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王都

宿場村ファルケンの朝は、重く湿った霧がすべてを覆い隠していた。

立ち並ぶ家々の輪郭は曖昧にぼやけ、冷え切った大気が肺の奥を刺すように冷やす。村の広場の中央には、荷を積み上げた一台の馬車が停まっていた。


「準備はいいかい、若いの。王都までは二日の辛抱だ」


声をかけてきたのは、商人サイラス・ハクスターであった。

少し突き出た腹を揺らし、使い古された革の帳簿を小脇に抱えたその姿は、利益と損失の狭間で老獪に生き抜いてきた「商売人」そのものだ。


このサイラスという男との交渉をまとめ上げたのは、カインであった。

カインには、相手の欲しがっているものを見抜く天性の嗅覚がある。彼は昨日、村の酒場でサイラスが王都までの道中で人手を欲していることを察知し、持ち前の人当たりの良さと弁舌で、自分たちの同乗を認めさせたのだ。


「ああ、世話になるよ、サイラス。約束通り、道中の荷運びは俺たちが引き受ける」


カインが快活に応じると、サイラスは満足げに鼻を鳴らした。

ユウは、そのやり取りを少し離れた場所から静かに見守っていた。

隣に立っているアルトは、慣れない奉公人風の服に身を包み、緊張した面持ちでフードを深く被っている。その凛とした佇まいは、煤で汚した顔をしてもなお、育ちの良さを隠しきれていない。


「いいか、アルト。今日からお前は商家の奉公人だ」


ユウの言葉に、アルトは短く頷いた。


「……わかっている、ユウ。いや、兄貴。今は耐える時だ」


馬のいななきと共に、木製の車輪が鈍い音を立てて動き出した。

三人は積まれた荷の間に身を沈め、揺られ始める。

王国の中枢――かつての輝きが、今や不穏な熱を帯びる王都への道程が始まった。



馬車が街道をゆく間、ユウは御者台の背後からサイラスに言葉を投げかけ続けた。

商人は情報の宝庫だ。サイラスとの対話は、ユウにとって王都の現状を正確に把握するための、極めて重要な偵察だった。


「サイラス、最近の王都はどうなんだ? 景気がいいという話も聞く」


ユウの問いに、サイラスは苦い顔をして振り返った。


「景気、ねぇ……。表面上は賑やかだよ。特に最近は、東のルーヴェルから『英雄』様が凱旋したってんで、貴族連中はお祭り騒ぎさ」


「英雄……セリオス・レイヴァルトのことか」


アルトの膝が、ピクリと動いた。ユウはその手を静かに制する。


「そうさ。ルーヴェルの若き麒麟児、セリオス様だ。帝国軍を退け、王国を救った知勇兼備の将。今や王都の社交界じゃ、彼を婿に迎えたいって公爵夫人が列を作ってる。第一王子のダリウス様も、彼を相当に重用しておられる」


「……兄上が、王国を守った……?」


アルトの声が、怒りで僅かに震える。


「表向きは、な」


ユウはサイラスに聞こえないほどの囁き声でアルトを諭した。


「セリオスは完璧に立ち回ったんだ。レオニード様と父上の死を『悲劇的な犠牲』として演出し、自分をその逆境を撥ね退けた『救世主』に仕立て上げた。民衆は常に分かりやすい英雄を求めている。真実など二の次なんだ」


「……ふざけている」


「ああ、全くだ。だが、これが現実だ。今の俺たちが『セリオスは裏切り者だ』と叫んだところで、負け犬の戯言として片付けられるのが関の山だ」


サイラスは、後ろの若者たちが抱える暗い激情に気づく様子もなく、話を続けた。


「だがな、兄ちゃん。光が強ければ影も深い。ダリウス王子が軍備拡張のために重税を課し始めてから、下々の暮らしはカツカツだ。俺みたいな小商人は、関所を通るたび、役人に鼻の穴まで調べられて賄賂を要求される始末さ。王都は今、いつ火がついてもおかしくないくらい不満が溜まってるよ」


ユウはサイラスの言葉を、脳内の地図に克明に書き込んでいった。

武闘派のダリウス王子による強引な統治。英雄として祭り上げられたセリオス。そして、重税に喘ぐ民衆。

第一王女リシェル・アルセリア・レイヴァルトが、なぜ表舞台から姿を消しているのか。その力学を読み解くことが、これからの鍵となる。


二日間の旅路の間に三人はサイラスから、王都の物価や、裏通りで流行っている博打まで、ありとあらゆる情報を引き出した。


二日後の昼時。

視界を遮っていたなだらかな丘を越えた瞬間、それは現れた。


「……あれが、王都レイヴァルト」


アルトが、思わず息を呑む。

見上げるような白亜の城壁が、地平線の端から端まで続いていた。陽光を反射して輝くその壁は、外敵を拒む絶対的な拒絶の象徴であると同時に、王国の繁栄をこれでもかと誇示していた。城壁の向こうには、いくつもの尖塔が空を突き刺すように立ち並び、その中心には王家の居城『ヴァレリウス宮』が鎮座している。


