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賭博


王都での潜伏生活が始まって二日目。

どんよりと澱んだ灰色の空は、王都の内面を映し出したかのように重く映る。下層街の安宿『片翼の燕亭』の薄暗い一室で、ユウは二人に今日の方針を告げた。


「今日は別々に動こう。お前たちは二人で街を回り、サイラスの店以外で、まともに金が稼げそうな仕事がないか探ってきてくれ。……恐らく、今の王都でまともな職に就くのは難しいだろうが、その『感覚』は知っておきたい」


カインが軽く肩をすくめて応じる。


「おうよ。ついでに、衛兵がどこで油を売ってるかも見てくるよ」


「ユウはどうするんだい?」


アルトの問いに、ユウは窓の外のどんよりとした空を見つめながら答えた。


「俺は、昨夜サイラスが言っていた地下賭場を覗いてくる。どんな連中が入り浸り、どんなルールで金が動いているのか……。それを知らないまま全員で乗り込むのはリスクが高すぎる」


アルトは心配そうな表情を見せたが、ユウの冷静な眼光に圧され、短く「気をつけて」とだけ告げた。



ユウが向かったのは、下層街のさらに奥、通称『猫の額』と呼ばれる入り組んだ路地の一角だった。昨夜、サイラスから聞いた合い言葉を使い、見張りの男をすり抜けて地下へと続く石段を下りる。鼻を突く煙草の煙と、熱気に混じった独特の緊張感が肌に触れた。

地下賭場『黒曜の杯』。


そこでは、いくつもの円卓を囲んで人々が罵声を上げ、あるいは沈黙のうちに火花を散らしていた。ユウは目立たない壁際に身を寄せ、まずは場内全体を見渡した。サイコロを使った単純な丁半博打、動物を戦わせるもの、そしてカードゲーム。どの卓も活気に満ちているが、胴元が確実に利益を吸い上げる仕組みが徹底されている。

ユウは焦らず、数時間をかけて場内の人間観察を続けた。

やがて彼の目が止まったのは、中央に位置する数個の卓で行われている、カードゲームだった。


(……二十一に近づけるゲームか。ブラックジャックと同じルールのようだな)


ディーラーの手元にあるのは、複数束のカードを混ぜ合わせた分厚い山札だ。ユウはその卓の少し離れた場所から、さらに二時間ほど、ディーラーの手元と客の勝敗をただ無言で眺め続けた。

最初は、ただの確率勝負をしているように見えた。

だが、長く観察しているうちに、ユウの中に一つの違和感が芽生え始めた。一戦が終わるたびに、使われたカードは横に置かれた箱へ無造作に放り込まれる。そして、次の戦いには残された山札から新しいカードが配られる。客の回転率を上げるためか、ディーラーは手際よくカードを配り続ける。


(……待て。山札が尽きるまで、一度もカードを切り直していない?)


ユウの目が微かに見開かれた。

この賭場の方針では、「山札が完全に空になった時にしかシャッフルをしない」ルールになっている。カードが一度混ざれば確率は常に一定だと信じ込んでいるのか、あるいは単なる手間の省略か。

しかし、ユウの持つ現代知識は、それが胴元にとって致命的な「ザル」であることを知っている。

一度使ったカードが山札に戻らない以上、場に出た数字をすべて記憶していけば、残りの山札に「高い数字」と「低い数字」のどちらが多く残っているかを、統計的に導き出すことができるのだ。


(……仮説通りなら、これは博打ではなく作業だ)


ユウは確信を得るため、懐から銀貨を数枚取り出し、チップに換えて卓の端に座った。

途中からゲームに参加したユウは、周囲の客と同じように無造作にカードを引くふりをしながら、脳内でこれまでに場に出たカードの数値を高速で足し引きしていく。

数ゲーム後。ユウの頭の中の計算が『次に配られるカードは高い数字に偏っている』と弾き出した。


親であるディーラーは、一定の数字に達するまでカードを引き続けなければならないルールだ。つまり、高い数字が出やすい盤面では、親が二十一を超えて自滅バーストする確率が跳ね上がる。ユウは手元のチップを少しだけ多めに押し出した。

結果は、ユウの読み通りだった。ディーラーは絵札を引き、バーストして敗北。ユウの手元には賭け金と同額のチップが配られた。


(……仮説は実証された。間違いない)


ユウはそれ以上欲をかかず、たった数回の勝負だけで静かに席を立った。手に入れた僅かなチップを再び銀貨に戻し、目立たないように賭場を後にする。彼の足取りは、王都に来てから最も確信に満ちていた。


