残影
街道を進むと、やがてルーヴェルの街門が見えてきた。
長く続いた行軍の終わりを告げる。
隊列に広がるのは安堵というより、沈んだ疲労だった。
誰も声を上げずに、ただ前へと進み続けた。
門の上では見張りがこちらを確認し、内側へ合図を送る。
やがて、重い音を立てて門が開いた。
その向こうには、人がいた。
道の両側に、街の住民が集まっている。
子どもを抱えた母親、杖をつく老人、店先から様子を窺う商人。
――だが、誰も声を上げない。
帰還した部隊を、ただ見ている。
「……帰ってきたのか」
ぽつりと、誰かが呟く。
それが合図だったわけではない。
だが、止めていた息をわずかに吐き出すように空気が緩む。
小さな拍手が、どこかで起きた。
広がらずにすぐに消える。
歓声にはならない、本当に終わったのか。
これで安心していいのか。その判断を誰も下せていない。
隊列の先頭を進むアルトはその視線を正面から受けながら歩く。
応えることはなく、手を上げることもない。
ただ、歩調を崩さず進む。
その後ろにカイン、さらにクラウスの隊列が続く。
クラウスは一瞬だけ横へ視線を流し、住民たちの様子を捉えた。
「……静かだな」
隣のカインにだけ届く声。
「勝ったんなら、もう少し騒いでもよさそうなもんだが」
カインが肩をすくめ、クラウスは短く返した。
「騒げる段階じゃないということだ」
住民の視線の先には、捕虜の列があった。
縄で繋がれた“自由の盾”の残党だった。
兵に囲まれて、黙って歩かされている。
住民の目は、そこに向けられていた。
恐れ、嫌悪、そして消しきれない警戒。
「……あれだな」
カインが顎で示す。
クラウスはわずかに目を細めた。
「なるほど」
短く言う。
「勝利というより、“後始末”に見える」
その言葉は、的を射ていた。
列は街の中心へと進んでいく。
石畳の道に足音が響き、鎧の擦れる音が重なっていく。
その音だけが、やけに鮮明だった。
集団の少し後方をユウは歩いていた。
視線は前ではなく、横へと流れている。
住民たちの顔、捕虜の様子、兵の動き。
すべてを順番に見回していく。
(……静かすぎる)
再び、その感覚が浮かぶ。
勝利の帰還にしては、あまりにも温度が低い。
だがそれ以上に――
(⋯⋯落ち着いてるな)
捕虜の様子が引っかかってしまう。
敗北した集団にしては、統制が残りすぎている。
完全に瓦解しているなら、もっと乱れるはず。
暴れる者が出てもおかしくない。
だが現実は違っており、歩かされているだけだ。
それも、妙に従順に。
ユウは視線を少しだけ細めた。
そのとき、リズと一瞬だけ目が合った。
ほんの一瞬だったが、その顔は諦めているもの表情ではない。
(……)
言葉にはしなかったが、確信は強くなった。
何かが残っており、これで終わりではない。
列はやがて本陣へと戻ってきて、広場へと到着した。
ここでようやく、アルトが足を止めた。
全体がそれに合わせて静止した。
その動きだけで場の空気が引き締まる。
「……作戦は完了した」
アルトの声が広場に響いた。
その声は大きくはないが、はっきりと届く。
「各部隊は損耗を確認し、負傷者の手当てを優先しろ。」
「捕虜は厳重に管理する」
短い指示だが、それで十分だった。
「解散」
その一言で、張り詰めていたものが解けた。
兵たちは一斉に動き出し、それぞれの役割へと散っていく。
担架が運ばれ、医療班が駆け寄り、捕虜は別の場所へ移送される。
喧騒が戻ってくる。
だがその喧騒は、どこか抑えられていた。
ユウはその様子を少し離れた場所から見ていた。
戦いは終わった、確かにそうだ。
だが――
(綺麗すぎる)
違和感が消えない。
むしろ、帰還したことで輪郭がはっきりしてきていた。
そのとき、不意にアルトがこちらを見た。
「どうかしたのかい?」
その問いにユウは一瞬だけ考え、そして肩をすくめた。
