疑念
戦が終わってから、数日が過ぎた。
アルト達の屋敷は、以前と変わらぬ静けさを取り戻してきた。
しかし、そこに流れる空気はどこか張り詰めたままだ。
行き交う使用人たちの足取りに、わずかな緊張が残る。
アルトには特別任務による休養が与えられた。
今回の任務で学院から一ヶ月の休暇をもらっている。
本来であれば穏やかな時間が流れてもおかしくはない。
しかし、戦の記憶はそう簡単に日常には戻してくれない。
ユウもその一人だった。
自室の窓際に立ち、屋敷の庭を眺めていた。
彼はこの期間中に幾度も同じ光景を思い返していた。
拠点の陥落。
水を断たれて、抵抗の意思を削がれていく敵の様子。
そして、最後に捕らえた二人組のガルドとリズ。
(……妙だった)
頭の中で、そのときの状況をなぞる。
あそこまで追い詰められた者は、最後に足掻くか崩れる。
怒りや恐怖に呑まれて、何かしらの感情は露わになるはず。
それが当たり前のはずなのに、あの二人にはそれがない。
諦めているようで、どこか落ち着いている。
捕らえられた事実を受け入れたともいえる。
けれども、最初からその結末を知っていたかのような
――そんな、不自然な静けさがあった。
(開き直り……?)
一度はそう考えてはみた。
しかし、それだけで片付けるのはどうにも引っかかる。
視線を少しだけ落とした。
思考が、別の人物のことを思い浮かべていく。
(……セリオス)
戦果報告の場で見せた、あの男の反応。
「やっぱりな」と呟いたあの一言が、妙に頭に残る。
初めて聞いた報告に対する反応ではない。
驚きもなければ、評価に迷う様子も見られない。
あらかじめ結果を知っていたかのようだった。
ユウは小さく息を吐いた。
部屋の空気は静かだが、思考の中だけが忙しく動いている。
(山賊にしては、統率が取れすぎていた)
(防護もあった)
(補給も問題なかった)
ひとつひとつ起きたことを並べていく。
何度思考を張り巡らせても、普通の山賊という枠に収まらない。
そして、今回捕らえたガルドとリズ。
だが、その二人ですら、何かの一部でしかないように見える。
(……裏がある)
断定はしない、否、できない。
そうやって、決めつけるには何かが足りない。
それでも、ほぼ確信に近い感覚があった。
そのとき、ふと別の記憶が浮かんできた。
夜にエリナが訪ねてきたときのことだ。
セリオスの不自然さと夜中の密会が引っかかる。
そして、“戦の進行を把握しすぎている”という言葉。
(繋がってくる……)
小さく呟いた。
すべてが一つの線になりかけている。
だが、その線の先は何も見えていない。
ユウは窓から離れて、ゆっくりと部屋を出た。
廊下には昼の光が差し込み、静かな明るさが広がっている。
使用人が一礼して通り過ぎた、警備も定位置に立っている。
どこを見ても、異常はなかった。
確認するように、屋敷内を一通り歩く。
中庭、通路、出入口、そのどこにも乱れはない。
だが、その整いすぎた空気が、かえって違和感として残る。
何かを隠すとき、人は往々にして表を整える。
その不自然な均整が、今の状況と妙に重なって見えた。
そのとき、遠くから足音が近づいてくる。
一人の使用人が、やや足早でこちらに向かってきた。
「ユウ様」
軽く頭を下げる。
「どうした」
「報告があります。先ほどアルト様にもお伝えしましたが……」
「市街地の外縁部にて、不審な集団の目撃情報がありました」
ユウの目が、わずかに細くなる。
「規模は?」
「十名前後とのことです」
「武装はしていましたが、統率の取れた動きをしていたと」
短い沈黙が落ちる。
その情報だけで、状況の輪郭はある程度見えてくる。
「特徴はあるのか?」
「全員黒いローブを着ており、外見的な特徴は把握できていません」
(……妙だ)
偶然にしては、少し出来すぎている。
「追跡は?」
「現在、別働隊が確認に向かっていますが……接触はまだ」
