葬送
ルーヴェルの街は、静かだった。
戦勝の報は広まっているが、浮き立つような空気はない。 人々は日常を保ちながらも、声を潜めるように過ごしていた。
その理由は、一つだった。
――レオンハルト・レイヴァルトの死。
長くこの地を支えてきた男の不在。
それは戦の勝利では埋められないほどの重さを持っている。
――騎士団本館の奥、礼拝堂。
高い天井に差し込む光は柔らかい。
色ガラスを通して床に淡い影を落としている。
その中央に、静かに横たえられた棺があった。
そこに無駄な装飾はない。
それがかえってこの場の厳粛さを際立たせていた。
葬儀が始まる前。
教会の棺前には、アルトが立っていた。
鎧ではなく、黒を基調とした礼装に身を包んでいる。
剣も帯びておらず、ただ静かにそこに立っている。
顔には何の表情も浮かんでいない。
だが、その視線だけは揺るがない。
棺の上に静かに置かれた顔へまっすぐに向けられている。
(……終わった、か)
心の内で短くそう呟く、最期はこの目で見届けた。
言葉も確かに交わしている。
弱さを見せることもなく、最後まで気高いままだった。
――悔いはないはずだった。
(……なのに)
胸の奥に、わずかな重みが残っている。
言葉にするほどではないが、確かにそこに引っかかる。
理由は分かっていた、もう二度とあの声は聞けない。
それだけのはずなのに妙に現実味が薄かった。
アルトは一度だけ、静かに息を吐いた。
胸の奥の違和感を押し流すように。
(……らしくないな)
自分に向けてそう言い聞かせる。
父親ならば立ち止まることも望まないはずだ。
分かっている、だからこそ顔を上げる。
視線を、改めて棺へと向ける。
(……なら)
これ以上、立ち止まる理由はない。
アルトは静かに前を向く。
「……立派な最期でした」
背後から、低い声がかかる。
いつも身近にいる使用人のグレイだった。
ゆっくりと歩み寄って、アルトの隣に並ぶ。
その視線は棺へ向けられている。
「最後まで気丈でございました」
「弱音の一つも吐かれない。実にあの方らしい⋯⋯」
どこか懐かしむような声音だった。
アルトは何も返さずに、ただ聞いていた。
グレイは言葉を続ける。
「昔からそうでした」
「無茶をして、周りを巻き込んで、それでも前に出る」
わずかに微笑んだ。
「だからこそ、皆ついていきました」
沈黙が落ちた、そのあとぽつりと呟く。
「……惜しい男を失いました」
その一言には、すべてが込められていた。
アルトはゆっくりと息を吐く。
「……グレイ」
それだけを返した。
言葉は少ないが、十分だった。
しばらくして、別の足音が近づいてくる。
その足音を気にせずにグレイは言葉を続ける。
「レオンハルト公がいなければ⋯」
「今のルーヴェルはありませんでした⋯⋯」
相手のことを敬う硬い言葉だった。
それだけ相手のことを慕っていたことが分かる。
同時に言葉は発さないが悔しさと悲しさも顔に出ていた。
棺の前に佇んでいる二人の背後にユウが現れた。
やがて、視線を棺へと向けてゆっくりと近づいていく。
誰も止めなずに棺の前まで到着する。
棺をみたまま、しばらく何も言わない。
「……穏やかな顔をしてるな」
ぽつりと呟く、小さな声だった。
だが、その場の全員に届いた。
アルトがわずかに視線を動かす。
ユウは続けない、それ以上の言葉は不要だと分かっている。
ただ一度だけ、深く頭を下げる。
形式通りの礼ではないのかもしれない。
それだけで十分だった。
外の音は届かない。
時間だけがゆっくりと流れていく。
やがて、遠くから鐘の音が響きわたる。
甲高い音なのだが、いつもより重く荘厳な音に聞こえる。
葬儀の開始を告げる合図だった。
アルトはもう一度、棺に視線を落としたが前を向く。
その瞳にはもう迷いはなかった。
鐘の音が街全体に響いていた。
低く、ゆっくりとした音が空気を震わせていた。
ルーヴェルの人々にひとつの終わりを告げる。
通りを歩く者たちも足を止め、帽子を取り、あるいは胸に手を当てて、その音に耳を傾けていた。
騎士団本館の礼拝堂とその周囲には、多くの人が集まっている。
それらは、騎士、文官、商人、そしてこの地に暮らす民。
レオンハルト・レイヴァルトという男。
