!! だから命だけは……!」
床に這いつくばって震えるマルセルを見下ろし、ユウは呆れたようにため息をついた。
「落ち着け。今日は別の用件で来た」
「べ、別……?」
マルセルは恐る恐る顔を上げる。三人に悪意がないことを確認すると、ノロノロと立ち上がり、乱れた衣服を整えながら揉み手をする。
「……そ、そうでしたか。いやはや、旦那方が来ると心臓に悪くていけませんな。して、今回はどのようなご要件で?」
「馬車が欲しい」
アルトが単刀直入に告げた。
「丈夫な馬と、人間が数人乗れる荷馬車だ。今日中に手配してほしい」
「馬車ですかい?」
マルセルは少し驚いたように瞬きをしたが、すぐに商人特有の計算高い笑みを浮かべた。
「ああ。王都がこの騒ぎですからな、旦那方も今のうちに安全な場所へトンズラ……ゴホン、ご旅行というわけですね。お安い御用です。ちょうど、私の知り合いに優秀な馬借がおりましてね。そちらへご案内いたしましょう」
マルセルに案内されてやってきたのは、商人街の裏手にあった、清潔で広々とした馬小屋だった。建屋内では動物特有の獣臭はせずに、乾いた牧草の匂いが若干だけ漂っている。
小屋内には人の良さそうな初老の店主が、マルセルの顔を見るなり愛想よく出迎えた。
「これはガニエ商会様。本日はどのようなご用向きで?」
「私の大切な顧客が、馬車をお求めだ。一等級の馬と、それに釣り合う見事な馬車をすぐに見繕ってくれ」
マルセルが偉そうに胸を張ると店主はすぐに奥へと向かっていった。
店主が引いてきたのは毛並みの美しい白馬となっており、さらに見事な彫刻が施された豪華な馬車も引いてきた。
「こちらはいかがでしょう。貴族の方々もご愛用なさる最高級品です。乗り心地は雲の上を走るようですよ」
「おお! こいつはすごい!」
カインが目を輝かせ、馬車の車輪を蹴って強度を確かめる。
「これなら長旅も窮屈しねえ。ユウ、これにしようぜ」
「却下だ」
ユウは一秒も迷わずに切り捨てた。
「ああん? なんでだよ」
「お前は馬鹿か。こんな馬車で街道を走れば、野盗に宣伝して歩くようなものだ。それに、関所の兵士の目も引きすぎる」
「ユウの言う通りだ」
アルトも同意する。
「僕たちは商人の一行に偽装して王都を出る。目立つのは避けたい」
アルトは店主に向き直り、丁寧な口調で頼んだ。
「すまないが、飾り気のない、どこにでもいる行商人が使っているような頑丈さだけが取り柄の馬車を見せてほしい。馬も、足腰が強くて長距離に耐えられる、地味な毛色のやつがいい」
店主は少し残念そうにしながらも、アルトの要求を正確に理解し、店の奥から古いが手入れの行き届いた頑丈な幌馬車と、がっしりとした栗毛の馬を牽いてきた。
「これならどうです? 飾り気はありませんが、車軸は鉄で補強してありますし、この馬も体力は十分ですよ」
「完璧だ。これで頼む」
ユウが頷き、クロウから預かった金貨の入った革袋を店主に放り投げた。店主は中身を確認し、満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。馬の手入れと車輪の油差しをしておきますので、明日の朝にはお渡しできるようにしておきます」
「助かる。明日、また来るぞ」
馬車の手配を終え、マルセルと別れた三人は、再び雨上がりのぬかるんだ裏路地を歩き出し、宿へと向かった。
ダリウスの出陣。離宮の警備の空白。そして、西へ向かうための馬車。
脱出のためのすべての歯車はかみ合った。
アルトは西の空を見上げた。分厚い雲の向こう側に、明日という希望が隠れているような気がした。
泣いても笑っても、明日が王都での最後の勝負になる。




