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帰還


森を抜けた瞬間から、空気が変わった。


湿った土と草の匂いに満ちていた空間から、乾いた石と人の営みの匂いへと切り替わる。

目の前には、高く積み上げられた石壁がそびえていた。


表面は風雨に削られながらも、しっかりとした厚みを保っている。

ところどころに補修の跡が見えるあたり、この街が決して平穏無事なだけの場所ではないことを物語っていた。


門の前には、数人の衛兵が立っている。

槍を持ち、簡素ながらも統一された装備。

視線は鋭く、通行人一人ひとりを観察している。


アルトたちの姿を認めた瞬間、その緊張がわずかに緩んだ。


「戻りました」


アルトが短く告げる。


「ご苦労。……何かあったか?」


衛兵の一人が眉をひそめる。

隊列の空気から、ただ事ではないと察したのだろう。

アルトは一瞬だけ視線を横に流し、それから答える。


「道中で襲撃を受けました。詳細は後で報告します」


それだけで十分だった。

衛兵は深くは追及せず、門を開ける合図を出す。

重い木製の扉が軋みながら開く。


街の中へと足を踏み入れた瞬間――


ざわめきが押し寄せてきた。

人の声。

荷車の軋む音。

鍛冶場から響く金属音。

どこかで焼かれている肉の匂い。

視界の中に、人が溢れている。


行き交う商人。露店を構える者。子供たちの笑い声。

森の中とはまるで別の世界だった。

ユウは思わず足を止めかける。


(……現実感が、ないな)


先ほどまで、命のやり取りをしていたとは思えない。

その違和感を抱えたまま、再び歩き出す。

周囲の視線が、ちらちらとこちらへ向いていることに気づく。


理由は明白だった。

騎士団の装備を纏った若者たち。

そして、その中に混じる“見慣れない存在”。

ユウ自身だ。


だが、誰も声をかけてはこない。

あくまで“見るだけ”。

それがこの街の距離感なのだと、なんとなく理解する。


街の中央を抜け、やがて一行は大きな建物の前で足を止めた。

石造りの重厚な構造。

装飾は控えめだが、無駄のない造りが逆に威圧感を与える。


門の上部には、剣と盾を模した紋章が掲げられていた。


「ここだ」


アルトが言う。


「騎士団の士官学校……僕たちの拠点だ」


ユウは無言で見上げる。

中からは、掛け声や金属のぶつかる音が聞こえてくる。

訓練中なのだろう。


門をくぐると、広い中庭が現れた。

そこでは数十人規模の若者たちが、剣を振り、盾を構え、隊列を組んで動いている。

その動きは決して洗練されているとは言えない。


だが、確かな意志と緊張感があった。


(……学生)