城門の前には、長蛇の列ができていた。重武装の衛兵たちが、一台一台の馬車を念入りに調べている。


「いいか、余計なことは喋るな。俺に任せろ」


サイラスが御者台で緊張を露わにする。

一行の番が来た。槍を手にした衛兵が、鋭い視線で荷台の隅々まで覗き込む。


「ハクスターか。また仕入れか?」


「へい、役人様。今回は東の特産品と……それから、田舎から出てきた見習い三名です。雇ってみようと思いまして」


サイラスが慣れた手つきで、袖の中から数枚の銅貨を衛兵の手に滑り込ませた。

衛兵は手のひらで硬貨の感触を確かめると、鼻を鳴らしてアルトたちの顔を一瞥した。


「せいぜい城壁を汚さないように精を出すんだな。通れ!」


重い鉄の扉が軋んだ音を立てて開き、馬車がゆっくりと城内へ進む。

門をくぐり抜けた瞬間、彼らは「外の世界」とは完全に断絶された、巨大な迷宮へと放り込まれた。



王都の空気は、これまで見てきたどの街よりも密度が濃く、重たかった。

中央大通りは磨き上げられた石畳で覆われ、行き交う豪華な馬車、色とりどりの衣装を纏った貴族たち、そして活気に溢れる商店の呼び声が響き渡る。


しかし、一歩その華やかな通りから目を逸らせば、別の現実が顔を出す。

建物の影には、怪我をして動けない退役兵や、痩せこけた子供たちが蹲っている。華やかな装飾の下に、隠しきれない貧困と、出口のない不満が淀んでいるのが見て取れた。


「……ルーヴェルよりも、ずっと綺麗だ。でも、ずっと冷たい」


アルトの呟きは、この巨都の正体を射抜いていた。

サイラスの馬車は、中央の繁華街を避け、北西に位置する下層街へと向かった。

そこは王都の「食堂」とも呼ばれる場所だ。食料品や日用品の集積地であり、同時に安宿や酒場が密集する場所でもある。


「さて、兄ちゃんたち。俺の店はこの先だが、あんたたちが泊まれる宿を紹介してやろう。安いが、壁だけは厚いのが自慢のところだ」


紹介されたのは、下層街の路地裏にある『片翼の燕亭』という名の宿だった。

看板の文字は半分剥げかかっていたが、女主人の老婆はサイラスの顔を見るなり、二階の奥まった部屋を三人に貸し出した。


「アルト、カイン。荷物を置いたら、まずはこの周辺を歩くぞ」


ユウが告げると、アルトは窓から見える遠くの王宮をじっと見つめながら、拳を固めた。


「ユウ、今すぐにでも城へ行きたい。兄上たちの生存を……セリオスの裏切りを、国王陛下に直接訴えれば……」


「駄目だ」


ユウは遮るように言った。その声は冷淡なまでに落ち着いていた。


「今の俺たちは、指名手配されていないだけだ。城門まで行けば、リシェル王女に会う前にダリウス王子の私兵に捕まり、音もなく消される。いいか、ここは戦場だ。剣ではなく、いかに『知恵』で人を動かすかがルールになる」


アルトは悔しそうに唇を噛んだが、やがて静かに目を伏せた。


「……そうだね。君の指示に従おう」


せっかく王都に入ったのに目的を果たせないことで少し気落ちしていたアルトをよそ目に、同時に動いているもう一人の人物が明るく二人へと声を掛けた。


「まずは……金だな。もう財布がカツカツだからな。俺は金を稼げるところと街の様子を探るためにも情報収集がをしてくるよ」


そう言うと、カインは颯爽と部屋を飛び出した。生活するためのお金に困ったことがない青年は先ほどまでとは表情を変えて、ユウへ行動をするための提案をする。


「僕たちもお金を稼ぐ方法を見つけないとね」


「そうしよう、どこかあるといいんだが……・」



その後、ユウとアルトは二人で城下町を探索した。

目的は、今後の活動資金を稼ぐ手段を見つけるためだ。市場を歩き、物価を調べ、人々の様子を観察する。

そんな中、彼らは偶然にも、ある一軒の店の前で足を止めた。看板には、天秤と馬車を組み合わせた紋章が描かれている。


――ハクスター雑貨店


「あ、サイラスの店だ。どうせ伝手もないんだし、彼なら何かいい仕事をしっているかもしれない」


ユウはアルトのその言葉に頷き、二人で店の中へ入っていった。

店内は、お世辞にも整理されているとは言い難かった。

棚には各地から集められたと思われる品が溢れ、床には未開封の箱が散乱している。奥のカウンターでは、サイラスが山のような羊皮紙を前に、頭を抱えて唸っていた。


「……ううむ、合わん。どう計算しても、税金の額で利益が全部飛んじまう。これじゃ仕入れもできねぇ……」


サイラスは、二人の入店に気づかないほど、計算に没頭していた。

ユウはカウンターに近づき、彼の手元にある羊皮紙を覗き込んだ。そこには、複雑に絡み合った取引の記録が、無秩序に書き殴られていた。


「サイラス。難航しているみたいだな」


ユウの言葉に、サイラスは驚いたように顔を上げた。


「お、おお! 兄ちゃんたちか。悪いな、商売の愚痴を見せちまって。王都の役人が出す税の計算が、あまりに複雑でね……。あいつら、わざと間違えさせるように作ってやがるんだ。間違えたら、高額な罰金だ」