この人物が影響力がはっきりと分かる。
その事実が静かに証明されていた。
堂内は広いが、空気は重く、密度を持って沈んでいる。
中央には棺、その周囲へ参列者たちが整然と並んでいた。
最前列に、レオニード、セリオス、アルトが立つ。
少し離れてグレイがいた。
ユウ、エリナ、セシリアは後方に集まっていた。
やがて、司祭が前に出て、短い祈りが捧げられる。
言葉は穏やかで、静かな言葉を告げられるがその意味は重い。
生と死、別れと継承、すべてが、その中に込められている。
祈りが終わり、わずかな間ができた。
そのあと、一人の男が前へ出ていく。
長兄、レオニードであった。
堂内の視線が集まる。
一歩、棺の前へと向かい、ゆっくりと口を開いた。
「……レオンハルト公は」
いつものような重圧な声ではなく静かな声だった。
だが、教会の隅々まで届く。
「この地を守り続けた男であった」
飾らない言葉だが、それがすべてだった。
「剣を取り、先頭に立ち、誰よりも前で戦った」
「そして、誰よりも多くの者を生かした」
「我らは、その背を見て育った」
家族と使用人の方を向き、短く息を吐く。
「その男が、今ここに眠っている」
沈黙、誰も動かない。
「だが――」
わずかに声が低くなる。
「その意志は、ここで途切れるものではない」
視線が、セリオス、アルト、セシリアへ向けられる。
「継ぐ者がいる」
それだけだったが、重かった。
レオニードは一歩下がる。
その場を、セリオスへ譲るように。
続いて、セリオスが一歩前へと出る。
自然と流れるような動きであった。
「……惜しい方を亡くしました」
穏やかな声だった。誰が聞いても違和感はない。
「レオンハルト公がいれば、この先も我々は盤石だったでしょう」
もっともらしい言葉に誰も否定しない。
「ですが、我々には次があります」
視線がアルトへ向いた。
「彼がいます」
成長を遂げた弟への賛辞だったのかもしれない。
あるいは、未来に期待してほしいという意味かもしれない。
その後、セリオスは一歩さがった。
アルトはゆっくりと前へ出た。
しばらく、何も言わずに棺の方をを見ている。
(……終わった)
心のどこかで、そう思ったが同時に――
(……始まる)
その感覚もあった。
アルトは顔を上げ、参列者たちを見た。
「父上は⋯⋯」
「強い人だった」
単純な言葉だが、嘘はない。
「誰よりも前に立ち、誰よりも多くを背負っていた」
視線を棺へと戻した。
「僕は、まだそこには届かない」
飾っていない正直な言葉だった。
「だが――」
一度、息を吸う。
「追いつく」
「そして、超えてみせます」
堂内がわずかにざわつく。
だが、否定する者はいない。
アルトはそれ以上は語らずに一礼し、下がる。
短い言葉であったが十分な発言だった。
その様子を、セリオスは静かに見ていた。
表情は変わらないが、両目を閉じる。
(……いい顔をするようになったな)
心の中で弟の成長を確かに感じていた。
だが同時に――
(少し、早すぎるか)
弟の成長に違和感がある。
その時にユウの影が頭をよぎった。
だが、その思考はすぐに消え、代わりに表情を整えた。
兄たちの横目でセシリアは、静かに涙を流していた。
声は出さないものの、こぼれている。
エリナはその隣に立ち、そっと肩に手を置く。
「……大丈夫です」
小さく囁く。
自分に言い聞かせるようでもあった。
ユウは二人の隣で、そのすべてを見ていた。
三兄弟の言葉と振る舞い、そしてその場の空気。
(……変だな)
葬儀だから重いのは当然だろう。
しかし、それとは別の何かが噛み合っていない感覚となる。
(特にセリオス⋯⋯)
視線を向けた。
あの男だけが、妙に“整いすぎている”。
悲しみも、動揺も、何もかもが。
(……作ってるな)
確信に近い違和感だが、証拠はない。
ユウはそれ以上考えない。
今はまだ早い、鐘の音が再び鳴る。
葬儀は終わりへと向かい、棺が運ばれる。
人々が道を開ける。
その様子をアルトは黙って見送る。
何も言わないが、その背はもう揺れていなかった。
レオンハルトは去った。
だが――
その影は、確かに残っている。
そして、その影を巡る戦いが静かに動き始めていた。




