不穏
夜の街は静まり返っていた。
石畳には人影がなく、灯りだけがまばらに残っている。
裏路地に近い一角に、小さな家があった。
飾り気のない造りだが、内側はよく整えられている。
机の上には紙が広げられていた。
参加する人員の名簿、攻撃目標地点の周辺図とその補給経路。
カインは椅子に腰を下ろして、それらに目を通している。
指先で地図の一点をなぞる。
「……まだ三百人もいるのか」
小さく呟く、報告された敵の規模。
数字上ではこちらが少しだけ上とはなるが、その差はないものに等しい。
それ以外に引っかかるものがある。
「……早すぎる気もするが」
壊滅した直後の残党が、この規模でまとまるのは考えにくい。
普通なら逃げるか、潜むか、もしくはそのまま崩れていく。
そのどれでもない報告が届いた。
「逃げるにしては……整ってる」
言葉にしても腑に落ちない。
敵は整っているわけではないのに、崩れているわけでもない。
なんとも中途半端な状態だと認識する。
カインは背もたれに体を預けて、視線を上げる。
天井は何も語らない、自分が考えすぎているだけの可能性もある。
確かに戦場では情報が歪むことは珍しくない。
伝達の遅延や誤差もあることだ、それで片付く話にも見える。
「……いや」
小さく首を振って視線を地図へと戻す。
補給、行軍、撤退を順に確認していく。
数字は合っているし、配置にも無理はない。
穴という穴も見当たらない、それでも何かが引っ掛かる。
(⋯⋯最悪を前提に行動していく)
それが自分のやり方だ、決して勝つためではない。
(……誰も死なせないために)
低い声が落ち、わずかに間が空いた。
「……一人で十分だ」
かつて口にした言葉が脳裏をよぎる。
その結果も覚えている。
同じ選択は取ってはいけない。
結論は出ない、現場で確かめるしかない。
カインは立ち上がって、外套を手に取る。
灯りを落として、扉を開けた。
夜の空気の冷たさがひやりと肌に触れる。
路地に人影はなく、静けさだけが広がっている。
「……まあいい」
小さく、自分に言い聞かせるように呟く。
「行けば分かる」
それだけを残して、歩き出す。
違和感は消えないが、今は胸の奥に沈める。
夜明け前の空気は冷えを残している。
士官学校の前庭には人が集まり始めている。
装備を確かめる音と革紐を締める音が重なり、時折集まった者たちのざわめきが広がる。
笑い声はないが、沈黙でもない。
落ち着きようのない静けさが辺りを満たしていた。
カインはその中に立っている。
視線は隊列へ向けられている。
集まった人数、各々の装備と配置を一つずつ確認していく。
不足はなく、予定通りに準備は整っている。
「カイン」
背後から自分を呼ぶ声が聞こえる。
声のする方を振り返るとアルトがいた。
鎧や武具は手入れされているようで、既に指揮官の顔になっている。
その隣には、いつものようにユウが立っていた。
アルトはカインへと出立前の状況を確認した。
「準備は?」
「問題ない、皆すぐにでも出発できそうだ」
短いやり取りだが、それだけでこちらの状況は伝わる。
「今回の指揮は僕が取る」
いつものように彼が指揮を取り、皆が従っていく。
その事は分かっているのにお決まりのように聞いてくる。
「情報収集と全体の状況確認は任せたよ」
頼られる事は嫌いじゃなかった。
むしろ、信頼されていると思えばどこか心地よい。
「任せておいてくれ、いつものように帰るぞ」
そう、いつものように言葉を返す。
各人の役割は明確だった。
アルトが全体を指揮して、ユウが突拍子もない案を思いつく。
ユウの顔もカインと同じように何か感じている様子だった。
ユウはカインを見て、小さく息を吐いた。
「……気になることがありそうだな?」
同じような顔をしていたのだろう、何気ない問いだった。
ユウの視線はカインから外れない。
短い間が落ちたあとに、カインは一瞬だけ視線を返す。
「……いや、行ってみないと分からない」
それだけを伝える。
分からないのだから、現場で判断するしかない。
「そうか」
ユウはそれ以上踏み込まなかった。
やり取りは終わったが、何かがある。
三人の間に小さな引っかかりが沈んだままとなる。
やがて、アルトが号令をかける。
