露見
人の流れを抜けるにつれて、街の空気はゆっくりと変わって行く。
賑やかな呼び声は遠ざかっていく。
乾いた足音と風が建物の隙間を抜ける音が聞こえる。
石畳は荒れ、壁には手入れの行き届かない汚れが残っていた。
移動した場所は平民街であった。
ユウは歩調を落としながら、対象を見失わないよう距離を保つ。
――その人物はクラウス。
その足取りには迷いがなさそうに見える。
(……なぜ、あいつがこんな場所に来る)
貴族であるクラウスが、自ら好んで足を踏み入れる場所ではない。
さらに言えば彼は平民と貴族をきっちり特別していたはず。
で、あればなおさら疑問が浮かんでくる。
任務か――
(いや、それにしては……)
ユウは先を見る視線を細めた。
明らかなのはクラウスの動きが不自然ということ。
直線的に目的地へ向かっているわけではなさそうだ。
わずかに遠回りをし、曲がり角ごとに歩調を微妙に変える。
振り返ってはいないが、それでも分かる。
(……尾行を警戒してる)
経験のある者の動き。
(クラウスが、こんな真似をする理由は何だ)
違和感が、確信へと変わっていく 。
やがて、クラウスは人通りのほとんどない路地へ入っていく。
建物に挟まれている細い道。
昼間にもかかわらず、奥へ進むほどに影が濃くなる。
(どう考えても怪しい⋯⋯)
ユウは数歩遅れて、その中へ入っていく。
足音を殺して、呼吸を浅くした。
壁に身を寄せ、視線だけは前へ。
――足が止まった。
クラウスが、路地の奥で足を止めた。
そしてその先にはもう一人の影があった。
黒いローブを纏った人物。
頭から深くフードを被り、顔は完全に影の中に沈んでいる。
光が当たっているはずなのに、そこだけが不自然に暗い。
輪郭だけが、かろうじて人の形を保っていた。
ユウは息を潜めていると、声が交わされる。
先に口を開いたのはクラウスだった。
「……以上が報告となります」
その言葉に、ユウの目がわずかに細くなった。
(報告……?)
話し方から奥にいる二人には上下関係がある。
先ほどまでの違和感が、一段階と深くなった。
ローブを纏う人物が、ゆっくりと口を開く。
「予定より早いな⋯⋯」
低く、抑えられている声だった。
声に抑揚がないことから、感情の起伏はなさそう。
それでいて、自然と相手を従わせる響きを持つ。
(……この声……)
どこかで聞いたことがある声。
だが、思い出せない、クラウスは言葉を返した。
「はい。想定よりも早く制圧が進みました」
「アルト様の部隊では――」
途中で言葉を切った。
話の途中でローブの人物が、手を上げたのだ。
目の前の会話を静止する動き。
それを見て、クラウスは口を閉じた。
「そこまででいい」
静かな一言だったが、逆らう余地はない。
(完全に……上だな)
ユウはそう判断した。
ローブの人物は言葉を続ける。
「アルトの動きは?」
「現時点では、これといった異常はありません」
「……そうか」
短い返答ではあるが、その間にわずかな思考が挟まれている。
「では、まだ気づいていないな」
その言葉に、ユウの思考が一瞬止まる。
(気づいていない……?)
何に対しての気づきなのかは分からない。
疑問が浮かんでくるが、答えは出ない
クラウスは今後の指示を確認する。
「このまま、予定通り進めますか」
確認の言葉であった。
だが、その声音にはわずかな緊張が混じっている。
ローブの人物は、間を置かずに答える。
「ああ、問題ない」
短い返答であった、そして言葉を告げた。
「そのまま続けろ」
「その時の合図は私が出す」
はっきりとした命令だった。
クラウスは一瞬だけ頭を下げる。
「……承知しました」
「それと⋯⋯」
完全に従属している人間の動きだった。
フードの男は言葉を区切った。
そして、クラウスに対して助言を告げる。
「それと⋯」
「あの不確定分子には注意しろ」
「分かりました」
二人のやり取りはそれで終わった。
ローブの人物がゆっくりと後ろへ下がる。
その瞬間、わずかに光が差し込む。
ほんの一瞬だけ。
フードの奥、影の中で――
金色の何かが、かすかに光を反射した。
(……なんだ?)
次の瞬間には、もう見えなくなった。
姿をくらます魔法なのだろう。
書庫でそういう類いの魔法があったことをみた記憶があった。
そのまま、影の中へと溶けるように姿を消した。
音もなく、気配も消して。
ユウは動かなかった。
追うべきか、一瞬だけ思考が揺れた。
しかし、行き先が分からない相手を追うことは出来ない。
(……今は違う)
視線をクラウスへ戻す。
クラウスはその場に残って動かない。
背を向けたままで、沈黙が落ちる。
風が通り抜ける音だけが響く。
そして――
「……いつまで見ているつもりだ」
監視していた人物はこちらに気づいていたようだ。
振り返らないが、確信している声音。
ユウは小さく息を吐いた。
(気づいていたのか)
隠れる意味はなくなった。
壁から身を離して、その場に歩み出ていく。
わざと足音を響かせる。
数歩進み、距離を取って止まる。
クラウスがゆっくりと振り返る。
その表情は、いつもと変わらない。
「覗き見とは、あまり感心しないな」
淡々とした口調だった、ユウは肩をすくめる。
「仕事柄な。怪しい動きは見逃せない」
視線を外さない。
クラウスも同じだった。
静かな対峙だが、二人の空気は張り詰めている。
「……怪しい、か」
クラウスが小さく繰り返す。
「君は、どこまで見ていた?」
探るような問い。
それに対してユウはすぐには答えない。
一拍だけ置いて、はぐらかすように答える。
「さあな」
「全部とは言わないでおこう」
曖昧な返答だが、それでいい。
会話の主導権を相手へと渡さない。
クラウスもそれを否定せずに、わずかに目を閉じた。
「詮索は、ほどほどにしておけ」
静かな声だった。
ユウは眉をわずかに動かした。
「忠告か?」
「いや――」
一瞬の間。
「警告だ」
短く言い切り、それ以上は語らない。
ユウもそれ以上は踏み込まない。
(……偶然じゃない)
頭の中で、点が繋がり始めていた。
砦、捕虜、そして今の密会。
(内部に何かある)
確信には至らない。
けれども、疑いは消えない。
ユウは踵を返した。
「……さっきのやつは」
振り返らずに言う。
「誰だ⋯?」
短い問いであった。
クラウスは答えずに沈黙した、それが答えだった。
そのまま、若い騎士は路地から離れていった。
ユウもそれ以上追及せずに、その場を離れた。
路地を抜けると、再び街の音が戻ってくる。
だが、その音は先ほどとは違って聞こえていた。
(……終わってない)
この街で何かが動き出そうとしていることは確かであった。




