表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/120

残影


街道を進むと、やがてルーヴェルの街門が見えてきた。


長く続いた行軍の終わりを告げる。

隊列に広がるのは安堵というより、沈んだ疲労だった。

誰も声を上げずに、ただ前へと進み続けた。


門の上では見張りがこちらを確認し、内側へ合図を送る。

やがて、重い音を立てて門が開いた。


その向こうには、人がいた。

道の両側に、街の住民が集まっている。

子どもを抱えた母親、杖をつく老人、店先から様子を窺う商人。


――だが、誰も声を上げない。


帰還した部隊を、ただ見ている。


「……帰ってきたのか」


ぽつりと、誰かが呟く。

それが合図だったわけではない。

だが、止めていた息をわずかに吐き出すように空気が緩む。

小さな拍手が、どこかで起きた。


広がらずにすぐに消える。

歓声にはならない、本当に終わったのか。

これで安心していいのか。その判断を誰も下せていない。

隊列の先頭を進むアルトはその視線を正面から受けながら歩く。

応えることはなく、手を上げることもない。

ただ、歩調を崩さず進む。


その後ろにカイン、さらにクラウスの隊列が続く。

クラウスは一瞬だけ横へ視線を流し、住民たちの様子を捉えた。


「……静かだな」


隣のカインにだけ届く声。


「勝ったんなら、もう少し騒いでもよさそうなもんだが」


カインが肩をすくめ、クラウスは短く返した。


「騒げる段階じゃないということだ」


住民の視線の先には、捕虜の列があった。

縄で繋がれた“自由の盾”の残党だった。

兵に囲まれて、黙って歩かされている。

住民の目は、そこに向けられていた。

恐れ、嫌悪、そして消しきれない警戒。


「……あれだな」


カインが顎で示す。

クラウスはわずかに目を細めた。


「なるほど」


短く言う。


「勝利というより、“後始末”に見える」


その言葉は、的を射ていた。

列は街の中心へと進んでいく。

石畳の道に足音が響き、鎧の擦れる音が重なっていく。

その音だけが、やけに鮮明だった。


集団の少し後方をユウは歩いていた。

視線は前ではなく、横へと流れている。

住民たちの顔、捕虜の様子、兵の動き。

すべてを順番に見回していく。


(……静かすぎる)


再び、その感覚が浮かぶ。

勝利の帰還にしては、あまりにも温度が低い。


だがそれ以上に――


(⋯⋯落ち着いてるな)


捕虜の様子が引っかかってしまう。

敗北した集団にしては、統制が残りすぎている。

完全に瓦解しているなら、もっと乱れるはず。

暴れる者が出てもおかしくない。

だが現実は違っており、歩かされているだけだ。

それも、妙に従順に。


ユウは視線を少しだけ細めた。

そのとき、リズと一瞬だけ目が合った。

ほんの一瞬だったが、その顔は諦めているもの表情ではない。


(……)


言葉にはしなかったが、確信は強くなった。

何かが残っており、これで終わりではない。

列はやがて本陣へと戻ってきて、広場へと到着した。

ここでようやく、アルトが足を止めた。

全体がそれに合わせて静止した。

その動きだけで場の空気が引き締まる。


「……作戦は完了した」


アルトの声が広場に響いた。

その声は大きくはないが、はっきりと届く。


「各部隊は損耗を確認し、負傷者の手当てを優先しろ。」


「捕虜は厳重に管理する」


短い指示だが、それで十分だった。


「解散」


その一言で、張り詰めていたものが解けた。

兵たちは一斉に動き出し、それぞれの役割へと散っていく。

担架が運ばれ、医療班が駆け寄り、捕虜は別の場所へ移送される。


喧騒が戻ってくる。

だがその喧騒は、どこか抑えられていた。

ユウはその様子を少し離れた場所から見ていた。

戦いは終わった、確かにそうだ。


だが――


(綺麗すぎる)