ざわめきが止まり、空気が一気に引き締まった。
一同が整列し、全員の姿勢が揃った。
様子を確認したアルトが前に出る。
「これより出陣する!」
普段よりも声が通っているように思える。
「目的は残党の掃討だ。残党だからといって油断はできない」
次の言葉を伝える前に、一拍置かれ。
「――行くぞっ!」
その一言で集団が動き出した。
足音が揃い、地面を踏みしめる音が連なる。
門が開き朝の日が差し込み、隊列が外へ流れていく。
ユウは前を見たまま、小さく息を吐いた。言葉にはしない。
アルトは迷わない、その背はまっすぐ前を向いている。
カインは後方で全体を見た、表情は変わらないがわずかに目を細めた。
(……何かがおかしい)
声には出さない。
違和感は小さいまま残っている、理由はまだ見えてこない。
だが確かに、この戦に影を落としている。
進軍した一同は、森の手前で足を止めた。
街道を外れた先は、緑の木々が密に並んでいる。
視界は開けておらず、奥の様子は視認しにくい。
風は弱く、葉の擦れる音だけが耳に残る。
先頭のカインが手の平を伸ばして腕を上げると、後続の動きが静かに止まる。
ざわめきが消えて、空気が一段引き締まる。
カインは一人で木立の奥へと進んでいく。
やがて、壊れかけている家々が見えてきた。
身体を隠すように木々の間からその先の様子を伺う。
「……見えた」
間違いなく、あれが今回の目標だ。
森の奥にある、廃墟群を根城にしているようだ。
家の数はざっと見ても、数十棟はありそうであった。
各家の周辺には、周囲を警戒している者がいる。
その数は、一人、二人、三人――。
詳細な人数は分からないが、多く見積もっても、三百人もいる気配がない。
後方からアルトが合流してきた、状況を確認したいようだ。
一足先に確認していたカインへと質問をする。
「⋯⋯想定より多いかい?」
「……いや、その逆だ。思ったより少なそうだ」
短く返した、言葉はそれだけだが含みは重い。
「少なくとも、三百人はいない」
木々の隙間に人影がある。
数はまばらで、間隔も均一ではない。
隠れている可能性を考えても、密度が足りなかった。
少し遅れてユウもその場へ合流する。
状況を把握したのか、ぼそりと呟いた。
「……妙だな」
ぽつりとこぼした言葉にアルトが反応する。
「何がだい」
ユウは少しだけ目を細めた。
「隠れる気がある動きじゃない、人数も少なすぎる」
「意図的に見せている感じがする」
その一言で、場の空気がわずかに変わった。
カインが小さく息を吐いた。
「ああ。逃げている集団の形じゃないな」
視線は目標へ向けたまま、言葉を続ける。
「……待ってるようだ」
言葉にした瞬間、違和感が形を持つ。
アルトは腕を組み、しばらく黙る。
視線は前へ向いたまま、思考だけが動いている。
「……罠か」
低く呟いた、二人はその意見を否定しない。
確たる証拠はないが、自然な動きではないことは確かだ。
ユウは肩の力を抜いたまま、軽く息を吐く。
「どうする⋯⋯」
確認するだけの声音、アルトはゆっくりと息を吐いた。
「予定通り叩こう。規模が小さいなら、それはそれでいい」
一歩、踏み出した。
「囲まれる前に崩そう」
判断は早かった。
カインはその言葉を受けて、わずかに目を細める。
危険はあるが、ここで引くという選択は現実的でない。
「……了解した」
短く応じた、ユウは口元をわずかに緩める。
「まあ、そうなるよな」
軽く肩を回した、止まっていた空気が動き出す。
アルトは前方へ手を振り下ろして、後方の部隊へ合図した。
「前進」
大きな声ではなかったが、はっきりと伝える。
待機していた集団が動きだす。
足音を抑えながら、木々の間へと踏み込んでいく。
視界は狭まるが、人の気配は濃くなっていく。
ユウも歩きながら前を見据える。
(……どこか、おかしい)
引っかかりは消えない。
形にはなりきらないまま、意識の奥に残る。
カインもまた、同じことを考えていた。
言葉にはしないが視線の奥には、警戒が宿っている。
廃墟に近づくにつれて、敵の姿ははっきりしてきた。
だが数は増えない、むしろ――足りないままだった。
それでも、誰一人として気を緩めてはいなかった。
静かなまま、距離が詰まっていく、戦いはすぐそこまで来ていた。