「分かった。引き続き監視を続けてくれ」
「はい」
使用人は一礼し、その場を離れていった。
再び静けさが戻るが、先ほどまでとは質が違う。
ユウはその場に立ったまま、ゆっくりと息を吐いた。
砦での違和感、捕虜の態度、セリオスの反応。そして、報告内容。
それぞれはまだ、はっきりと繋がっていない。
しかし、無関係とも思えなかった。
(……考えすぎか)
ユウは小さく呟いたが、その引っかかりは消えない。
視線をわずかに落とす。
「……何かが、噛み合っていないな」
疑問は残っていた。
それでも、行く先を決めてユウはゆっくりと歩き出す。
向かう先は一つだった。
石造りの廊下は静まり返り、足音だけが規則的に響く。
昼の光が窓から差し込み、床に長く影を落としていた。
その明るさとは裏腹に、落ち着かない感覚が胸に残り続ける。
目的の部屋の前で足を止め、軽く扉を叩く。
「……入っていいか」
わずかに間があったが、部屋の中から声が返ってくる。
「構わないよ」
ユウは扉を開けると室内はいつも通りに整頓されていた。
机の上にはいくつかの書類が広げられている。
その配置は崩れておらず、途中で手が止まったことが分かる。
部屋の主は椅子に腰を下ろしたまま、書類に目を通している。
だが、視線は動いておらず思考に沈んでいたのは明らかだ。
ユウは一歩中に入り、静かに扉を閉める。
小さく音が響き、室内の空気がわずかに引き締まる。
「さっきの報告を聞いたか」
無駄のない声音で問う。
部屋の主、アルトはゆっくりと顔を上げる。
その目には、まだ整理しきれていない思考の色が残っている。
「ああ。市街地の外縁部の話だろう」
その声にもわずかな重みがあった。
ユウは壁際に軽く寄りかかる。
腕を組みながら、視線だけをアルトへと向ける。
「どう思う」
アルトはすぐには答えられなかった。
視線を一度落として、机の上の書類へと向ける。
しかし、その文字を追っているわけではない。
思考を整理して、言葉を選んでいる。
やがて、小さく息を吐いた。
「……正直に言えば、引っかかるんだ」
静かに出た言葉だった。
その響きは、先ほどのユウの感覚と重なる。
「規模もそうだが、動きが妙だ」
アルトはゆっくりと言葉を続ける。
「ただの山賊にしては、統率が取れすぎているよ」
アルトが視線を上げるとユウと目が合う。
そこには同じ違和感を共有している感覚があった。
「ただ……」
アルトはそこで言葉を切る、ほんのわずかに口元が緩む。
自嘲に近い、小さな苦笑だった。
「⋯⋯それ以上は、まだ何とも言えないね」
はっきりと断言する。
踏み込みすぎない、それが今の判断だった。
「考えすぎかもしれない」
正直な結論だが、その言葉の裏に僅かな引っかかりが残る。
ユウはその様子を黙って見て、そして小さく息を吐く。
「……だな」
二人とも同じ位置に立っていることが分かる。
確信はないが、無視もできない。
その曖昧な感覚だけが、二人の間に残った。
部屋に沈黙が落ち、差し込む光が、ゆっくりと床を移動する。
時間だけが、静かに流れている。
「しばらく様子を見るしかなさそうだ」
アルトの声には、焦りはなかった。
ユウは肩をわずかにすくめる。
「今はな」
それ以上は踏み込まない、否、踏み込めない。
材料が足りない、それが最善だった。
ユウは壁から体を離し、軽く手を上げる。
「邪魔したな」
「ああ」
アルトは短く返した、それ以上の言葉は必要ない。
ユウは扉へと向かい、静かに開ける。
廊下の空気が流れ込み、一瞬だけ部屋の中の空気と混ざり合う。
そして、部屋の外へと出た。
扉が閉まり、小さな音がやけに響いた。
再び廊下に戻ると、変わらぬ静けさが広がっている。
だが、その静けさの奥にあるものは確実に違っていた。
(……気のせい、じゃないな)
声には出さず、心の中でだけ呟いた。
それは確信ではなく、ただの引っかかり。
消えない違和感だけを残し、ユウはゆっくりと歩き出す。