そう呼ぶには少し荒い。

だが、騎士と呼ぶには未熟。

その中間。

アルトたちと同じ“見習い”という立場が、はっきりと伝わる。


「先に報告を済ませよう」


アルトが振り返る。


「君は――」


一瞬だけ言葉を切る。

どう扱うかを考えているのが分かる。


「……一緒に来てほしい」


結論は早かった。ユウは何も言わず頷く。

先導して歩くアルトの後ろをついていく。


建物の内部は、外観以上に質素だった。


石の壁。磨かれた床。余計な装飾は一切ない。

実用性だけを追求した空間。

廊下を進み、一つの扉の前で止まる。

アルトが軽くノックする。


「失礼します。任務より帰還しました」


中から、低い声が返る。


「入れ」


扉を開ける。

部屋の中には、一人の男がいた。

年齢は四十前後。無駄のない体つき。鋭い目つき。

机の上には書類が積まれている。


「報告を」


短い言葉。アルトが一歩前に出る。


「本日、東部街道にて物資輸送隊の護衛任務を遂行中、山賊の襲撃を受けました」


淡々とした報告。

だが、その内容は徐々に重くなっていく。


「敵は十数名規模。統率は甘く、即席の集団と判断」


「しかし――魔法の使用を確認」


その一言で、空気が変わる。男の目が細くなる。


「続けろ」


「一名、明確に訓練された魔道士と見られる個体を確認。詠唱、制御ともに一定以上の水準」


ユウは黙って聞いている。

自分のことには触れていない。

あえて、だろう。


「……被害は?」


ほんのわずかに間を置いたあと――


「被害状況ですが」


空気が、さらに静かになる。


「見習いの一人、フレッジ・クーパーが死亡」


その名が、はっきりと告げられる。

部屋の中に、微かな沈黙が落ちる。


「加えて、数名が負傷。いずれも軽傷ですが、戦闘続行は困難な状態でした」


感情は抑えられている。

だが、“何もなかったわけではない”ことは、十分に伝わる。

男はしばらく無言でアルトを見つめる。

そして、小さく息を吐いた。


「……そうか」


短い一言。

だが、その中には理解と苛立ちが混ざっている。


「やはり、ただの山賊ではないな」


低く呟く。アルトは頷く。


「同意します」


男はアルトの言葉を聞いた後に続ける。

そこで、男の視線がユウに向けられる。

初めて、はっきりと。


「……そいつは?」


問いは短い。アルトは一瞬だけ間を置く。


「現地で遭遇した民間人です。状況的に保護しました」


嘘ではない。

だが、全てでもない。

男はしばらくユウを見つめる。

評価するように。測るように。

やがて、視線を外した。


「……好きにしろ」


興味を失ったように言う。


「ただし、問題は起こすな」


それだけだった。



「以上だ。ご苦労だった」


その言葉で、報告は終わった。

アルトが一礼し、踵を返す。

ユウもそれに続き、部屋を出た。


扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。


廊下に出た瞬間――

その場には複数人の人たちがいた。

アルト達の同期なのだろう。

部屋の前にいた人物のが、小さく息を吐いた。


「……フレッジが、やられたのか」


ぽつり、と零れた声。

それは、独り言のようでいて――誰にでも届く大きさだった。


「今朝まで、普通に話してたのに……」


別の声が続く。掠れている。

笑おうとして、笑えなかったような声音。

ユウは黙ってそのやり取りを聞いていた。


「……あいつ、来週の試験で主席狙うって言ってただろ」


「馬鹿言え、無理に決まってるって笑ったのにさ……」


短い会話。だが、それ以上は続かない。

誰もが、どこで区切るべきか分かっている。

それ以上踏み込めば、崩れる。


アルトは何も言わない。

ただ前を向いて歩きだした。

その場にいる全員と距離をとるように。

だが、その姿がわずかに強張っていることに、ユウは気づいていた。


(……軽くはない)


当然だ。死んでいる。

ついさっきまで一緒にいた人間が。

それでも、前を向く必要がある

立ち止まれない。

それが、彼らの“普通”なのだろう。

アルトはその場の全員へ聞こえる声量で伝える。


「ひとまず解散しよう」


振り返らずに言う。

声は、いつも通り落ち着いている。


「各自、休養を取ろう」


短い指示。

だが、その言葉に含まれる意味は、先ほどまでとは少し違う。


――休める者は、休め。


そんな響きが、確かにあった。

隊は散っていく。

友を失い肩を落としている者。

自身が生きていたことに安堵する者。

それぞれの思いがあるなかで、それぞれの場所へ。

それぞれが生きている日常へと戻る。


全員が解散した後に、アルトはユウの方を向く。


「さて」


少しだけ表情が柔らぐ。


「これからどうするんだい?」


問いかけ。

だが、選択肢は限られている。

ユウは少しだけ考える。

この世界に来て、まだ何も知らない。

分からないことの方が多い。

頼れるものなどあるはずもない。


ならば――


「……任せる」


短く答える。

アルトは小さく笑った。


「だろうな」


そして、背を向ける。


「ついて来てくれ」


歩き出す。

ユウもその後に続く。

学校を出て、再び街の中へ。


先ほどよりも人の流れは穏やかになっていた。

夕方が近づいているのだろう。

空が、少しずつ色を変え始めている。

空の色は自分が生活していた場所と同じ茜色になろうとしている。


「どこへ行くんだ⋯?」


ユウは尋ねる。当然の疑問。

宛先を告げられてないままに同行しろといわれている。

アルトは前を見たまま答える。


「僕の家だ」


あっさりと。


「……いいのか?」


少しだけ間を置いて、ユウが言う。

アルトは肩をすくめる。

そしてユウの方を向きながら⋯


「君を放っておく方が問題になるよ」


理由は現実的だったが、アルトは少し笑った表情でそう答えた。

ようやく緊張が解けてきたのだろう。

これまでの振る舞いからおそらく、騎士見習達の中でも司令官の役割を担っていることは明白。

仲間と解散したことで、その重責から解放されたのだろう。


「それに」


わずかに振り返る。


「聞きたいこともあるからね」


声は落ち着いているがユウを見つめる目。

その瞳は、やはり観察者のものだった。

ユウは何も言わない。ただ、その視線を受け止める。


街の奥へと進んでいく。

石畳の道。整然と並ぶ建物。


やがて、明らかに雰囲気の違う区画へと入る。


静かだ。

人通りも少ない。

建物は大きく、庭を持つものも多い。


(……ここは)


ユウが周囲を見渡す。

アルトが言う。


「貴族街だ」


短い説明。

その一言で、全てが腑に落ちる。


「その中でも――」


足を止める。

一軒の屋敷の前。


高い門。

整えられた庭。

手入れの行き届いた建物。


「ここが、僕の家だ」


静かに言った。

門の向こうには、新たな世界が広がっている。

ユウはそれを見つめながら、小さく息を吐いた。


(……まだ、始まったばかりか)


その実感だけが、確かにあった。


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