陽動
森を抜け、視界の先にその廃墟群はあった。
かつて村だった場所は、今や「自由の盾」の残党たちが這いずる巣窟となっている。
その場へ足を踏み入れた瞬間に、戦いは始まった。
「……来たぞ!」
カインの声と同時に、壊れかけた家々の影から、血走った眼の男たちが次々と飛び出してきた。
彼らは獣のように声を上げて、廃墟の前庭へ突撃してくる。
「前列は盾を並べろ! 押し戻すんだ!」
アルトの号令が飛ぶ。
金属音が響き、士官学生たちの盾の壁が出来上がる。
そこへ、山賊たちの剣と斧が叩きつけられた。
火花が散り、重い衝撃音が森の静寂を切り裂いていく。
戦闘は一気に激化した。
残党たちの攻撃は、執念に満ちている。
刃が欠けようが、腕が折れようが、死に物狂いで盾の隙間に剣を突き立てる。
「貴族の犬どもが!」
罵声が飛び交い、鉄と汗、そして直後に立ち昇った血の匂いが鼻腔を突く。
カインは最前線で冷静に敵を捌いていた。
突き出された槍を半身でかわし、その石突を蹴り上げる。
体勢を崩した男の喉笛を、淀みのない一撃で断った。
「――崩れるな! 連携を維持しろ!」
アルトの剣が閃くたび、残党の血が石畳を濡らす。
だが、これほど激しい攻勢でありながら、カインの脳内には冷めた違和感が残り続けていた。
(激しい……だが、次がこない)
一人一人の殺気は凄まじい。
しかし、そこに組織としての「厚み」がない。
波のように押し寄せるはずの増援が、あまりにも薄い。
前線の背後からユウは状況を見つめていた。
廃墟の至る所で激しい白兵戦が繰り広げられているが、敵の数は増えるどころか、確実に底が見え始めていた。
(……動きが雑すぎる。ただ死んでいるだけだ)
アルトが中央で剣を構え直して、前方の廃墟の奥を睨む。
「……少なすぎる。残りの連中はどうした」
その言葉が落ちた直後、激戦の喧騒を切り裂いた。
やがて木々の奥が不気味に揺れて、一人の男が姿を現す。
無精髭が伸びており、左頬には深い傷跡がある。
残党を束ねていたのは、ヴァルグ・ドレイヴンであった。
彼は足元の配下たちの死体を見下ろし、わずかに口元を歪めた。
「……久しぶりだな」
低く、乾いた声が、激戦の余韻が残る廃墟の庭に響き渡った。
アルトは血溜まりを避けることもなく、一歩前へと出た。
手にした剣の切っ先はブレておらず、まっすぐにヴァルグの喉元を捉えている。
廃墟に満ちていた狂乱の熱が、この二人の間だけ急速に冷え込んでいくようだった。
「ヴァルグか」
「降伏しろ。ここで終わりだ」
迷いのない、冷徹なまでの声音だった。
対してヴァルグは、周囲の惨状など気にも留めない様子で軽く肩をすくめる。
「終わりか」
その言葉を舌の上で転がすように繰り返した。
「そう見えるか?」
周囲ではまだ、仲間たちのうめき声が響いている。
だが、男の声には微塵の焦りや敗北感も滲んでいない。
アルトは答えない。ただ静かに呼吸を整え、剣の柄を握った。
一瞬だけ、二人の間の空気が限界まで張り詰めた。
直後、ヴァルグが沈み込むような低い姿勢から一歩踏み込む。
先ほどまで死に物狂いで剣を振り回していた残党たちとは、次元が違う。
歴戦の泥水をすすった者だけが持つ、無駄を削ぎ落とした剣の軌道。
分厚い刃が、風を裂いてアルトの首を刈り取りにくる。
だが――。
アルトはそれを正面からは受けなかった。
甲高い金属音が、廃墟の空気をびりりと震わせる。
力でねじ伏せるのではなく、剣で滑らせるように衝撃を殺した。
そして、その時の隙を見逃さず、流れるような踏み込みと同時に刃を返した。
その反撃に、ヴァルグは舌打ちとともに大きく後ろへ引く。
剣尖が外套を掠めたが、浅かった。
互いに決定打にはならないが、その一合のやり取りだけで十分だった。
ヴァルグは距離を取ったまま、小さく息を吐いて笑みをこぼす。
「なるほどな……多少は腕を上げたみたいだな」
その称賛に対し、アルトは構えを崩さない。
「次はないぞ」
短く、事実だけを言い切る。
ヴァルグはわずかに目を細め、視線を横へ流ふ。
突撃していた配下たちはすでに瓦解し、地面へ伏している。
残りの者も長くは持たないだろう。
「ここでやる意味はない」
あっさりとした、執着のない判断だった。
逃走の気配を感じ取り、アルトの目が細くなる。
「逃がすと思うのか」
追撃のために足に力を込めた瞬間、ヴァルグが皮肉げに唇を歪めた。
「焦んなよ」
血の匂いに混じって、低く這うような声が落ちる。
「もう動いてる」
その言葉に、戦場の空気がほんのわずかに揺らぐ感覚があった。
「時代がな」
言い切ると同時に、ヴァルグは大きく後退した。
決して背は向けず、アルトから剣の間合いを保ったまま。
廃墟の奥にある深い木立の影へと溶け込んでいった。
追撃に飛び出そうとした者たちを、カインの鋭い声が制した。
「追うな!」
その一言で、動こうとしていた隊員達の足が止まる。
主を失った残党たちはすでに戦意を喪失し、武器を落として崩れ落ちていた。
数分もかからず、廃墟の掃討戦は終わりを告げた。
