突破
アルト、ユウ、カインの三人は、シグルドが率いる百騎の精鋭と共に、街道を封鎖する巨大な「盾」
――賊軍、自由の盾の包囲網へと向かっていた。
背後では、レイヴァルト家の誇りを背負ったレオニードたちが、帝国軍の三千を相手に死地を切り開いている。眼前にあるのは、一千を超える敵軍の分厚い壁だった。
馬を並走させるシグルドが、雨飛沫を散らしながら、咆哮のような声を上げた。その双眸は、老齢を感じさせぬ鋭い光を宿している。
「お二方、そしてカイン殿! このシグルドが、皆様の退路を切り開きます。案ずることはありませぬ!」
その言葉に、泥を顔に浴びながら、アルトが必死に問い返す。手綱を握る指は雨で冷え切り、感覚を失いかけていた。
「どうやって突破するんだい!? 敵の数は一千を超えているんだよ! 正面からぶつかれば、僕たちは一溜りもない!」
「これだけの包囲だぞ。突破するだけでも、一苦労どころの話じゃない」
ユウも冷静に、だがその声には隠しきれない焦燥が混じっていた。前方に広がるのは、街道を完全に封鎖し、幾重にも重なる槍の穂先を突き出した不気味な陣形だ。泥濘の中、重装の兵たちが肩を寄せ合い、逃げ場を塞いでいる。
シグルドは馬上から背中の大剣を静かに、しかし確実な意志を持って抜き放った。霧の向こうの敵陣を見据えるその姿は、荒れ狂う嵐の中の岩山のようだった。
「お二方、このような状況では下手な小細工など不要です。戦略も、戦術も、この泥濘の中では意味をなしませぬ。やるべきことは、ただ一つですよ」
一拍。シグルドは馬上から武器を正面上段に構えた。その瞬間、彼を中心とした空気の震えが変わった。雨音さえも一瞬、その威圧感に押し黙る。
「ただ、ひたすらに⋯⋯推して参る!!」
シグルドが叫ぶ。その声は雷鳴のように轟き、若者たちの背中を強烈に押し出した。カインが横で不敵に、そしてどこか清々しそうに笑った。
「さすが『鉄槌』様、歳をとっても伊達じゃないねぇ。……よし、ついて行くぞ!」
シグルドが咆哮と共に拍車をかけると、百騎の精鋭が弾丸となって賊軍の先陣へ突っ込んだ。
「自由の盾」の前線は、元傭兵や逃亡兵で構成された厚い長槍の森だった。まともに突っ込めば串刺しは免れない。しかし、シグルドは「鉄槌」と呼ばれるその苛烈な心構えを剥き出しにした。
彼はかつて、敵であろうと味方であろうと、戦場の理を乱す者、信念を曲げる者に容赦のない裁きを下してきた。その鋼の如き一徹さが「鉄槌」という異名の由来だ。
彼が振るう大剣は、ただの鉄塊ではない。王国の未来を守るという、絶対に折れぬ意志の体現だった。
その一振りで、十数本の長槍をまとめて叩き折り、賊軍を泥の中へ沈める。シグルドの突進が敵の戦列に無理やり風穴を開けていく。
そこへ、左右から統率の取れた部隊が包囲を狭めようと立ち塞がる。その指揮を執る二人の顔ぶれを見た瞬間、アルトの心臓が大きく跳ねた。
「なぜ、君たちがここに! 君たちは牢獄にいたはずじゃ!!」
かつてアルトたちが砦で死闘の末に捕らえた、元帝国兵のガルド。そして、赤髪を雨に滴らせたリズだ。
セリオスの反乱による混乱の中、彼女たちはルーヴェルの監獄から解放され、今や自由の盾の将として立ち塞がっていた。
「お坊ちゃん。今は俺たちが『ルーヴェルの軍団』なのさ。かつての立場は逆転したんだよ」
ガルドが冷徹に告げ、隙のない構えで槍を突き出す。隣でリズが、挑発するように赤い髪を払い、不気味に目を細めた。
「あら? あんたは⋯あの時は世話になったね。まさかこんな場所で再会するなんて、運命を感じるじゃないか」
「悪いが、急いでいるから見逃してくれると助かる。お前らと遊んでいる暇はないんだ」
ユウが短く、冷ややかに応じる。しかし、リズの瞳に宿る暗い愉悦の炎は、雨の中でも消えることはなかった。
「それは⋯⋯できない相談だね!! 全員、一歩も通すんじゃないよ!」
リズの鋭い叫びと共に、伏せていた弓兵が一斉に矢を放つ。だが、シグルドの突進はその隙すら与えない。シグルドはガルドの槍を剣腹で強引に弾き飛ばし、その勢いのまま前線の中心を力業で食い破った。
「御三方! 止まっては死にますぞ! 駆け抜けなさい!」
シグルドに導かれ、一行は敵陣中衛へと雪崩れ込む。
そこで待っていたのは、山賊の首領ヴァルグ・ドレイヴンだった。彼は大剣を肩に担ぎ、馬上のアルトたちを見て皮肉げに口角を上げた。その左頬の傷跡が、雨に濡れて白く浮き出ている。