「いや⋯⋯」
「ちょっと気になるコトがあるだけだ⋯⋯」
アルトはそれ以上は聞かない。
その返答にただ、小さく頷いた。
そのやり取りの後、ユウは視線を空へ向けた。
雲は少なく、空は青く、静かに広がっている。
あまりにも穏やかだった。
「……嵐の前かもな」
小さく呟いた。
誰に聞かせるでもない言葉だが、それは確かな予感だった。
この勝利は、終わりではなく次への始まりだと。
静かに、確実に、何かが動き出していた。
――騎士団の本館、その庭園。
石畳の広場は広く取られて、周囲は植え込みと古木が囲っている。
中央には簡素な机と椅子が並べられている。
その場には戦いに参加した者たちが集まってきている。
空は高く、雲は薄い。
だがそこに集まった者たちの空気は、軽くはない。
戦を終えたばかりの騎士たちが、無言のまま持ち場につく。
報告の準備を整えているようだ。
鎧の隙間にはまだ土埃が残り、所々に血の痕がわずかに残る。
その中央には、アルトが立っていた。
カインとクラウスもそれぞれの位置についた。
皆、言葉を交わすことなく時を待っていた。
そこへ――
「これは、若君。久しいですな」
落ち着いたよく通る声が庭園に響く。
視線が一斉にそちらへと向く。
庭園の入口に一人の老騎士が立っていた。
白髪を後ろで束ね、顎には整えられた髭。
装飾の少ない鎧を纏っている。
その佇まいからただ者ではないと一目で分かる。
無駄のない立ち姿は長年の戦場で磨かれているものだった。
老兵はゆっくりと歩み寄る。
足取りは重くない。
むしろ、地に根を張るような安定感があった。
「ご活躍は、かねがね聞き及んでおりますぞ」
軽く頭を下げる。
形式としては礼だが、その仕草に卑屈さはない。
対等に近い距離感。
それを許される存在だった。
「……シグルド卿!!」
アルトが声を掛けられた人物の名前を呼ぶ。
「昔のように『シグルド』とお呼びください」
「無事だったかい」
「ええ、この老いぼれも、まだしばらくは使い物になるようで」
わずかに笑みを浮かべる。
だがその目は、鋭さを失っていない。
その名を聞いた瞬間、周囲の空気がわずかに変わる。
老兵の名は、シグルド・ガレウス。
ルーヴェルの騎士団に古くから仕えている古参の一人。
そして――
かつて帝国にその名を知らしめた存在。
レオンハルト、グレイ、シグルド。
三人は並び称され、ルーヴェルの三刃と呼ばれていた。
前線を切り裂く「剛剣」レオンハルト。
影のごとく戦場を支配する「影狼」グレイ。
そして、敵陣を打ち砕く「鉄槌」シグルド。
その名は、今も古参の兵たちの間で語り継がれている。
シグルドはゆっくりと周囲を見渡した。
若い顔が多く、その事実を確認するようにふっと息を吐く。
「時代は、確かに移り変わっておりますな」
そのあと、再びアルトへ視線を戻した。
「さて……戦の報告の前に、一つ」
軽く咳払いをする。
「此度の砦攻略、我が隊も完了しましたが⋯」
「三番手、でありました」
わずかに口元を緩める。
「若君に先を越されましたな」
「歳を重ねると、どうにも動きが鈍ってしまいますな」
冗談めかして言う。
だが、それをそのまま受け取る者はいない。
三番手ではあるが、年をとっても能力は十分だ。
その事実の重みは、場にいる誰もが理解していた。
カインが小さく息を吐いた。
「それで鈍ったというのは無理がありますよ、シグルド卿」
「昔と比べての話ですよ。カイン殿」
シグルドは肩をすくめる。
「かつては、もう少し無理が利いたものですからな」
その言葉には、わずかな懐古が滲んでいた。
だが、すぐにその色は消える。
シグルドはふと、最初に話しかけた人物の方を見た。
そして、アルトの前で膝をついて本題を切り出した。
「……よく、やられましたな」
先ほどまでとは違う声だった。
静かで、重いひと言。