「……撤退が早すぎるな」
アルトはヴァルグが消えた暗い森の奥を凝視したまま小さく呟いた。
その隣に、音もなくカインが歩み寄る。
「戦う気がなかった、あいつらには」
カインの視線は、足元に連なっている山賊たちの死骸に向けられる。
ただ眺めているのではない。
死体の体格、粗末な得物、そして何より少なすぎる「数」を脳内に記録する。
「……装備も練度も、報告にあった数とは程遠い」
「数も、せいぜい数十から百人規模だ」
「三百という数字はどこへ消えた?」
アルトがわずかに頷く。
その横顔は、勝利に浸っている様子が微塵もなかった。
「陽動か」
「ああ。言葉にするのは容易いが……」
「……露骨だな」
少し離れた位置で、ユウが落ち着いた声で言葉を落とす。
彼は微動だにせず、ヴァルグが去った方向を睨みつけている。その瞳の奥では、絶え間なく思考が火花を散らしていた。
「ここまで分かりやすく、俺たちをこの森の奥まで引きずり込んだ」
「まるで……“こっちに来い”と手招きされていたみたいだ」
カインの目が、獲物を狙う獣のように細くなる。
「……誘導か。だとしたら、奴らの本命は――」
その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
静まり返った森の静寂を切り裂き、乱れた足音が近づいてくる。
草木をなぎ倒し、泥を跳ね飛ばしながら走るその音は、追い詰められた生き物が発するような死に物狂いの響き 。
木立の向こうから飛び出したのは、アルトの屋敷の使用人だった。
整っていたはずの衣服は茨に裂かれ、顔面は泥と汗、そして恐怖で塗り潰されている。
彼はアルトの姿を認めるなり、糸が切れた人形のようにその場へ崩れ落ちる。
「アルト様……! アルト様……っ!」
喉を掻き切るような絶叫。
カインが即座に駆け寄り、その肩を掴む。
「何があったんだ。落ち着いて話せ」
「や、屋敷が……ルーヴェルの館が、襲撃を……っ!」
その一言が落ちた瞬間、周囲の空気が物理的な重圧を伴って凍りつく。
アルトの顔から一切の血の気が引き、彫像のような無機質な顔へと変わる。
「……落ち着け。何があった」
低く、圧を孕んだアルトの声に、使用人は血の混じった息を吐きながら言葉を告げる。
「セリオス様が……重傷……!」
「防戦に当たられたグレイ様も、深手を……っ!」
ユウの視線が、鋭いナイフのように使用人を射抜いた。
「次代の二人まで……? それで、他はどうした!」
「……セシリア様は……連れ去られ……」
使用人の声が震え、途切れる。
言い淀むその沈黙が、さらなる絶望を予感させた。
森の冷たい風が、不吉にざわめく。
「……それと――」
使用人の喉が、乾いた音を立てて鳴る。
「エリナも……混乱の最中に……姿を消されました……っ!」
言葉が途切れた。
その刹那、感情が爆発した勢いで、ユウが動いた。
「どこだ」
低い声には剥き出しの感情が、炎となって燃え盛っていた。
詰め寄られた使用人は、その殺気に激しくたじろぐ。
「ま、まだ……足取りすら、分かっておりません……!」
「……どういうことだ」
「屋敷に護衛がいて、攫われて行き先が分からないだと?」
ユウの呼吸が荒く、短くなる。
一歩、また一歩と踏み出す足が、山賊の死体を無慈悲に踏み抜く。
「見ていた奴らは何をしてた!なぜ守れなかった!」
「ユウ、止めろ」
カインが横からユウの腕を、鉄の枷のような力で制した。
「……っ!」
ユウは歯を噛み締め、カインの手を振り払おうとした。
しかし、悲しみを湛えた目を見て、辛うじて踏み止まった。
「……悪かった」
小さく吐き出された言葉は、自身の無力さに対するものであった。
アルトはすでに、視線を屋敷のある方角へと向けていた。
その瞳は、もはや絶望に揺らいではいない。
冷徹な決意だけが、そこに宿っていた。
「ルーヴェルに戻ろう」
即断だった。
「僕とユウで先行する。カイン、君はここに残ってくれ」
「負傷者の搬送と、戦後の整理を頼む」
カインは一瞬だけ、ユウの横顔を見た。
その瞳は今にも爆発しそうなその目の奥。
そこにある熱を確認し、短く頷く。
「……了解した」
返事を聞くより早く、ユウは地を蹴っていた。
「行くぞ!」
アルトがそれに続く。二人は一度も振り返らなかった。
枝を払い、地面を穿ち、最短距離で森を駆け抜ける。
ユウの脳内では、狂ったような速度で思考が暴れ回っていた。
(やられた……完全に、嵌められたんだ)
あの森での違和感。
ヴァルグの、あの嘲るような薄笑い。
そして「時代が動いている」という言葉。
そのパズルのピースが、今、最悪の形で組み合わさっていく。
(最初から、狙いは屋敷だったんだ……!)
喉の奥で血の味がした。
必死に走る二人の背後で、朝日は皮肉なほどに輝きを増す。
やがて、ルーヴェルの街が視界に入った。
しかし、そこはもう彼らが守るべき平穏な場所ではな。
何かが奪い去られた後の――静まり返った「戦場跡」だった。