「よう、坊っちゃん。こんな泥遊びに付き合わされて災難だったなぁ。だが、ここが終着駅だぜ」
ヴァルグの合図で、左右から屈強な兵が雪崩れ込んでくる。シグルドの大剣とヴァルグの得物が馬上で激突し、凄まじい火花が雨飛沫を蒸発させた。
「退けェいッ!」
シグルドの咆哮。
「ぐっ……相変わらずの剛腕だ」
ヴァルグは顔を歪めながらも、巧みに馬を操り、シグルドの攻撃を凌ぐ。二人の間では、激しい剣劇が馬上という不安定な足場で幾合も繰り返された。シグルドの剣がヴァルグの鎧を削り、ヴァルグの刃がシグルドの肩をかすめる。
「若者の道、ここで絶やすわけにはいかん⋯⋯! この者たちが王国の希望なのだ!」
「俺も、ここを通すわけにはいかねぇんだよ! 俺たちにだって、守らなきゃならねぇ居場所があるんでね!」
シグルドは、ヴァルグの剣捌きにわずかな違和感を覚えた。泥臭い山賊の動きの中に、洗練された騎士の理が混じっている。
「ほう⋯⋯お主やりおるな。どこかで⋯⋯その剣筋、見覚えがあるぞ」
「過去のことはどうでもいいんだよ! 覚悟しな! 鉄ッ槌ぃ⋯⋯!!」
ヴァルグが捨て身の勢いで斬りかかる。シグルドはそれを受け止めるが、突破の勢いが削がれたのは事実だった。
その僅かな停滞を逃さず、後方からはガルドとリズの部隊が再び距離を詰め、アルトたちは文字通り袋の鼠になろうとしていた。周囲は完全に「自由の盾」の兵で埋め尽くされ、シグルドの武勇をもってしても、完全に足が止まれば数に飲み込まれるのは時間の問題だった。
「くそっ、囲みがきつい……! このままじゃ……」
カインが絶望を口にしそうになった、その時だった。
「アルト! 行け!」
「ここは俺たちが引き受ける! 止まるな、走れ!」
アルトたちの背後を守っていた、士官学校の学生たちが叫んだ。
彼らは自らの命を顧みず、馬を反転させると「死兵」となってヴァルグの部隊、そして追いついてきたガルドたちの部隊へと突撃を開始した。
かつて同じ教室で学び、共に飯を食い、競い合った友たちが、泥を跳ね上げ、盾で敵の刃を受け止め、道を作るためだけに散っていく。槍に突かれ、落馬し、それでも尚、敵の足に縋り付いて時間を稼ぐ。
「お前ら……止めるんだ! 全員で逃げるんだ!!」
アルトの絶叫を、シグルドの断腸の合図が塗り潰す。
「振り返ってはなりませぬ! 彼らの魂に背く気か!」
ヴァルグの包囲網が、学生たちの献身によって一瞬だけ崩れた。包囲の切れ目、森へと続く獣道のような僅かな隙間が、雨のカーテンの向こうに顔を出す。
「逃がさないよ!」
出口付近にいた魔導兵が杖を掲げた。
「焼き尽くせ! 紅蓮の槍よ!」
放たれた火炎の魔法が、激しい雨さえも一瞬で蒸発させるほどの高熱を放ち、一条の光となってアルトの背中を襲う。
だが、逃げるアルトを追い抜くように、ユウが馬上から身を乗り出した。彼は一切の恐怖を見せず、その炎の槍を「掴む」ように右手を振るった。
――戦場にはそぐわない、
硝子が砕け散るような透明で異質な音が響いた。
放たれた絶大な魔法の炎は、ユウの右手に触れた瞬間にその構造を破壊され、灰色の塵となって、音もなく霧散した。
「なっ……!? ま、魔法を、素手で……壊したのか!?」
魔法を放った兵士が驚愕に目を見開く。その様子を後方で見ていたヴァルグが、忌々しげに、しかし確信を持って叫んだ。
「魔法なんか使うんじゃねぇ! アイツには魔法は意味がねぇんだよッ! 物理で叩け!」
ヴァルグの警告も虚しく、その常識を超えた事象が生んだ一瞬の空白。それを突き、アルト、ユウ、カインの三人は、泥を跳ね上げながら包囲網の外へと飛び出した。
「さらばですぞ……若き獅子たちよ!」
背後で聞こえたシグルドの最期の激励。
叩きつける雨の中、三人は深い森の闇へと消えていく。背後からは、自分たちを逃がすために戦い続ける仲間たちの叫び、兵士たちの怒号、そしてシグルドの咆哮が、激しい雨音に混じっていつまでも、いつまでも響き続けていた。
アルトの目からは、雨に混じって熱い涙が溢れ出していた。
守られてばかりだった自分。失ってばかりの現実。だが、馬を止めることは許されない。託された命の重みが、彼を前方へと駆り立てる
三人が背負ったのは、重すぎる命の灯火と、兄から継いだ獅子の誇り。
逃亡者は、濁流のような運命を越え、まだ見ぬ目的を目指して歩みを進めていく。