その日の夕刻。


宿に戻ったユウを待っていたのは、疲れ果てた表情のアルトとカインだった。


「どうだった、二人のほうは」


ユウの問いに、カインが力なく首を振った。


「全くだめだ。どこもかしこも不景気で、雇う余裕なんてなさそうだ。重税のせいで、店を開けるだけで精一杯なんだろう。……あちこちでダリウス王子の悪口が聞こえてきたぜ。衛兵の質も最悪だ。賄賂さえありゃ、城門の鍵だって売ってくれそうな奴らばっかりだ」


アルトも暗い表情で頷く。


「……民の心が荒んでいる。このままでは、帝国が攻めてくる前にこの国は内側から壊れてしまうよ」


王都の末端まで行き渡る腐敗と困窮。

ユウは二人の報告を冷静に受け止め、今日自ら実証してきた情報を共有した。


「俺のほうは、一つ収穫があった。……地下賭場のゲームには、明確な勝ち筋がある」


ユウは薄暗いランプの火に照らされた机の上に、宿にあった手垢に塗れた古いカードを数枚並べた。


「今日見てきたゲームは、数字を二十一に近づける単純なものだが、胴元のシステムに一つだけ致命的な欠陥がある。……あの賭場は、何十枚、あるいは百枚以上のカードを混ぜ合わせた分厚い山札を使っているが、それを『完全に使い切るまでシャッフルをしない』」


カインが眉をひそめて身を乗り出す。


「山札が尽きるまで混ぜない? まあ、客の回転を早くして胴元が儲けるためだろうが……それがどうしたんだ?」


「一度使われたカードは捨てられ、次のゲームには残りの山札が使われる。つまり、場に出た数字をすべて把握していけば、次に配られるカードの『確率の偏り』が読めるんだ。今日、実際に俺が試して証明してきた」


カインが呆れたように目を丸くした。アルトも微かに息を呑む。


「全部把握するって……何百枚もあるんだろ? いくらユウでも、それを全部覚えるなんて無理だろ?」


「一枚ずつ覚える必要はない」


ユウは机上のカードを三つの束に分けた。低い数字の束、中くらいの数字の束、そして絵札を含む高い数字の束だ。


「数字を三つの集団に分けるんだ。場に低い数字が出たら足す。中くらいの数字が出たら無視。そして高い数字が出たら引く。……俺がやっているのは、脳内でただ一つの数字を足し引きし続けているだけだ。もし、足し引きを続けた合計値が大きなプラスになったとしよう。それは、場に低い数字ばかりが捨てられ、残った山札には高い数字が大量に眠っているという証拠になる」


「……なるほど。次に何が出るか完全に分からなくても、高い数字が出る確率が跳ね上がっている状態が分かるわけか」


アルトが納得したように頷く一方で、カインは顔をしかめて大きくかぶりを振った。


「いや、ちょっと待てよ。理屈はわかったが、実際に卓に座ってカードが次々とめくられる中で、それを頭の中で計算し続けるんだろ? 冗談じゃねえ、そんなの難しすぎるぜ。俺の頭じゃ数回勝負したあたりで数字が吹っ飛ぶ」


「ああ、それに考え込みながらプレイしていれば、不自然に思われていかさまを疑われる危険もある」


アルトの懸念に、ユウは短く頷いてみせた。


「だから、お前たちに計算しろとは言っていない。親であるディーラーは、一定の数字に達するまでカードを引き続けなければならない制約がある。山札に高い数字が偏り、親が自滅しやすくなる波が来た時だけ、掛け金を増やす。その見極めはすべて俺がやる」


ユウは二人の顔を順番に見据えた。


「明日の夜、三人で乗り込む。俺が背後からサインを出すから、アルトとカイン、お前たちは俺の指示通りに動け。ただし……」


ユウは、特にカインの目を真っ直ぐに凝視した。


「一番重要なのは『勝ちすぎないこと』だ。不自然に連勝したり、欲をかいて大勝負に出れば、情報の主に会う前に胴元に目をつけられて路地裏で消される。いいか、適度に負けて、目立たないように少しずつチップを増やす。それが鉄則だ」


