任命
夜も更け、屋敷は深い静けさに沈んでいた。
人の行き来がある廊下も、今は足音一つ響かない。
同じ位置、同じ高さに置いてある燭台の火。
わずかに揺れ、壁に長い影を落としている。
その光の中を、アルトとユウは並んで歩いていた。
その日の夕食後、レオニードに呼び止められた。
話したいことがあるので、部屋に来てほしいと。
何かあるなと考えた二人はレオニードの部屋へと向かった。
やがて、一つの扉の前で足を止めた。
――レオニードの私室。
屋敷の中でも、立ち入るものは多くない場所。
アルトは一呼吸入れて、扉を叩いた。
「入れ」
室内から声が返ってくる。
アルトが扉を開けると、部屋の奥でレオニードが椅子に腰掛けていた。
そして、その前に立っていたのはセリオス。
兄弟全員を呼ぶということは何かあると推測できる。
二人の気配に気づくと、ゆっくりと顔を上げる。
「来たか」
アルトとユウは机の前に着くと、その場で軽く頭を下げる。
その姿をみた後にレオニードは口を開く。
「⋯⋯夜間に悪い」
レオニードはどこか気遣うように問いかける。
二人に向けているが、遠征後の若者に配慮しているようだ。
「いえ、問題ありません」
アルトはいつも通り、柔らかく品のある言葉を変えず。
それに続いて、ユウも言葉を発する。
「おかげさまで、最近はゆっくり過ごせてるよ」
その一言には、わずかな含みが混じる。
レオニードは特に反応を示さない。
「そうか⋯⋯では、早速だが本題に入る」
レオニードはそう告げるとセリオスの名を呼んだ。
二人に向けて、報告事項があるようだった。
「セリオス、説明を⋯⋯」
その言葉にセリオスは一歩前へと出る。
やがて彼の視線は机の上にある地図へと落ちる。
そのまま、現在起きている状況を説明していく。
「まず、最初に帝国の情報――」
「国境付近に出てきてますね。規模は二千前後かと」
さらりと告げた。
「ただ、攻める気はなさそうです」
「陣を張って、距離を取って様子を見ているだけです」
少し肩をすくめる。
「まあ、いつも通り威嚇だけかなと」
アルトが小さく息を吐いた。
「またか……」
うんざりしたような声だった。
レオニードは視線を地図に落としたまま言う。
「最近、増えてきているな⋯⋯」
肌感から出た発言なのだろう、静かな声で伝えた。
セリオスはそれに同調するように軽く笑う。
「ええ。露骨なくらいですよ」
「向こうも分かりやすい」
わずかに首を傾けた後に、表情を変えて。
「様子見か、探りか」
一拍置いた。
「それか――」
ほんの少しだけ口元を歪める。
「どこかから情報が漏れているのかもしれません」
軽い調子だったが、冗談のようにも聞こえない。
だが、その言葉は妙に引っかかる。
アルトは一瞬だけセリオスを見た。
だが、セリオスは何事もなかったかのように続ける。
「まあ、どちらにせよ」
「放っておけば面倒になるのは確実です」
現実的な結論に、レオニードはゆっくりと頷く。
「なら、こちらから動く」
その発言を聞いたユウはレオニードへ質問する。
「仕掛けるのか?」
それに対してレオニードは返す。
「前線に出て、圧をかけ返す」
静かだが、強い意志が込められている。
アルトは頷く。
「悪くないかと思います」
短く同意した。
「帝国に主導権を握らせておく必要はない」
セリオスも軽く頷いた。
「ええ、追い払うくらいなら問題ないでしょう」
「本気で来てるわけじゃないですし」
その言葉には、戦場を知る者の余裕があった。
セリオスは言葉を続ける。
「それと、もう一つ⋯⋯」
空気がわずかに変わった。
「ここからが、君たちを呼んだ本題かな」
と、にこやかな顔を浮かべて口を開こうとする。
その口を遮るかのように、ユウが口を開いた。
「なんとなく予想はついている」
セリオスは少し感心しているようだった。
「ほう⋯⋯」
「では、君の予測を教えてもらおうかな」
と、セリオスは会話の主導権をユウへと渡した。
ユウは自身の見解を述べる。
「自由の盾の残党だろ⋯」
その発言を聞いた後にアルトの目が細くなった。
レオニードとセリオスは感心した表情を浮かべている。
ユウは発言を続ける。
「規模は二から三百くらい」
「散った連中が、ここに来てまとまってきたというとこか」
淡々と自身の見解を述べた、その上でセリオスは告げる。
ユウが発した言葉に満足したかのように口元をあげる。