違和感が消えない。

むしろ、帰還したことで輪郭がはっきりしてきていた。

そのとき、不意にアルトがこちらを見た。


「どうかしたのかい?」


その問いにユウは一瞬だけ考え、そして肩をすくめた。


「いや⋯⋯」


「ちょっと気になるコトがあるだけだ⋯⋯」


アルトはそれ以上は聞かない。

その返答にただ、小さく頷いた。

そのやり取りの後、ユウは視線を空へ向けた。

雲は少なく、空は青く、静かに広がっている。

あまりにも穏やかだった。


「……嵐の前かもな」


小さく呟いた。

誰に聞かせるでもない言葉だが、それは確かな予感だった。

この勝利は、終わりではなく次への始まりだと。

静かに、確実に、何かが動き出していた。


――騎士団の本館、その庭園。


石畳の広場は広く取られて、周囲は植え込みと古木が囲っている。

中央には簡素な机と椅子が並べられている。

その場には戦いに参加した者たちが集まってきている。


空は高く、雲は薄い。

だがそこに集まった者たちの空気は、軽くはない。


戦を終えたばかりの騎士たちが、無言のまま持ち場につく。

報告の準備を整えているようだ。

鎧の隙間にはまだ土埃が残り、所々に血の痕がわずかに残る。

その中央には、アルトが立っていた。

カインとクラウスもそれぞれの位置についた。

皆、言葉を交わすことなく時を待っていた。


そこへ――


「これは、若君。久しいですな」


落ち着いたよく通る声が庭園に響く。

視線が一斉にそちらへと向く。

庭園の入口に一人の老騎士が立っていた。

白髪を後ろで束ね、顎には整えられた髭。

装飾の少ない鎧を纏っている。

その佇まいからただ者ではないと一目で分かる。

無駄のない立ち姿は長年の戦場で磨かれているものだった。


老兵はゆっくりと歩み寄る。

足取りは重くない。

むしろ、地に根を張るような安定感があった。


「ご活躍は、かねがね聞き及んでおりますぞ」


軽く頭を下げる。

形式としては礼だが、その仕草に卑屈さはない。

対等に近い距離感。


それを許される存在だった。


「……シグルド卿!!」


アルトが声を掛けられた人物の名前を呼ぶ。


「昔のように『シグルド』とお呼びください」


「無事だったかい」


「ええ、この老いぼれも、まだしばらくは使い物になるようで」


わずかに笑みを浮かべる。

だがその目は、鋭さを失っていない。

その名を聞いた瞬間、周囲の空気がわずかに変わる。


老兵の名は、シグルド・ガレウス。

ルーヴェルの騎士団に古くから仕えている古参の一人。


そして――


かつて帝国にその名を知らしめた存在。

レオンハルト、グレイ、シグルド。

三人は並び称され、ルーヴェルの三刃と呼ばれていた。


前線を切り裂く「剛剣」レオンハルト。

影のごとく戦場を支配する「影狼」グレイ。

そして、敵陣を打ち砕く「鉄槌」シグルド。


その名は、今も古参の兵たちの間で語り継がれている。

シグルドはゆっくりと周囲を見渡した。

若い顔が多く、その事実を確認するようにふっと息を吐く。


「時代は、確かに移り変わっておりますな」


そのあと、再びアルトへ視線を戻した。


「さて……戦の報告の前に、一つ」


軽く咳払いをする。


「此度の砦攻略、我が隊も完了しましたが⋯」


「三番手、でありました」


わずかに口元を緩める。


「若君に先を越されましたな」


「歳を重ねると、どうにも動きが鈍ってしまいますな」


冗談めかして言う。

だが、それをそのまま受け取る者はいない。

三番手ではあるが、年をとっても能力は十分だ。

その事実の重みは、場にいる誰もが理解していた。

カインが小さく息を吐いた。


「それで鈍ったというのは無理がありますよ、シグルド卿」


「昔と比べての話ですよ。カイン殿」


シグルドは肩をすくめる。


「かつては、もう少し無理が利いたものですからな」


その言葉には、わずかな懐古が滲んでいた。

だが、すぐにその色は消える。

シグルドはふと、最初に話しかけた人物の方を見た。

そして、アルトの前で膝をついて本題を切り出した。


「……よく、やられましたな」


先ほどまでとは違う声だった。