「……分かってるって。計算は任せるから、俺は適当に遊んでるふりをすりゃいいんだろ?」


カインは軽く口角を上げて頷いた。だが、その瞳の奥には、退屈な探索で溜まった鬱憤を晴らし、大金を手にするかもしれないという、博打特有の熱が僅かに燻り始めていた。



そして迎えた、決行の夜。

再び『黒曜の杯』の扉をくぐったのは、三人の「余所者」だった。場内は昨日にも増して熱気に溢れていた。


ユウの作戦通り、今夜はカインが卓に座り、ユウは背後から肩や背中を叩くサインで指示を出す手はずだ。アルトは無言のまま、少し離れた場所で周囲を警戒している。行商人の一族として育ったカインは、「金を持て余した遊び人」の演技を見事にこなしていた。


序盤は完璧だった。

ユウは場に出るすべてのカードを脳内の帳簿に刻み込み、確率の波が自分たちに傾く瞬間を待った。ユウの指示に従い、カインは適度に負けを装いながらも、着実に手元のチップを増やしていく。予定が狂い始めたのは、中盤を過ぎた頃だった。


順調にチップが積み上がっていくのを見たカインが、ユウからの「そろそろ切り上げる」という合図を無視し始めた。

カインはユウから教わった「カードの偏り」の理屈を、大胆に解釈していた。


(……ユウの顔色からすると山札にはもう、高い数字しか残ってないはず。だったら、ここで一気に勝負を決めれば、この先の金に困ることはねぇ……!)


カインの前に積まれていたチップの山が、一気に卓の中央へ押し出される。


「よし、俺のツキは最高潮だ! ここにあるチップを全部張らせてもらうぜ!」


その声が賭場に響き渡った瞬間、ユウは背筋が凍るのを感じた。

カインは、ユウが昨夜警告した「目立たない」というルールを、自らの勝負勘――

をあるいはアルトへの忠義心ゆえの暴走で、踏み越えてしまったのだ。ディーラーの額から脂汗が流れる。

めくられたカインのカードは、完璧な『二十一』。

圧倒的な勝利。だが、その場に上がったのは歓声ではなく、冷や水を浴びせられたような不気味な静寂だった。


「……おい、田舎者が随分と派手にやってくれるじゃねぇか」


卓を囲んでいた胴元の男たちが、無言のまま立ち上がった。周囲の警備をしていた大男たちも、腰の剣に手をかけながらカインたちを包囲する。


「うちの店でそんなに勝ち続けて、タダで帰れると思ってんのか、あぁ?」


一触即発の事態。アルトが即座にカインの前に立ち、腰の剣の柄に手をかけた。フードが僅かに揺れ、その下から鋭い殺気が放たれる。その時、地下室のさらに奥、重厚な扉が静かに開いた。


「やめなよ。見苦しいねぇ……」


その声は、暴力の匂いが充満する地下室にはあまりに場違いなほど、澄んでいて、どこか浮世離れしていた。

殺気立っていた男たちが、弾かれたようにその場に直立不動の姿勢をとる。現れたのは、一人の青年だった。

年齢は二十代の半ば。身長はそこまで極端に高くはないが、驚くほど細身で、肌は透き通るように白い。深い紫色をした髪が肩で揺れ、同じ色の瞳は、感情を一切映さない鏡のように静まり返っていた。

清潔感溢れる身なりは、泥水のようなこの地下街にはあまりに不釣り合いだ。だが、彼が歩くたびに周囲の荒くれ者たちが怯えたように道をあける様子は、彼がこの場所の「絶対的な支配者」であることを物語っていた。


「ヴェイン……しかし、こいつら明らかに……」


顔に傷のある大男が弁明しようとするが、青年――ヴェインが視線を向けただけで、男は言葉を飲み込み、頭を下げた。


「ボクの店で、随分と派手にやってくれたねぇ⋯⋯」


母音を奇妙に強調する、独特の話し方。

ヴェインは淀みない足取りで卓に近づき、カインの前に積み上がったチップを一瞥した。そして、その視線はゆっくりとカインから、その後ろで一切の表情を変えずに立っているユウへと移った。


「キミ……面白いねぇ。ただの運じゃない。盤面の底が見えてる目だ」


ヴェインは薄く唇を歪め、中性的な笑みを浮かべた。


「そのチップを持って帰るか、それともボクと別のゲームをするか。……少し奥で話そう」


それは提案の形をとった、有無を言わさぬ招待であった。

ユウは無言でアルトとカインに目配せをし、ヴェインの指し示す奥の部屋へと歩みを進めた。ここから先は、数字の計算ではなく、情報と命を天秤にかける真の博打が始まる。

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