「お見事、やはり君は優秀だ」
「そのとおり、自由の盾の残党だ」
「数は約三百だと推測している」
ユウの見解は、セリオスの報告事項と一致していたようだ。
「どうして、分かったんだい?」
アルトはその仮定までの道のりを確認する。
ユウはそこに至った理由を述べるべく口を開いた。
「一つは、山賊達の態度だ」
「戦に勝ったのは騎士団なのに、奴らの目は死んでいなかった」
「どこかで、再起を図ろうとしてるだろうなと思っていた」
ユウは自身の考えを大まかに説明した。
アルトが自分たちの実績を踏まえユウへ質問をする。
「砦は落として、彼らの拠点は潰れたはずだ」
話を聞いていたセリオスが横から口を挟んだ。
「普通はそれで終わるはずだがね」
「でも終わってない」
口元がわずかに歪んでいる。
その皮肉のような言葉にユウは自分の見解を返す。
「普通じゃないからな」
セリオスはわずかに微笑んだ。
二人とも同じ認識だったようだ。
「その通りだよ」
さらにセリオスは言葉を続ける。
「しかも、動きが妙にいい」
「山賊にしては統制が取れすぎているからね」
その言葉に、皆が口を閉じる。
レオニードはゆっくりと考える。
帝国の威圧、山賊の再集結、偶然にしては――。
「⋯⋯出来すぎているな」
そうユウは呟いた。
「……繋がっている可能性があるのでしょうか」
アルトは問うた。その質問にセリオスは肩をすくめる。
「どうだろうね」
軽い返答だった。言葉をすぐに続ける。
「無関係にしては、都合が良すぎる」
それが本音だった。
レオニードは静かに頷いた。
「どちらにせよ、放置はできない」
結論は変わらなかった。部屋の中心人物はアルトへ視線を向ける。
「アルト、それとユウ」
呼びかける。
「今回の出陣、お前達に任せたい」
はっきりと告げた。
その要望にアルトはすぐに頷いた。
「了解しました」
その返答に一切の迷いはみられない。
レオニードはまずアルトを見て声を掛ける。
「アルト、指揮を任せたぞ」
その言葉に、わずかに空気が引き締まる。
アルトの目が強くなる。
「はいッ!」
続けてその隣の人物、ユウにも声を掛ける。
「ユウ、お前の判断、作戦でアルトを支えてほしい」
ユウの目も強くなる。
アルトと同じように自分も期待されていることを認識した。
「⋯⋯かしこまりました」
若者達の返答にレオニードは頷いている。
口角がわずかに上がっている。
その様子を、セリオスは横目で見ていた。
ほんの一瞬だけ目を細め、すぐにいつもの表情に戻る。
レオニードはセリオスにも視線を向ける。
「セリオス」
セリオスも名前を呼ばれる。
「留守は任せたぞ」
短い言葉だったが、それはー―。
屋敷だけではなく、この街を預けるという意味だった。
セリオスは一瞬だけ沈黙し、すぐに肩をすくめた。
「またですか」
軽く笑った。
「毎回、いいところだけ持っていきますよね」
冗談めいた口調にアルトが苦笑する。
「兄上がいるから、僕たちも安心して出陣できます」
セリオスはちらりとアルトを見る。
「たまには代わるかい?」
さらりと言う。
「私も前線に行けるのだけどね」
軽い挑発とも取れる軽さ。
アルトは苦笑いを浮かべる。
「有事の際に、兄上でないと対処できないかと」
「そう思ってもらえるのはありがたいね」
セリオスはくすりと笑った。
その空気を、レオニードが切る。
「任せられるのはお前しかいない」
真っ直ぐな言葉だった。
セリオスはわずかに目を閉じた。
その信頼を噛みしめるように。
「……分かりました」
軽く手を上げる。
「ちゃんとやりとげます」
その声音はいつも通りだ。
それでも、その奥にあるものは読み取れない。
レオニードはそれ以上何も言わない。
それで十分だった。
「出立は3日後だ」
短く告げる。
「準備しておくように」
話は終わりだった。
三人とも一礼する。
「失礼します」
部屋の主以外は扉を開けて外へ出る。
廊下は静かで、入室前と何も変わっていない。
しかし、確実に流れは動いている。
アルトは前を見据えた。
その横で、セリオスがゆっくりと歩く。
「忙しくなるよ」
その声はどこか楽しんでいるようにも聞こえる。
アルトは何も返さずに、前だけを見ていた。
燭台の火が揺れる。
三人の影も、それに合わせて揺れていた。
その揺れは、不規則に、これからの流れを静かに映していた。