「レオンハルト殿のご子息として、ではなく」
「一人の指揮官として、見事な采配であったと存じます」
まっすぐな言葉だった。
飾りはない、だからこそその言葉の意味が重い。
アルトはそれを受け止める。
「まだ、道半ばです」
老兵に向かって短く返した。
シグルドは立ち上がり、若者の言葉に頷いた。
「その通りですな」
そして、小さく息を吐く。
「……グレイ殿より、聞き及んでおります」
一瞬だけ、間が空く。
「レオンハルト殿のことは⋯⋯」
風が、わずかに庭園を抜ける。
葉が揺れるが、誰も言葉は発さない。
アルトもまた、何も言わない。
その沈黙が、すべてを物語っている。
「……さて」
シグルドはゆっくりと視線を巡らせる。
アルト、カイン、クラウス――そして、最後にユウで止まる。
ほんのわずかに、目が細くなる。
「そちらが例の者、ですかな」
問いかけというより、確認に近い声音だった。
場の空気がわずかに変わる。
クラウスは黙り、カインは視線を横へ流す。
アルトが口を開こうとするより早く、ユウが先に一歩出た。
「ユウだ」
余計な肩書きは付けない、簡潔な名乗りだった。
シグルドはその様子をじっと見つめる。
頭から足先まで、ゆっくりと観察するように。
だがそこに露骨な圧はなく、眼前の人物を見定めている。
やがて、小さく頷いた。
「……なるほど」
短い一言だが、その中には一定の評価が含まれている。
「今回の作戦にて、妙な動きをした者がいると聞いておりました」
わずかに口元を緩める。
「おそらく、貴殿なのでしょう」
ユウは表情を変えずに言葉を返す。
「妙かどうかは知らんが、勝つために動いただけだ」
その言葉に、シグルドはふっと息を漏らした。
「結構」
たった一言。
「戦場においては、それが全てでございます」
それが全てだと言わんばかりの肯定だった。
クラウスの視線がわずかに動いた。
シグルドは言葉を続ける。
「此度の砦も、正面からではなく内側から崩したと聞いております」
視線が鋭くなる。
「水を抑えたようですね」
断定だった。
周囲の数名がわずかにざわつく。
クラウスが眉を動かしている。
その言葉をユウは否定しない。
「気づいてたか」
「ええ」
シグルドはゆっくりと頷く。
「敵の崩れ方が、あまりにも早すぎる」
その言葉には、経験に裏打ちされた確信があった。
「喉を断たれた軍ほど脆いものはない」
ユウへと一歩だけ近づく、距離が詰まる。
圧はないが、試すような空気を纏っている。
「しかし」
そこで言葉を区切る。
「分かっていても、実行する者は少ない」
視線が、まっすぐユウに向く。
「時間がかかり、手間もかかる。何より――」
わずかに笑う。
「目に見える“武功”になりにくい」
ユウは小さく息を吐いた。
「だからやらないのか?」
「いえ」
シグルドは即座に否定する。
「“やれる者が少ない”のです」
静かな言葉だったが、その重みは大きい。
ユウは一瞬だけ口を閉じた後に、そのあと肩をすくめた。
「別に大したことじゃない、使える手を使っただけだ」
その言葉に、シグルドは目を細める。
そして――
ゆっくりと大きくにこやかに笑った。
「そう言えるのが、貴殿の強みでございましょうな」
一歩下がり、距離を戻した。
「よろしい」
小さく頷く。
「戦場には、そういう者が必要です」
それは、明確な認めであった。
クラウスがわずかに視線を逸らす。
カインは小さく息を吐いた。
アルトは何も言わず、ただ、そのやり取りを見ていた。
やがてシグルドは向きを変え、席へと戻っていく。
「さて」
低く言う。
「話が長くなりましたな」
その一言で、空気が切り替わる。
「皆様の結果を、聞かせていただきましょう」
兵が前へ出て、戦果の報告が始まる。
気づいたら累計PVが1000件超えてました。
皆様、閲覧ありがとうございます。