ユウは、その羊皮紙を指先でなぞった。

サイラスが頭を抱えている原因は、整理の仕方が悪く、本来払わなくてよい税金まで計算に含めてしまっていることだった。

この世界では、商売の記録は「売れた金額」をただ並べて書くのが一般的だ。しかし、それでは「いくら使って、いくら儲けたか」が曖昧となる。その上、ダリウス王子が定めた税制では、生活に欠かせない麦などの穀物は税が安く、贅沢な酒や煙草などは税が高い。さらに、「商品を仕入れるために使った金」には税がかからない決まりがある。

サイラスは、すべての商品を同じ税率で計算し、さらに仕入れにかかった経費まで「利益」として役人に報告しようとしていたのだ。これでは、稼げば稼ぐほど税金で赤字になってしまう。


「サイラス。その帳簿を俺に貸せ。手伝ってやるぞ」


「え? いや、兄ちゃん、これは並の計算じゃ無理だぞ。何人も専門家を雇って、一週間はかかる代物だ」


「俺は、もっと簡単な整理の仕方を知っているんだ」


ユウはサイラスの手にあったペンを取ると、新しい羊皮紙を広げた。

彼はまず、紙の中央に一本の線を引いた。左側には「入ってきた金(売上)」を、右側には「出ていった金(仕入れや運賃)」を分けて書き出す。


「アルト、お前はこっちの伝票を、食べ物とそれ以外に分けて読み上げろ」


「わかった。……麦、銅貨五十枚。……布、銀貨三枚」


アルトが読み上げる数字を、ユウは一切の澱みなく羊皮紙に記入していく。

ユウのやり方は、複雑な制度を逆手に取るものだった。税金の安い商品から優先的に「仕入れの金額」を差し引くことで、法的に最も納税額が低くなるよう、数字を綺麗に並べ替えたのだ。

一時間も経たないうちに、ユウは最後の額を導き出した。


「終わった。これが今月の正確な売上で、こっちが役人に払うべき正当な税の額だ。お前が計算していた額より、ずっと安くなったな」


サイラスは、差し出された羊皮紙を震える手で受け取った。彼は、書かれた数字を何度も何度も、自分の指でなぞる。


「……信じられん。正確だ。それどころか、俺が気づかなかった仕入れの漏れまで指摘されてる……。兄ちゃん、あんた、一体……」


サイラスが顔を上げ、ユウを畏怖の混じった目で見つめた。


「あんたみたいな頭の回る人間、王都の役人にもいねぇぞ。……いや、下手をすれば、王宮のどの学者よりも論理が速い」


「……少し、計算が得意なだけだ」


ユウは平然を装いながら、ペンを置いた。その態度の青年にサイラスは、深々と何度も頭を下げた。


「助かった、本当に助かった! これで店を畳まずに済む。……そうだ、これはお礼だ。受け取ってくれ」


サイラスはカウンターの奥から、ずっしりと重い皮袋を取り出し、ユウの手に握らせた。


「金貨二枚と、銀貨が数枚だ。今の俺にできる精一杯だ。それと……あんたたちが王都にいる間、俺の持っているコネクションは全部貸してやるよ。何か困りごとがあれば、いつでも来てくれよな」


ユウはその皮袋を受け取ると、そのままアルトへと手渡した。


「当面の軍資金は、これで足りそうだな」


アルトは金貨の重みを確かめながら、ユウの横顔をまじまじと見た。


「……ユウ。君は、本当に魔法使いか何かなのか? 剣も使わず、ただ数字を書くだけで、こんなに……」


「言っただろう。ここでは、剣よりも知恵が武器になるんだ」


そういったユウの表情はどこか得意そうであった。青年はサイラスに向き直り、核心を突く質問を投げかけた。


「サイラス。この街で一番、リシェル王女の動向に詳しい場所を知ってるか?」


サイラスは、少し考えた後、声を潜めて答えた。


「……表の場所はわからん。だが、下層街のさらに奥にある地下賭場はどうだい? そこには、王宮の者や、事情に詳しい連中もよく出入りしている。情報の量で言えば、王都で一番集まる場所かもしれん」


「地下賭場、か」


ユウは、何かを思いつき企んだようで、唇が自然と弧を描いていた。


「いい場所だ。……アルト、今日は帰ろう。次は、この金を『倍』に増やす方法を考えなきゃならない」


そう告げると、ユウはお店の入口に向かって歩きだしていた。アルトは、青年の発言と行動に唖然としていた。


「え……? また、何か思いついたのかい? 」


「面白いことを思いついたんだよ……。 今日はひとまず帰ろう。 」


夕闇が迫ってきた王都レイヴァルト。

巨都の長い影が伸びる中、三人の逃亡者たちは次なる戦場――

欲と情報が交錯する地下の世界へと、静かに足を踏み出そうとしていた。

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