凶報
屋敷の空気は張り詰めていた。
夜の静けさはすでに消え、代わりに慌ただしい気配が満ちている。
廊下を行き交う足音は早く、抑えられているはずの声も完全には隠しきれておらず、異常は明らかだった。
アルトは足を止めない、その横にユウが並ぶ。
二人とも息は乱れていないが、歩みは速い。
案内された広間の扉が開かれると、室内の空気をそのまま感じる。
室内は血とそれを打ち消す薬草の匂いが混ざっていた。
中では使用人たちが忙しなく動いている。
寝台の周囲には人が集まり、低い声で指示が飛んでいた。
その少し離れた位置に、もう一人の姿がある。
――グレイだった。
壁に背を預けるように立っている。
衣服は乱れており、肩口には血の跡が残っている。
深手ではないが、無傷とは言えない状態だった。
「⋯⋯グレイッ!!」
アルトは咄嗟に声を張り、その人物のもとへと駆けていく。
声に気づいたグレイはゆっくりと重いまぶたを上げた。
視線がアルトへ向いている。
いつもの落ち着きはあるが、わずかに疲労がにじんでいる。
「……おや、想定より早いですな⋯⋯」
かすかに口元が動く。
普段と変わらない調子を保とうとしているのが分かる。
アルトはその痛々しい姿を直視して、短く問う。
「大丈夫かい⋯⋯」
「腕が衰えました⋯⋯この程度で不覚を取るとは」
冗談のような言い方だった。
だが、その裏には役目を果たせなかった不甲斐なさを隠しきれていない。
「それよりも――」
グレイの視線が、室内の奥へと向く。
「セリオス様が重傷を負われました」
「そして……セシリア様とエリナが」
そこまで言って、言葉が途切れる。
グレイはゆっくりと目を閉じた。
その一瞬が、起きた事件の激しさを物語る。
「……どこだ」
ユウの声が、周囲の凍りついた空気を震わせる。
怒りと焦燥が混じり、彼の周囲だけ温度が下がったかのようだ。
ユウが強引に歩んだ先の寝台に横たわるのは、セリオスだった。
上半身には包帯が巻かれ、血が滲んでいる。
顔色は悪いが、幸いなことに意識はある。
だが明らかに無理をしている状態だった。
その傍らに、一人の女性が立っている。
――カリナ・エルフェルト。
整えられたダークブラウンの髪。端正だが鋼のような厳しさの顔立ち。
その目は冷静で、状況を正確に把握していた。
アルトとユウが近づくと、カリナが一歩前に出る。
「お二人とも、こちらへ」
無駄のない声だった。
感情は抑えられているが、緊張は確かにある。
「セリオス様は、発話を控えるべき状態です」
「状況は、私から説明いたします」
負傷者に選択肢は不要という口調だった。
その言葉にセリオスは口元だけを僅かに動かす。
「……冷たい⋯⋯なぁ⋯⋯、カリナ」
「事実です、無駄な発言は傷に響きます」
セリオスの声は掠れており、はっきりと言葉を聞き取れない。
それでも軽口は崩していなかったが、カリナは冷酷に言葉を告げる。
それは彼女なりに主を活かそうとする献身でもあった。
「襲撃は、計画的でした」
カリナは淡々と、重い事実を突きつける。
「夜間、警備の薄い時間を狙われました」
「屋敷の複数方向から同時に侵入」
「内部構造を、把握していないと不可能な動きです」
「セリオス様、グレイ様、使用人にて迎撃はしましたが」
「あくまで囮だったと見られます」
わずかな間のあとに、2人が一番聞きたくないことを突きつけた。
「⋯⋯その隙に、セシリア様とエリナ様が連れ去られました」
言葉は静かだったが、確定している。
ユウの拳は音が鳴りそうなほどに強く握られている。
呼吸が浅くなり、視線が揺れている。
「……くそ」
抑えきれない一部の声だけが漏れてしまう。
だが、それ以上は言わない。
言葉にすれば崩れると分かっている。
セリオスがわずかに視線を向ける。
「……悪い」
小さな声だった。
「守り⋯⋯きれ⋯⋯なかった」
二人に対して申し訳なさそうに呟いた。
ユウの中で、何かが切り替わった。
疑いは消え、残ったのはやり場のない怒りだけ。
(……疑ってたのは、俺か)
誰にともなく呟いた。
室内に短い沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは、別の報せだった。
激しい足音が部屋の外から近づいていることが分かる。
「き、⋯⋯急報ですッ⋯⋯!」
使用人が叫びながら屋敷内へ駆け込んでくる。
自然と皆の視線が報告者へと集まる。
「⋯⋯れ、レオニード様より伝令」
「東の国境にて、帝国軍が侵攻を開始!」
「既に越境しており、わが領土へと進軍中です」
アルトの目が鋭くなる。
その瞳は獣のように細められた。
「……早すぎる。何もかもが」
カリナが即座に言葉を続ける
「関連性は、もはや疑いようもありません」
「館の襲撃と帝国の侵攻。これらは一つの『軍事行動』です」」
セリオスはわずかに目を開き、苦しい状況でも日頃の様子を貫く。
「……間に合った⋯⋯ってところかな」
「露骨⋯⋯すぎるがね⋯⋯」
「はい、疑いようはございません」
カリナは感情を押し殺しながら視線を落としている。
セリオスはわずかに息を整えて、アルトとユウを見据えた。
「シグルド卿へ⋯⋯」
「兵を⋯⋯動かせ⋯⋯るのは、あの人だ⋯⋯」
二人に託して満足したセリオスは目を閉じた。
カリナが即座に頷く。
「承知しました」
そして、アルトとユウを次の行動を促す。
「ここは現場に任せましょう」
「医師と残存戦力でこの場を維持してもらいましょう」
一歩踏み出し、主からの命を果たす。
「私と、アルト様、ユウ様でシグルド卿の元へ向かいます」
「⋯⋯猶予はありません」
判断が早く、迷いは少ない。
その決断にアルトとユウは即座に頷いた。
その場を離れようとした時に、セリオスは目を閉じながら三人に今後を託した。
「頼んだよ」
三人はその言葉を背に広間を後にした。
カリナは振り返らずに、主人の命を果たすのみ。
動きは止まらない、状況はすでに次の段階へ進んでいる。
静かな夜は終わり、戦は再び動き出そうとしていた。