静かで、重いひと言。


「レオンハルト殿のご子息として、ではなく」


「一人の指揮官として、見事な采配であったと存じます」


まっすぐな言葉だった。

飾りはない、だからこそその言葉の意味が重い。

アルトはそれを受け止める。


「まだ、道半ばです」


老兵に向かって短く返した。

シグルドは立ち上がり、若者の言葉に頷いた。


「その通りですな」


そして、小さく息を吐く。


「……グレイ殿より、聞き及んでおります」


一瞬だけ、間が空く。


「レオンハルト殿のことは⋯⋯」


風が、わずかに庭園を抜ける。

葉が揺れるが、誰も言葉は発さない。

アルトもまた、何も言わない。

その沈黙が、すべてを物語っている。


「……さて」


シグルドはゆっくりと視線を巡らせる。

アルト、カイン、クラウス――そして、最後にユウで止まる。

ほんのわずかに、目が細くなる。


「そちらが例の者、ですかな」


問いかけというより、確認に近い声音だった。

場の空気がわずかに変わる。

クラウスは黙り、カインは視線を横へ流す。

アルトが口を開こうとするより早く、ユウが先に一歩出た。


「ユウだ」


余計な肩書きは付けない、簡潔な名乗りだった。

シグルドはその様子をじっと見つめる。

頭から足先まで、ゆっくりと観察するように。

だがそこに露骨な圧はなく、眼前の人物を見定めている。

やがて、小さく頷いた。


「……なるほど」


短い一言だが、その中には一定の評価が含まれている。


「今回の作戦にて、妙な動きをした者がいると聞いておりました」


わずかに口元を緩める。


「おそらく、貴殿なのでしょう」


ユウは表情を変えずに言葉を返す。


「妙かどうかは知らんが、勝つために動いただけだ」


その言葉に、シグルドはふっと息を漏らした。


「結構」


たった一言。


「戦場においては、それが全てでございます」


それが全てだと言わんばかりの肯定だった。

クラウスの視線がわずかに動いた。

シグルドは言葉を続ける。


「此度の砦も、正面からではなく内側から崩したと聞いております」


視線が鋭くなる。


「水を抑えたようですね」


断定だった。

周囲の数名がわずかにざわつく。

クラウスが眉を動かしている。

その言葉をユウは否定しない。


「気づいてたか」


「ええ」


シグルドはゆっくりと頷く。


「敵の崩れ方が、あまりにも早すぎる」


その言葉には、経験に裏打ちされた確信があった。


「喉を断たれた軍ほど脆いものはない」


ユウへと一歩だけ近づく、距離が詰まる。

圧はないが、試すような空気を纏っている。


「しかし」


そこで言葉を区切る。


「分かっていても、実行する者は少ない」


視線が、まっすぐユウに向く。


「時間がかかり、手間もかかる。何より――」


わずかに笑う。


「目に見える“武功”になりにくい」


ユウは小さく息を吐いた。


「だからやらないのか?」


「いえ」


シグルドは即座に否定する。


「“やれる者が少ない”のです」


静かな言葉だったが、その重みは大きい。

ユウは一瞬だけ口を閉じた後に、そのあと肩をすくめた。


「別に大したことじゃない、使える手を使っただけだ」


その言葉に、シグルドは目を細める。


そして――


ゆっくりと大きくにこやかに笑った。


「そう言えるのが、貴殿の強みでございましょうな」


一歩下がり、距離を戻した。


「よろしい」


小さく頷く。


「戦場には、そういう者が必要です」


それは、明確な認めであった。

クラウスがわずかに視線を逸らす。

カインは小さく息を吐いた。

アルトは何も言わず、ただ、そのやり取りを見ていた。

やがてシグルドは向きを変え、席へと戻っていく。


「さて」


低く言う。


「話が長くなりましたな」


その一言で、空気が切り替わる。


「皆様の結果を、聞かせていただきましょう」


兵が前へ出て、戦果の報告が始まる。

気づいたら累計PVが1000件超えてました。

皆様、閲覧ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