余熱
屋敷に戻った頃には、すでに夜の気配が落ちていた。
アルト達は長い戦とその後の葬儀を終えた。
彼らをむかえるのは、いつもの灯りとわずかに張り詰める空気。
既に大広間へは食事が用意されていた。
豪華ではないが温かい食事、それだけで十分だった。
「お疲れ様でした」
エリナがその場の面々に頭を下げた。
いつも通りの所作だが、その声にはわずかに安堵が混じっていた。
「無事で何よりでございます」
セシリアも言葉を続ける。
こちらは少しだけ表情が柔らかい。
アルトは軽く頷き、自分の席へとつく。
レオニードも同様に妹と使用人に向けて、短く労いの言葉を返す。
食事中には形式的な会話がいくつか交わされた。
会話はすぐに終わった、誰も長く語らないのだ。
今日はそういう日ではない。
ユウも席についているが、ほとんど口を開かなかった。
ただ、静かに食事をとっていた。
(……疲れたな)
心の中で、そう呟いた。
戦も、葬儀も、どちらも気を張る場であった。
その反動が、今になってじわりと来ている。
隣に座っているアルトも同様、否、それ以上のことだろう。
表情には出ていないが瞳は少しだけ遠くを見ているようだ。
あのセリオスでさえも今日は口数が少なかった。
ほどなくして、食事は終わった。
屋敷の主は全員が疲れていることを察したようだ。
「今日はもう休め」
レオニードのその一言で一同は解散した。
誰も逆らわずに、それぞれが自室へ戻っていく。
――その日の夜。
屋敷は静まり返っていた。
廊下に灯された明かりが、一定の間隔で影を落としている。
ユウは自室で、椅子に腰を下ろしていた。
外套は脱ぎ、机に軽く肘をついている。
ただ、ぼんやりと時間を過ごしていた。
(……終わった、か)
小さく息を吐く、これでようやく一区切り。
そう思って安堵していた。
そのとき――
控えめなノックが響く。
間が置かれた、遠慮のある音が響く。
ユウは顔を上げた。
「……開いてる」
短くそう承諾すると扉が静かに開いていく。
部屋に来たのは、予想していた人物だった。
淡い金色の髪に、屋敷の使用人が纏っている服を身に着けた女性。
彼女の顔を見ると疲れが飛んでいくように感じた。
「……起きていましたか」
エリナは、そう小さく言った。
こちらを気にしているのか、普段より声が低い。
ユウは肩をすくめた。
「寝る気になれなくてな⋯⋯」
エリナは少しだけ視線を落とす。
そのまま、ゆっくりと部屋の中へ入ってくる。
扉が閉まり、静かな音がなる。
女性は自然とユウの隣席へ腰掛ける。
部屋の中は、二人だけとなった。
互いにしばらく言葉は交わさない。
だが、悪い空気ではない。
むしろ――
どこか落ち着く、心地よさがあった。
「……約束」
ぽつりと、エリナが口を開いた。
ユウはその声の方へと目を向ける。
「覚えていますか」
戦いの前に交わした言葉。
「無事に戻ったら⋯⋯」
彼女はそこで、少し言葉を止めた。
わずかに頬が赤くなっている。
だが、視線はこちらから逸らしていない。
ユウは小さく息を吐く。
「ああ」
もちろん、覚えていた。
忘れるわけがない。
「……約束だからな」
その声はいつもより少し柔らかい。
エリナは小さな笑みを浮かべて小さく頷いた。
「はい」
二人の感覚が一歩だけ、近づいた。
互いの距離が縮まる。
「無事に帰ってきてくれて……よかった」
その言葉は、飾りのない本音だった。
彼女の碧色の瞳が、どこか潤んでいるように見えた。
ユウは何も言葉を返さない、否、返せない。
ただ、その瞳を見つめていた。
エリナも、目を逸らさない。
静かな時間。
そのあと――
エリナが、ほんの少し背伸びをした。
迷いがあったのは、一瞬だけだった。
触れる、軽く、ほんの一瞬。
唇が重なった。
それだけのこと、それ以上はない。
だが――
十分だった。接していた個所が離れる。
エリナは少しだけ視線を逸らした。
「……これで、約束は果たしました」
小さな声で彼女は告げた。
ユウは、わずかに笑う。
「律儀だな」
「そういう性格です」
即答だった。
そのやり取りが、少しだけ空気を和らげる。
エリナの表情がふと変わり、真剣な眼差しとなる。
「……ユウ様」
声が低くなる。
「一つ、気になることがあります」
ユウの目が細くなった。
「なんだ」
エリナは一瞬だけ迷ったが、すぐに決める。
「セリオス様のことです」
空気が変わった。
「……どういう意味だ」
ユウの声も変わる。
エリナは静かに言葉を続けていく。
「葬儀の時に……違和感がありました」
言葉を選びながら。
「悲しんでいるように見えたのですが」
わずかに間を置く。
「……あまりにも、整いすぎているように感じて」
ユウは黙りこんだが、エリナはそれでも続ける。
「それと……」
さらに小さくなる声。
「以前、屋敷内で見かけたことがあります」
「夜中に、誰かと話しているところを」
ユウの目が鋭くなる。
「誰とだ」
「……分かりません」
首を横に振る。
「ですが」
一度だけ、息を吸う。
「内容が……少し」
言い淀んだが、はっきり伝える。
「戦の進行を、“把握しすぎている”ように感じました」
重い沈黙だった。
ユウはゆっくりと椅子から立ち上がった。
窓の方へ歩いていき、その先を眺めた。
外は暗く何も見えないが、思考は動いていた。
(……やっぱりか)
戦場で感じた違和感、葬儀での違和感。
――そして、線が少し繋がる。
「……エリナ」
背を向けたまま言う。
「この話は、誰にもするな」
「はい」
即答だった。
ユウはゆっくりと振り返る。
「しばらく様子を見る」
「動くのは、それからだ」
その言葉にエリナは頷いた。
彼女の表情には、わずかな不安と強い決意が見える。
夜は、静かに更けていく。
だがその静けさの下で、確実に何かが動き始めていた。




